趙荘(ちょうそう)とは?馬陽で王騎に討たれた趙軍の将・戦役を設計したのは李牧【キングダム】
この記事には『キングダム』馬陽の戦い(11巻から16巻)の結末に関する記述が含まれます。未読の方はご注意ください。
馬陽の戦いは、王騎が命を落とした戦役です。その趙軍を率いていたのが趙荘(ちょうそう)でした。
ただしこの戦いの実質的な設計者は、趙荘ではありません。この記事では、趙荘がどういう立場にあり、馬陽で何が起きたのかを整理します。
結論
- 趙荘は馬陽の戦いにおける趙軍の将です。王騎の軍と対峙しました。
- 王騎に討たれています。単行本16巻前後です。
- この戦いを設計したのは李牧でした。趙荘は表向きの指揮官という位置にあります。
- 史実に趙荘の記録はありません。作品の創作です。
趙荘とはどんな人物か

| 読み方 | ちょうそう |
|---|---|
| 所属 | 趙 |
| 立場 | 馬陽の戦いにおける趙軍の将 |
| 結末 | 王騎に討たれる |
| 史実 | 記録なし。作品の創作 |
馬陽の戦いは、単行本11巻・第110話から16巻・第173話にかけての戦役です。趙が秦の馬陽へ侵攻したことから始まりました。
趙軍の陣容には、趙荘のほかに馮忌と龐煖が加わっています。そして戦場の外に、この戦い全体を組み立てた人物がいました。
馬陽の趙軍の顔ぶれ
| 人物 | 立場 | 結末 |
|---|---|---|
| 趙荘 | 趙軍の将 | 王騎に討たれる |
| 馮忌(ふうき) | 趙軍の智将 | 12巻・第129話、飛信隊に討たれる |
| 龐煖(ほうけん) | 武神を自称する存在 | 王騎に致命傷を与える。のちに信に討たれる |
| 李牧(りぼく) | 戦役の設計者 | 生存。以後の最大の敵となる |
この戦いは、李牧が初めて秦の前に現れた戦役です。それまで無敵に見えた王騎が、策によって死にました。
個人の武がどれだけ強くても、戦場の設計で覆されるという構図が、ここで初めて示されています。
王騎に討たれるまで
趙荘は趙軍の指揮を執る立場にありましたが、王騎の軍と正面からぶつかって敗れました。
王騎はこの時点で、秦の怪鳥と呼ばれる大将軍です。個人の武でも戦場の指揮でも、当時の作中で最高位に位置していました。趙荘が正面から勝てる相手ではありません。
しかし王騎も、この戦いで命を落とします。趙荘を破った先で、龐煖との一騎打ちに引き込まれました。
| 段階 | 内容 |
|---|---|
| 侵攻 | 趙軍が秦の馬陽へ攻め込む |
| 秦の出陣 | 王騎が総大将として迎え撃つ |
| 馮忌の討伐 | 12巻・第129話、飛信隊が趙の智将を討つ |
| 趙荘の敗北 | 王騎が趙荘を破る |
| 李牧の策 | 王騎軍が包囲され、龐煖との一騎打ちへ持ち込まれる |
| 摎の死 | 16巻・第165話 |
| 王騎の死 | 16巻・第172話 |
趙荘を倒したことが、王騎にとって罠へ進む一歩になったという構造です。
李牧という設計者
この戦いの実質的な主導者は李牧でした。
李牧はもともと、趙の北辺で匈奴を相手にしていた将です。長く守りに徹して敵を油断させ、一気に叩くという戦い方で匈奴を退けました。馬陽で用いた手法も、この経験の延長線上にあります。
趙荘や馮忌が前面に立ち、その背後で李牧が全体を組み立てる。王騎は目の前の敵を破りながら、設計された流れの中を進んでいたことになります。
李牧はこの戦い以降、秦にとって最大の障壁となり続けます。合従軍編では5カ国をまとめて函谷関を攻めつつ、別動隊で蕞を突きました。
飛信隊が生まれた戦い
馬陽の戦いは、趙にとっては王騎を討った戦役ですが、秦にとっては飛信隊が生まれた戦いでもあります。
王騎は信の百人隊に「飛信隊」という名を与えました。あわせて、敵将・馮忌を討てという特命を出しています。大将軍が直接名を付けた百人隊という異例の扱いでした。
信はこの特命を果たします。12巻・第129話、飛信隊が馮忌を討ち取りました。百人隊が将軍格を討つという結果です。
| できごと | 巻・話 |
|---|---|
| 飛信隊の命名 | 11巻前後 |
| 馮忌の討伐 | 12巻・第129話 |
| 摎の死 | 16巻・第165話 |
| 王騎の死 | 16巻・第172話 |
| 戦役の終結 | 16巻・第173話 |
この百人隊が、のちに6万規模の軍になります。王騎が名を与えた部隊が、王騎の死後も拡大し続けていることになります。
李牧が示した戦い方
馬陽で李牧が見せたのは、正面から勝つ以外の方法でした。
強い相手を弱い相手として扱うのではなく、その強さが通用しない場所へ引き込む。王騎は目の前の敵に勝ち続けながら、勝てない状況へ進んでいきました。
| 戦役 | 李牧の手法 |
|---|---|
| 馬陽の戦い | 包囲を組み、王騎を龐煖との一騎打ちへ引き込む |
| 合従軍編 | 函谷関で主力を釘付けにし、別動隊で蕞を突く |
| 朱海平原 | 49巻・第531話で麻鉱を奇襲により討つ |
| 趙国深部 | 桓騎軍の退路を断ち、部隊ごと壊滅させる |
いずれも、相手の強みを正面から潰していません。強みが機能しない条件を作るという点で一貫しています。
王騎の死が残したもの
馬陽の戦いは、作品全体の転換点になりました。
| できごと | その後への影響 |
|---|---|
| 飛信隊の命名 | 王騎が信の百人隊に名を与える。のちに6万規模へ |
| 矛の継承 | 信が王騎の矛を受け取る。当初は重すぎて扱えなかった |
| 大将軍の景色 | 王騎が信に語った問い。まだ答えは出ていない |
| 軍の継承 | 副官の騰が引き継ぎ、騰軍として存続する |
| 李牧の登場 | 以後の最大の敵として位置づけられる |
趙荘の敗北は、この大きな流れの一部にあたります。王騎という大将軍が倒れる過程で、最初に破られた相手という位置づけです。
趙の将としての位置
趙には複数の系統の武将がいました。趙荘はそのどれに属するのかが明示されていない人物です。
| 系統 | 主な人物 |
|---|---|
| 三大天 | 李牧、龐煖、司馬尚 |
| 藺家十傑 | 尭雲、趙峩龍 |
| 廉頗四天王 | 輪虎、介子坊、玄峰、姜燕 |
| 青歌軍 | 司馬尚、カン・サロ |
| 李牧の周辺 | カイネ、馬南慈、舜水樹 |
趙荘や馮忌は、こうした系統に属さない一般の将として描かれます。作中で名前のある集団に属していない趙の将は、比較的早い段階で退場する傾向があります。
逆に言えば、系統を持つ将は物語の中で長く扱われます。藺家十傑は朱海平原まで、廉頗四天王は山陽まで、青歌軍は番吾まで登場が続きました。
史実の馬陽
趙荘は史実に実在しません。馬陽の戦いという会戦も、史料では確認できません。
一方、李牧と龐煖は実在します。李牧は匈奴を破り、秦の侵攻も何度か退けた名将として記録されています。龐煖も紀元前242年に燕の劇辛を破ったという戦績が残ります。
| 項目 | 『キングダム』 | 史実 |
|---|---|---|
| 趙荘 | 馬陽の趙軍の将 | 記録なし |
| 馬陽の戦い | 11巻から16巻の戦役 | この名の会戦は確認できない |
| 李牧 | 戦役の設計者 | 実在。匈奴と秦の双方を破る |
| 龐煖 | 武神を自称する存在 | 実在。思想家としての記録が濃い |
| 王騎 | 秦の大将軍 | 王齮として実在。人物像の記録はない |
秦が失った将たち
馬陽で王騎を失って以降、秦は趙との戦いで大将軍格を何人も失っています。
| 人物 | 討った相手 | 戦い |
|---|---|---|
| 王騎 | 龐煖 | 馬陽の戦い(16巻・第172話) |
| 摎 | 龐煖 | 馬陽の戦い(16巻・第165話) |
| 麃公 | 龐煖 | 合従軍編(30巻・第325話) |
| 麻鉱 | 李牧の奇襲 | 朱海平原(49巻・第531話) |
| 亜光・田里弥 | 司馬尚ら | 番吾の戦い |
| 桓騎 | 李牧 | 趙国深部の戦い |
龐煖ひとりで3人を討っています。そしてその龐煖を、王騎と麃公から武具を受け継いだ信が倒しました。58巻・第627話の場面です。
趙は秦にとって最も損害の大きい相手でした。それだけに、この国が滅んだ経緯が宮廷の讒言によるものだったという事実は、作中でも重い意味を持っています。
趙荘の読み方と馬陽の趙軍
馬陽に現れた趙軍の顔ぶれは、いずれも読みにくい名です。
| 表記 | 読み |
|---|---|
| 趙荘 | ちょうそう |
| 馮忌 | ふうき |
| 万極 | まんごく |
| 龐煖 | ほうけん |
「趙荘」は「ちょうそう」と読みます。趙の王族に連なる姓を持つ将です。
この戦いで秦は王騎を失いました。趙軍の側から見れば、名の知られた将を複数投じて仕留めた戦役ということになります。
趙荘に関するよくある質問
趙荘とは誰ですか?
馬陽の戦いにおける趙軍の将です。王騎の軍と対峙しました。
趙荘の読み方は何ですか?
ちょうそうです。
趙荘を倒したのは誰ですか?
王騎です。単行本16巻前後の場面にあたります。
馬陽の戦いは何巻何話ですか?
単行本11巻・第110話から16巻・第173話までです。
馬陽の趙軍には誰がいましたか?
趙荘、馮忌、龐煖です。そして戦場の外に、戦役を設計した李牧がいました。
この戦いで王騎はなぜ死んだのですか?
李牧の策により王騎軍が包囲され、龐煖との一騎打ちへ持ち込まれたためです。16巻・第172話で戦死しました。
馮忌はどうなったのですか?
12巻・第129話で飛信隊に討たれました。信が初めて討った将軍格にあたります。
李牧はこの戦いで何をしたのですか?
戦役全体を設計しました。趙荘や馮忌が前面に立ち、その背後で流れを組み立てています。
趙荘は史実に実在しますか?
していません。馬陽の戦いという会戦も史料では確認できません。
この戦いの意味は何ですか?
個人の武がどれだけ強くても戦場の設計で覆されるという構図が、初めて示された戦役です。飛信隊の誕生と王騎の死という2つの転換点も含みます。
まとめ
- 趙荘は馬陽の戦いにおける趙軍の将で、王騎に討たれた
- この戦役を設計したのは李牧であり、趙荘は表向きの指揮官という位置にある
- 馬陽の戦いは11巻・第110話から16巻・第173話
- 馮忌は12巻・第129話で飛信隊に討たれた
- 王騎は16巻・第172話で戦死し、信に矛と問いを遺した
- 趙荘は創作の人物だが、李牧と龐煖は実在する
王騎が最初に破った相手であり、その勝利が罠へ進む一歩でもありました。馬陽の戦いを追うと、勝ちながら追い込まれていく構造が見えてきます。
この記事について
執筆・編集: マンガノシラベ編集部
公式コミックスおよび公開されている史料をもとに作成しています。内容に誤りを見つけられた場合はお問い合わせよりご連絡ください。

