この記事には『キングダム』黒羊丘編から趙国深部侵攻編までの結末に関する記述が含まれます。単行本69巻までの内容に触れていますので、未読の方はご注意ください。
『キングダム』の秦国六大将軍のひとり、桓騎(かんき)。元は野盗の首領という異例の経歴を持ち、常識の通じない戦い方で数々の城を落としてきた将軍です。
この記事では、桓騎が死亡するのは何巻何話なのか、どのような最期だったのかを整理します。あわせて、モデルとなった実在の秦の将軍・桓齮(かんき)が史実ではどう記録されているのかも調べました。
結論
- 桓騎は死亡します。単行本69巻、第752話から第753話にかけて描かれる場面です。
- 敗れた相手は趙の李牧です。趙国深部・宜安から肥下にかけての戦いで包囲され、討ち取られました。
- 桓騎には実在のモデルがいます。『史記』に登場する秦の将軍・桓齮です。史実でも李牧に大敗しており、その後の消息は記録に残っていません。
桓騎のプロフィール

| 名前 | 桓騎(かんき) |
|---|---|
| 所属 | 秦国 |
| 階級 | 大将軍。のちに新・六大将軍のひとりに任命される |
| 出自 | 野盗の首領。のちに蒙驁軍の千人将となる |
| 率いた軍 | 桓騎軍。摩論・雷土・ゼノウ・黒桜・オギコらが所属 |
| 史実のモデル | 秦の将軍・桓齮 |
| 最期 | 単行本69巻 |
桓騎は秦国の将軍でありながら、正規の軍人としての経歴を持ちません。野盗として名を上げたのち、蒙驁軍に加わって頭角を現しました。城を落とすことにかけては秦軍屈指でありながら、降伏した兵を皆殺しにするなど、その手法はたびたび問題視されています。
桓騎の最期は何巻何話?
桓騎の死は、趙国深部への侵攻作戦の最終局面で訪れます。時系列で整理すると次のようになります。
| 場面 | 収録 |
|---|---|
| 趙国深部・宜安へ侵攻し、平陽・武城を落とす | 単行本66巻から67巻 |
| 李牧の包囲網が完成し、桓騎軍が孤立する | 単行本68巻 |
| 肥下へ向けて突破を図るも軍が壊滅していく | 単行本68巻から69巻 |
| 桓騎が討ち取られる | 単行本69巻・第752話から第753話 |
「桓騎は何巻で死ぬのか」という問いへの答えは69巻です。この戦いで桓騎軍はほぼ全滅し、雷土やゼノウといった主要な部下も命を落としています。
最期の場面で桓騎がしたこと
包囲された桓騎は、敗走ではなく李牧本人へ向かうという選択をします。すでに軍は崩壊し、勝ち目はありません。それでも桓騎は敵軍の中を突き進み、李牧の目の前まで到達しました。
全身に槍を受けながら、桓騎は最後に刀を李牧へ向けます。届くはずのない一撃でしたが、それは降伏でも命乞いでもなく、最後まで自分のやり方を通した男の姿でした。この場面が、桓騎という将軍の生き方を象徴する結末として描かれています。
桓騎はなぜ敗れたのか
桓騎の敗因は、単純な兵力差ではありません。李牧は桓騎の行動原理を読み切ったうえで包囲網を組みました。
- 深追いを誘われた。桓騎は城を次々に落とす速さが持ち味ですが、趙国深部へ入り込んだ時点で補給線が伸びきっていました。
- 周辺の趙軍を同時に動かされた。李牧は自軍だけでなく複数の部隊を連動させ、桓騎軍の退路を段階的に塞いでいます。
- 桓騎が引かない性格を見抜かれていた。不利を悟っても撤退せず、突破を選ぶという判断まで計算に含まれていました。
桓騎の強みであった型破りな判断力が、そのまま読まれる材料になった戦いでした。
史実では? 実在した秦の将軍・桓齮
桓騎には実在のモデルがいます。中国の歴史書『史記』に記される秦の将軍・桓齮(かんき)です。作中の桓騎とは異なる点も多いため、史実の記録を整理します。
史実の桓齮の戦績
| 時期 | 出来事 |
|---|---|
| 紀元前237年ごろ | 秦の将軍として記録に現れる |
| 紀元前234年 | 趙の平陽を攻め、趙軍を大破。10万を斬首したと記される |
| 紀元前233年 | 宜安に侵攻するが、李牧に大敗する |
| それ以降 | 記録から姿を消す |
史実の桓齮も、趙を相手に大戦果を挙げたあと、李牧に敗れています。この流れは作中とよく一致しています。ただし史実の桓齮について「討ち取られた」と明記した記述はありません。
桓齮はその後どうなったのか
宜安での敗戦以降、桓齮の名は史料から消えます。このため、その後については複数の見方があります。
- 敗戦の責任を問われることを恐れ、燕へ逃亡したとする見方。秦では大敗した将軍が処罰される例があり、亡命は不自然な選択ではありません。
- 戦死したとする見方。記録が途絶えること自体を戦死の傍証と考える立場です。
- 樊於期と同一人物であるとする説。中国の歴史学者・楊寛が唱えたもので、燕へ逃れた桓齮が名を変えて樊於期になったと考えます。
樊於期は、燕の太子丹のもとに身を寄せ、荊軻による秦王暗殺計画に際して自ら首を差し出したとされる人物です。桓齮と樊於期を同一人物とする説は、両者の名前の音が近いことや、燕へ逃れたという流れが重なることを根拠にしています。
ただしこの説は定説ではありません。『史記』の刺客列伝に描かれる樊於期の人物像からは名を変えて生きる姿が想像しにくいという指摘があり、根拠が発音の類似に偏っているという批判もあります。あくまで有力な仮説のひとつとして受け止めるのが妥当です。
漫画と史実の違い
| 項目 | 『キングダム』 | 史実 |
|---|---|---|
| 出自 | 野盗の首領から成り上がる | 出自に関する記録はない |
| 平陽の戦い | 桓騎が趙軍を破る | 同様に大勝し、10万を斬首したと記される |
| 李牧との戦い | 宜安から肥下で包囲され討たれる | 宜安で大敗。その後の消息は不明 |
| 最期 | 李牧の目前で討ち取られる | 戦死とも亡命とも記録されていない |
| 六大将軍 | 新・六大将軍に任命される | 六大将軍という制度自体が作中の設定 |
大きく異なるのは出自と最期です。史実の桓齮に野盗だったという記録はなく、消息不明という余白の部分に、作品は明確な結末を与えています。
なぜ桓騎はこのように描かれたのか
史実の桓齮は、大勝と大敗のあいだで記録が途切れる将軍です。この空白は、物語をつくるうえで大きな自由度になります。
作中の桓騎は、秦国の正義にも王の理想にも興味を示しません。将軍でありながら国家の側の人間ではなく、最後まで自分の理屈で動き続けます。これは、記録に残らなかった人物だからこそ与えられた造形といえます。
また、降伏兵の虐殺という描写は、史実の「10万を斬首した」という記述と地続きです。数字だけが残された出来事に、なぜそうなったのかという説明を与える形で人物像が組み立てられています。
桓騎に関するよくある質問
桓騎が死亡するのは何巻何話ですか?
単行本69巻です。第752話から第753話にかけて、李牧軍に包囲された末に討ち取られる場面が描かれます。
桓騎を倒したのは誰ですか?
趙の李牧です。李牧が構築した包囲網によって桓騎軍は壊滅し、桓騎自身も討ち取られました。
桓騎は史実に実在しましたか?
はい。『史記』に秦の将軍・桓齮として記録があります。紀元前234年に趙の平陽を攻めて大勝し、翌年に李牧へ敗れています。
史実の桓齮はどうなったのですか?
宜安の敗戦を最後に記録から姿を消します。戦死説、燕への亡命説、樊於期と同一人物とする説があり、いずれも確定していません。
桓騎と樊於期は同じ人物ですか?
同一人物とする説がありますが定説ではありません。歴史学者の楊寛が唱えたもので、名前の音の近さと燕への逃亡という流れを根拠としています。反論も多い説です。
桓騎はなぜ野盗の出身なのですか?
作中の設定です。史実の桓齮に出自の記録はなく、野盗という経歴は『キングダム』独自のものです。
桓騎軍のメンバーは誰がいますか?
摩論、雷土、ゼノウ、黒桜、オギコなどが所属しています。趙国深部での戦いでは、多くの部下が命を落としました。
桓騎は六大将軍でしたか?
作中では新・六大将軍のひとりに任命されています。ただし六大将軍という制度は『キングダム』の設定であり、史実の秦には存在しません。
桓騎はなぜ降伏兵を殺したのですか?
作中では桓騎自身の過去と結びつけて描かれています。史実にも「10万を斬首した」という記述があり、この記録が人物像の下敷きになっていると考えられます。
桓騎が最後に李牧へ向かったのはなぜですか?
すでに勝機はなく、逃げることもできない状況でした。それでも降伏を選ばず敵将のもとへ進んだ行動は、最後まで自分のやり方を貫いた姿として描かれています。
まとめ
- 桓騎の最期は単行本69巻。第752話から第753話にかけて描かれる
- 敗れた相手は趙の李牧で、宜安から肥下にかけての包囲戦で討ち取られた
- 史実にも秦の将軍・桓齮として実在し、平陽で大勝したのち李牧に大敗している
- 史実の桓齮のその後は記録がなく、亡命説や樊於期同一人物説がある
- 野盗出身という設定と最期の描写は、記録の空白に作品が与えた解釈
史実では消息を絶った将軍に、作品は最後まで筋を通す結末を用意しました。記録が途切れたところから物語が始まるという点で、桓騎は『キングダム』でも特に史実との距離が面白い人物です。
この記事について
執筆・編集: マンガノシラベ編集部
公式コミックスおよび公開されている史料をもとに作成しています。内容に誤りを見つけられた場合はお問い合わせよりご連絡ください。
最終更新日: 2026年8月3日
