汗明(かんめい)の死亡は29巻314話|蒙武に頭を砕かれた最期と史実では遊説家だった正体【キングダム】
この記事には『キングダム』本編の展開と、史実にもとづく解説が含まれます。連載の進行状況は2026年8月時点のものです。
『キングダム』合従軍編の函谷関の戦い。そこで蒙武(もうぶ)と真正面からぶつかった楚の大将軍が、汗明(かんめい)です。
汗明とは何者なのか、蒙武との一騎打ちはどのような結末を迎えたのか、そして史実に汗明という人物は実在したのか。この記事ではその3点を整理します。史実の汗明は、実は武将ですらありませんでした。
結論
- 汗明は死亡します。単行本29巻の第314話「”至強”決す」で、蒙武に頭を砕かれて討たれました。
- 蒙武は生存しています。2026年8月時点の連載でも健在です。
- 史実の汗明は武将ではありません。『戦国策』楚策に登場する遊説家で、戦いの記録は残っていません。
汗明とは何者か

汗明は『キングダム』に登場する楚国の大将軍です。合従軍編で楚軍の総大将を務め、函谷関の戦いで秦軍と激突しました。
| 名前 | 汗明(かんめい) |
|---|---|
| 所属 | 楚国 |
| 階級 | 大将軍。合従軍では楚軍の総大将 |
| 異名 | 楚の巨人。自らを中華最強の超越者と称する |
| 特徴 | 巨体と圧倒的な武力。初陣から無敗と語られる |
| 兵の特色 | 太鼓を打ち鳴らして主を讃える応援歌を歌う |
| 初登場 | 第268話 |
| 史実のモデル | 『戦国策』の汗明。ただし武将ではない |
合従軍編は単行本24巻から34巻にかけて描かれる大規模な戦いです。魏・燕・韓・趙・楚の五カ国が連合して秦を攻めるこの戦いで、汗明は連合の中でも最大級の軍を率いる立場にありました。
汗明が読者に強く印象づけられるのは、その武力だけが理由ではありません。開戦の口上を担い、部隊全体が太鼓と歌で主を讃えるという独特の演出が加わることで、敵でありながら人気を集める存在になっています。
汗明の最期は何巻何話? 蒙武との一騎打ち
汗明の最期は、単行本29巻の第314話「”至強”決す」で描かれます。相手は秦の蒙武です。
この一騎打ちは、中華最強を自負する二人が正面からぶつかり合うという構図で、合従軍編でも屈指の見せ場とされています。
戦いの経過
| 段階 | 内容 |
|---|---|
| 1 | 函谷関の戦いで、蒙武軍が楚軍総大将・汗明の本陣に突撃をかける |
| 2 | 蒙武と汗明の一騎打ちが始まる。互いの武器が砕けるほどの激突となる |
| 3 | 第312話前後で汗明が優勢に立ち、蒙武は腕を砕かれる深手を負う |
| 4 | 楚の媧燐が、蒙武を背後から討つよう媧偃に指示する |
| 5 | 第314話。媧偃の突撃に対し、蒙恬が割って入って父・蒙武を守る。蒙恬は汗明の前に吹き飛ばされ、一撃を受ける |
| 6 | 直後、蒙武の一撃が汗明の頭を砕き、汗明が死亡する |
注目すべきは、汗明が単純に力負けしたわけではないという点です。一騎打ちの最中に第三者の妨害が入り、その混乱のなかで決着がついています。汗明自身は一騎打ちを邪魔されたことに怒っており、正面からの勝負にこだわる人物として描かれました。
汗明が討たれたあと、汗明軍は蒙武の猛攻を受けて半壊し、これが合従軍全体の崩れにつながっていきます。
蒙武とはどんな人物か
汗明を討った蒙武は、秦の将軍です。武力に絶対の自信を持ち、策より真正面からの力押しを好む人物として描かれています。
| 名前 | 蒙武(もうぶ) |
|---|---|
| 所属 | 秦国 |
| 家族 | 父は蒙驁。子は蒙恬と蒙毅 |
| 特徴 | 中華最強の武力を目指す。策より正面からの突破を選ぶ |
| 主な武功 | 合従軍編で楚軍総大将・汗明を討ち取る |
| 現在 | 2026年8月時点で生存 |
| 史実のモデル | 秦の将軍・蒙武(実在) |
蒙武にとって汗明戦は転機となる戦いでした。それまで力任せの将として描かれてきた蒙武が、自軍の被害と向き合いながら勝ちに至るという構図になっているためです。
史実では? 汗明は武将ではなかった
ここがこの記事でもっとも意外な部分です。史実の汗明は将軍ではありません。
汗明の名は『戦国策』の楚策に見えます。そこに描かれる汗明は、諸侯に自らの策を説いて回る遊説家です。軍を率いた記録も、戦場に立った記録もありません。
塩車の憾み
史実の汗明が知られているのは、楚の宰相・春申君との逸話によってです。
汗明は春申君への面会を何度も求めました。そして自らを、塩を積んだ車を引かされている駿馬にたとえます。本来なら千里を走れる馬が、重い塩車を引くことに使われている。才能がありながら正しく用いられていない自分を、そう表現したのです。
この逸話から「塩車の憾み」という言葉が生まれました。才能ある人物が世に出られないことを指す成語として、現在まで残っています。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 出典 | 『戦国策』楚策 |
| 身分 | 遊説家。諸侯に政策を説いて回る立場 |
| 関わった人物 | 楚の宰相・春申君 |
| 有名な逸話 | 自らを塩車を引く駿馬にたとえ、登用を求めた |
| 生まれた成語 | 塩車の憾み |
| 戦の記録 | なし |
つまり『キングダム』の汗明は、名前を史実から取りながら、中身をまったく別の人物として造形したキャラクターということになります。
史実の蒙武はどんな将軍だったのか
一方、蒙武は史実にも将軍として記録されています。ただし記録の量は多くありません。
蒙武の家は斉の出身で、父の蒙驁の代に秦へ移ってきました。名門の家柄ではなく、実際の功績によって地位を築いた家系です。
| 時期 | 出来事 |
|---|---|
| 不詳 | 父・蒙驁が斉から秦へ移り、蒙武もこれに従う |
| 紀元前224年(始皇23年) | 王翦の裨将軍として60万の大軍に加わり、楚軍を大いに破る。蘄南で楚の大将軍・項燕を討ったと記録される |
| 紀元前223年(始皇24年) | 王翦とともに楚王・負芻を捕らえ、楚が滅亡する。このとき楚王に擁立されていた昌平君が戦死した |
| 以降 | 生没年は不詳。事績の記録は父の蒙驁や子の蒙恬に比べて少ない |
なお項燕の最期については、紀元前224年に討ち取られたとする記述と、翌年に自害したとする記述があり、史料の解釈によって幅があります。いずれにせよ蒙武が楚の滅亡に関わったという点は共通しています。
蒙武の子である蒙恬は、のちに匈奴を討ち、万里の長城の修築にも関わった将軍として知られています。父よりも子のほうが記録が多いという珍しい家です。
漫画と史実の違い
| 項目 | 『キングダム』 | 史実 |
|---|---|---|
| 汗明の職業 | 楚の大将軍。合従軍の総大将 | 遊説家。武将ではない |
| 汗明の最期 | 29巻314話で蒙武に討たれる | 死に関する記録はない |
| 汗明の逸話 | 太鼓と応援歌で知られる | 塩車の憾みの故事で知られる |
| 蒙武と汗明の戦い | 函谷関での一騎打ち | 両者が戦ったという記録はない |
| 蒙武の主な功績 | 汗明を討ち取る | 王翦の副将として楚を破り、楚を滅ぼす |
| 合従軍 | 五カ国が函谷関を攻める | 秦に対する合従は複数回あったが、作中の展開は大きく脚色されている |
なぜ汗明はこのように描かれたのか
史実の汗明は、記録に残る量が非常に少ない人物です。遊説家としての逸話がひとつあるだけで、生没年も、その後どうなったかもわかりません。
この空白は、作品にとっては自由に使える余地でもあります。合従軍編には、秦の各将と正面からぶつかる敵将が必要でした。とくに蒙武は武力だけを追ってきた人物であり、その蒙武を上回る武の持ち主を用意しなければ、蒙武の成長は描けません。
そこで名前だけを史実から借り、中身を作り直したのが作中の汗明だと考えられます。皮肉なことに、史実の汗明が語った「才能が正しく用いられていない」という嘆きは、作中では真逆の形で解消されています。記録に埋もれた遊説家が、中華最強を名乗る巨人として描かれることになったからです。
汗明を討った蒙武という将
汗明を討ち取ったのは、秦の蒙武(もうぶ)です。
「中華最強の矛」を自任する猛将で、この一騎打ちでは自らも腕を砕かれる深手を負っています。互いの武器が砕けるほどの打ち合いでした。
蒙武自身は死亡していません。父は蒙驁、息子は蒙恬と蒙毅で、三代続く将の家系にあたります。
蒙武の生死や史実での戦果は蒙武は死亡しないで整理しています。
アニメでは第何シリーズか
この場面は、アニメでは第3シリーズにあたります。
| 単行本 | 29巻 |
|---|---|
| アニメ | 第3シリーズ |
| そのシリーズの内容 | 合従軍編。函谷関の攻防と蕞の防衛戦 |
アニメは原作の話をそのまま順番に並べているわけではありません。巻の区切りとシリーズの区切りは完全には一致しないため、目安として捉えてください。
シリーズごとの原作範囲はアニメと原作の対応表にまとめています。
汗明と蒙武に関するよくある質問
汗明とは誰ですか?
『キングダム』に登場する楚国の大将軍です。合従軍編では楚軍の総大将を務め、函谷関の戦いで秦軍と戦いました。楚の巨人と呼ばれ、自らを中華最強の超越者と称しています。
汗明が死亡するのは何巻何話ですか?
単行本29巻の第314話「”至強”決す」です。蒙武の一撃で頭を砕かれて死亡しました。
汗明を倒したのは誰ですか?
蒙武です。函谷関の戦いでの一騎打ちの末に討ち取りました。
汗明との一騎打ちで何が起きたのですか?
当初は汗明が優勢で、蒙武は腕を砕かれる深手を負いました。その後、楚の媧燐の指示を受けた媧偃が蒙武を背後から狙い、蒙恬が割って入って一撃を受けます。その直後に蒙武の一撃が汗明を捉えました。
史実の汗明は実在しますか?
実在します。ただし将軍ではありません。『戦国策』楚策に登場する遊説家で、諸侯に策を説いて回る立場の人物でした。
塩車の憾みとはどういう意味ですか?
才能ある人物が世に出られないことを表す成語です。汗明が楚の宰相・春申君に対し、自らを塩車を引かされる駿馬にたとえて登用を求めた逸話から生まれました。
蒙武は死亡しますか?
2026年8月時点の連載で蒙武は生存しています。作中で死亡した描写はありません。
史実の蒙武はどんな人物ですか?
秦の将軍です。父は蒙驁、子は蒙恬と蒙毅。紀元前224年に王翦の裨将軍として楚軍を破り、翌年には王翦とともに楚王・負芻を捕らえて楚を滅ぼしました。生没年は不詳です。
史実で蒙武と汗明は戦いましたか?
戦っていません。史実の汗明には戦場に出た記録がなく、両者が交戦したという記述もありません。作中の一騎打ちは創作です。
合従軍編は何巻から何巻ですか?
単行本24巻から34巻にかけて描かれています。汗明と蒙武の決着はその中盤、29巻に収録されています。
まとめ
- 汗明は『キングダム』に登場する楚の大将軍で、合従軍では楚軍の総大将を務めた
- 汗明の最期は単行本29巻の第314話。蒙武に頭を砕かれて死亡した
- 一騎打ちには媧燐の指示による妨害が入り、蒙恬が割って入る形で決着した
- 史実の汗明は武将ではなく、『戦国策』楚策に登場する遊説家。塩車の憾みの故事で知られる
- 史実の蒙武は実在の秦の将軍で、紀元前224年から223年にかけて楚を滅ぼす戦いに加わった
名前だけを史料から借り、中身をまったく別の人物として作り直す。汗明はその手法がもっともはっきり表れた例です。史実の汗明が残した塩車の憾みという言葉を知ってから読み返すと、あの巨人の造形が違って見えてきます。
この記事について
執筆・編集: マンガノシラベ編集部
公式コミックスおよび公開されている史料をもとに作成しています。内容に誤りを見つけられた場合はお問い合わせよりご連絡ください。
