飛信隊組織図|1万5000人から6万への変遷と階級別一覧・史実の秦の軍制【キングダム】
この記事には『キングダム』本編の展開と、飛信隊メンバーの生死が含まれます。連載の進行状況は2026年8月時点(第884話まで)のものです。
『キングダム』の飛信隊は、たった百人の特殊部隊から始まり、いまや万単位の軍にまで膨れ上がった部隊です。そのため「飛信隊の組織図」を調べると、書かれている人数も役職もサイトによってばらばらという状態になっています。
原因ははっきりしています。飛信隊は連載の進行に合わせて何度も編成を組み替えており、組織図には「いつ時点のものか」という但し書きが必ず必要だからです。この記事では、人数の変遷を単行本の巻数とひもづけて整理したうえで、将軍昇格時の編成と2026年8月時点の編成を分けて示します。さらに、作中で使われる「百人将」「五百人将」「千人将」という階級が史実の秦にも存在したのかを、当時の文献に当たって確認しました。
結論
- よく出回っている組織図は「単行本59巻・将軍昇格時」のものです。この時点の飛信隊は李信軍1万と羌瘣軍5000をあわせた1万5000人でした。
- 現在はさらに大きくなっています。韓攻略の前後で六万規模へ拡大し、羌瘣は将軍、渕と楚水は五千人将に昇進しています。
- 史実の秦にも部隊長の階級はありました。『商君書』境内篇に百将・五百主・二五百主という指揮官の名が見えます。ただし「千人将」「五千人将」という語そのものは確認できませんでした。
飛信隊とはどんな部隊か

| 部隊名 | 飛信隊(ひしんたい) |
|---|---|
| 隊長 | 信(のちに李信の名を賜り将軍へ) |
| 命名者 | 大将軍・王騎 |
| 結成 | 単行本11巻前後の馬陽の戦い。王騎直轄の特殊百人隊として発足 |
| 軍師 | 河了貂 |
| 現在の規模 | 六万規模(2026年8月時点) |
| 現在の戦場 | 秦趙大戦 |
飛信隊という名は信が自称したものではなく、大将軍・王騎から与えられたものです。馬陽の戦いで敵将・馮忌を討てという特命を受けたとき、あわせて隊の名も授けられました。この「王騎直轄の特殊百人隊」という出発点が、以後の飛信隊の性格を決めています。正規の歩兵部隊ではなく、独立して動く遊軍として使われ続けるからです。
飛信隊の規模はどう変わったか
組織図を読むうえで最初に押さえるべきなのは人数の推移です。信の階級がそのまま部隊の兵数になる仕組みなので、階級の変化を追えば規模の変化がわかります。
| 時期 | 信の階級 | 兵数の目安 | 単行本・話数 |
|---|---|---|---|
| 蛇甘平原の戦いのあと | 百人将 | 100 | 単行本5巻前後の論功行賞 |
| 馬陽の戦い | 特殊百人将(飛信隊命名) | 100 | 単行本11巻前後 |
| 王騎の死後 | 特殊三百人将 | 300 | 単行本17巻前後 |
| 山陽攻略戦のあと | 千人将 | 1,000 | 23巻第243話「論功行賞」 |
| 合従軍戦のあと | 三千人将 | 3,000 | 33巻第355話 |
| 著雍攻略戦のあと | 五千人将 | 5,000 | 38巻第407話「五千人将」 |
| 鄴攻略戦のあと | 将軍 | 15,000 | 59巻第642話の論功行賞 |
| 韓攻略の前後 | 将軍(軍を大幅増強) | 60,000規模 | 単行本74巻前後 |
百人から六万まで、実に六百倍です。なお五千人将になる前に四千人将という段階も挟んでいますが、こちらは論功行賞の場面としては大きく描かれていません。
ここで注意したいのが、多くのまとめサイトが載せている数字の食い違いです。信の千人将昇格を「22巻」とする記述が広く出回っていますが、第243話「論功行賞」が収録されているのは23巻(240話から250話)です。同様に五千人将昇格も「406話」とされることがありますが、第406話のサブタイトルは「別れ」で、「五千人将」というタイトルが付いているのは第407話のほうです。数字を引用するときは巻の収録範囲まで確認したほうが安全です。
将軍昇格時の飛信隊組織図(単行本59巻時点)
検索して出てくる飛信隊の組織図は、ほとんどがこの時点のものです。鄴攻略戦の論功行賞で信・蒙恬・王賁の三人が同時に将軍へ任命され、飛信隊は李信軍1万と羌瘣軍5000をあわせた総勢1万5000人の軍になりました。
| 階級・役割 | メンバー |
|---|---|
| 将軍(隊長) | 信 |
| 軍師 | 河了貂 |
| 五千人将 | 羌瘣 |
| 千人将 | 渕、楚水、岳雷、我呂、那貴、田有、崇原 |
| 五百人将 | 田永、沛浪、竜川 |
| 二百人将 | 澤圭 |
| 百人将 | 竜有、尾平、中鉄 |
| 弓部隊(約800) | 蒼仁、蒼淡 |
| 偵察・伝令 | 石、義孝 |
この表で目を引くのが澤圭の「二百人将」という肩書です。飛信隊で唯一の二百人将であり、階級としては下位ですが、澤圭の伍は一度も死者を出していないという実績を持っています。信が初陣で組んだ伍の伍長でもあり、尾平と尾到、羌瘣とともに飛信隊の原型を作った人物です。
軍師の河了貂が正式に飛信隊軍師となったのは23巻第249話で、サブタイトルもそのまま「飛信隊軍師」です。信が千人将になった第243話のわずか六話後であり、隊の拡大と軍師の着任がほぼ同時だったことがわかります。
最新の飛信隊組織図(2026年8月時点)
59巻の組織図をそのまま「最新」として載せている記事が多いのですが、韓攻略の前後で編成は大きく変わっています。変化した部分だけを抜き出すと次のとおりです。
| メンバー | 59巻時点 | 現在 |
|---|---|---|
| 羌瘣 | 五千人将 | 将軍。独立した羌瘣軍を率いる |
| 渕 | 副長兼千人将 | 五千人将 |
| 楚水 | 副長兼千人将 | 五千人将 |
| 崇原 | 千人将 | 三千人将 |
| 田有 | 千人将 | 二千人将 |
| 我呂 | 千人将(赤飛麃隊) | 二千人将 |
| 沛浪 | 五百人将 | 副歩兵長兼二千人将 |
| 岳雷 | 千人将(黒飛麃隊) | 戦死。後任は満童 |
| 那貴 | 千人将 | 桓騎のもとへ向かい、飛信隊を離れる |
最大の変化は羌瘣です。飛信隊の副長から五千人将になり、さらに将軍へ昇進して自分の軍を持つに至りました。現在は飛信隊と羌瘣軍という二つの軍が並び立つ形になっており、秦趙大戦では飛信隊・羌瘣軍・楽華隊が連携して動く場面が描かれています。副長格だった渕と楚水が五千人将になったのも、羌瘣が抜けた穴を埋める形での昇進と読めます。
ひとつ断っておくと、六万という総数の内訳を「李信軍4万・羌瘣軍2万」と紹介する記事が複数ありますが、当サイトではこの分け方の公式な明記を確認できませんでした。総数が六万規模であることと、李信軍と羌瘣軍という二本立てになっていることまでを確かな情報として扱っています。
飛信隊で戦死した主なメンバー
組織図から名前が消えた理由の多くは戦死です。生存者と混同されやすいので、確認できた巻数とあわせて整理します。
| 名前 | 戦い | 最期 | 単行本・話数 |
|---|---|---|---|
| 尾到 | 馬陽の戦い | 重傷のまま信を背負って戦場を離脱し、力尽きる | 14巻第148話 |
| 松左 | 朱海平原の戦い | 新兵をかばって致命傷を負う | 55巻第595話 |
| 去亥 | 朱海平原の戦い | 李牧本陣へ攻め込んだ際に龐煖に討たれる | 鄴攻略戦の終盤 |
| 那貴 | 宜安をめぐる戦い | 桓騎のもとへ戻る道を選ぶ | 69巻第752話「聖地へ」 |
| 岳雷 | 宜安をめぐる戦い | 青歌軍への突撃の最中に討たれる | 72巻収録 |
混同されやすい点を二つ補足します。まず松左が死亡したのは朱海平原の戦いであって、黒羊丘ではありません。次に那貴については、桓騎のもとへ向かう場面は描かれているものの、死亡がどこまで明示されたかについては読み手によって解釈が分かれています。当サイトでは断定を避け、飛信隊の編成から外れたという事実までを記しています。
逆に、戦死したと誤解されやすいのが田有です。67巻第731話で瀕死の重傷を負いますが治療を受けて生還しており、現在は二千人将として健在です。
史実では? 秦に千人将や五百人将はいたのか
ここからが本題です。作中で当たり前のように使われる「百人将」「五百人将」「千人将」は、史実の秦に実在した階級なのでしょうか。
『商君書』境内篇に見える指揮官の階級
秦の軍制を伝える文献のひとつが『商君書』の境内篇です。ここには部隊の規模ごとに置かれた指揮官の名が並んでいます。
| 史実の呼称 | 率いる人数 | 作中の対応 |
|---|---|---|
| 屯長 | 小部隊の長 | 伍長・什長の上位にあたる下級指揮官 |
| 百将 | 100人 | 百人将 |
| 五百主 | 500人 | 五百人将 |
| 二五百主 | 1,000人(五百主二つ分) | 千人将 |
つまり百人隊と五百人隊、千人隊という区切り自体は史実に根拠があります。千人隊の長を「二五百主」、すなわち五百人隊二つ分の長と呼んでいたのが面白いところで、五百人が編成上の基本単位だったことがうかがえます。一方で、「三千人将」「四千人将」「五千人将」に対応する制度上の呼称は、当サイトで確認できた範囲では史料に見当たりませんでした。信が五千人将から将軍へ上がっていく過程は、作品が物語のために設けた刻みと考えるのが妥当です。
部隊長は自分の首級では出世できなかった
秦の軍功評価には、組織図を考えるうえで見逃せない規定がありました。境内篇によれば、百将と屯長は個人が敵の首を取っても功として数えられず、率いる部隊が三十三以上の首級を挙げて初めて基準を満たし、爵位を一級与えられたとされています。
兵一人が首一つで爵一級を得られるのに対し、部隊長だけは隊全体の成果でしか評価されない仕組みです。個人の武勇ではなく、部隊をどう機能させたかで昇進が決まる。飛信隊が信個人の強さだけでなく「隊としての戦果」で階級を上げていく描写は、この史実の評価軸とよく重なります。
爵位と役職は別のものだった
秦では商鞅の変法によって二十等爵制が敷かれていました。下から公士、上造、簪褭、不更、大夫と続き、最上位は徹侯です。この爵位が身分と待遇を決めるもので、将軍や百将といった役職とは別の体系でした。
作中では「五千人将から将軍へ」という役職の上昇が昇進として描かれますが、史実の秦の兵士にとってより切実だったのは爵位のほうです。爵位が上がれば田宅が与えられ、罪を減じることもできました。首級の数がそのまま生活の質に直結する制度だったわけです。
漫画と史実の違い
| 項目 | 『キングダム』 | 史実 |
|---|---|---|
| 百人隊の長 | 百人将 | 百将(『商君書』境内篇) |
| 五百人隊の長 | 五百人将 | 五百主 |
| 千人隊の長 | 千人将 | 二五百主 |
| 三千人将・五千人将 | 将軍の手前の段階として設定 | 対応する制度上の呼称は確認できない |
| 昇進の決まり方 | 戦後の論功行賞で階級と兵数が上がる | 首級の数で爵位が上がる。部隊長は隊で三十三首以上が条件 |
| 身分の表し方 | 何人将という兵数で示される | 二十等爵の等級で示される |
| 李信の兵力 | 将軍昇格時に1万5000 | 『史記』に、楚攻めで二十万を率いたという記述がある |
| 隊員の名前 | 渕、楚水、田有など多数 | 部隊内部の兵の名は記録に残っていない |
なぜ飛信隊の組織図はここまで細かく描かれるのか
史書は国家の動きを記録するものなので、将軍の名と戦いの結果は残っても、その部隊に誰がいたかまでは書かれません。李信という将軍が実在したことは記録から確認できても、その配下の顔ぶれは完全な空白です。
『キングダム』はこの空白を、階級という縦の構造で埋めています。伍から百人隊、千人隊へと積み上がっていく秦の軍制は、そのまま登場人物の成長を測る目盛りになります。誰が何人将になったかを追うだけで、その人物がどれだけ生き延び、どれだけ武功を重ねたかがわかる仕組みです。
組織図が読者にとって面白いのは、それが単なる名簿ではなく、生き残った者の記録だからでしょう。表から消えた名前の一つひとつに戦いがあり、繰り上がった名前の一つひとつに昇進があります。
飛信隊の組織図に関するよくある質問
飛信隊は今何人いますか?
2026年8月時点で六万規模です。李信が率いる本隊と、将軍に昇進した羌瘣が率いる羌瘣軍に分かれています。内訳の正確な数字は公式に明記されたものを確認できていません。
よく見る飛信隊の組織図はいつのものですか?
ほとんどが単行本59巻、信が将軍に昇格した時点のものです。総勢1万5000人で、羌瘣が五千人将として載っている図がこれにあたります。現在の編成とは異なります。
飛信隊の軍師は誰ですか?
河了貂です。23巻第249話で正式に飛信隊軍師となりました。サブタイトルもそのまま「飛信隊軍師」です。
飛信隊の副長は誰ですか?
渕と楚水が副長格を務めてきました。二人とも現在は五千人将に昇進しています。羌瘣もかつては副長でしたが、現在は将軍として独立した軍を率いています。
信が将軍になったのは何巻何話ですか?
59巻第642話の論功行賞です。この場で信、蒙恬、王賁の三人が同時に将軍へ任命されました。59巻は第636話から第646話までを収録しています。
信が千人将になったのは何巻ですか?
23巻第243話「論功行賞」です。22巻と紹介されることがありますが、23巻の収録範囲は第240話から第250話なので、243話は23巻に入ります。
飛信隊で戦死したのは誰ですか?
名前が判明している主な戦死者は、尾到(14巻第148話)、松左(55巻第595話)、去亥(朱海平原の戦い)、岳雷(72巻収録の宜安をめぐる戦い)です。ほかにも多数の隊員が命を落としています。
亜花錦は飛信隊のメンバーですか?
違います。亜花錦の所属は王賁が率いる玉鳳軍で、飛信隊ではありません。飛信隊の組織図に名前が載ることはありません。
史実の秦に千人将という階級はありましたか?
「千人将」という語そのものは確認できませんでした。ただし千人を率いる指揮官は存在し、『商君書』境内篇では「二五百主」と呼ばれています。百人隊の長は「百将」、五百人隊の長は「五百主」です。
飛信隊の弓部隊は誰が率いていますか?
蒼仁と蒼淡の兄弟です。約800人の弓兵を率いており、鄴攻略戦以降は飛信隊の主要な戦力の一つになっています。二人に対応する史実の記録はありません。
まとめ
- 飛信隊は百人の特殊部隊から始まり、現在は六万規模の軍になっている
- 広く出回っている組織図は59巻・将軍昇格時のもので、総勢1万5000人の編成
- 現在は羌瘣が将軍、渕と楚水が五千人将、崇原が三千人将に昇進している
- 信の千人将昇格は23巻第243話、五千人将は38巻第407話、将軍は59巻第642話
- 史実の秦には百将・五百主・二五百主という指揮官がいたが、千人将や五千人将という呼称は確認できない
飛信隊の組織図を見るときは、まずその図が何巻時点のものかを確かめてください。人数と役職が合わないのは情報が間違っているからではなく、部隊そのものが変わり続けているからです。名簿が更新されるたびに、そこには昇進した者と、名前が消えた者がいます。
この記事について
執筆・編集: マンガノシラベ編集部
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