合従軍編は25巻262話から33巻352話|参加5カ国と将軍一覧・函谷関から蕞まで【キングダム】
この記事には『キングダム』単行本24巻から33巻にあたる合従軍編の展開と結末が含まれます。
『キングダム』の合従軍編は、秦一国に対して五つの国が同時に攻め込むという、作中最大規模の戦いです。単行本では24巻の終盤から33巻までを占め、秦は建国以来の滅亡の危機に立たされます。
この記事では、合従軍に参加した五カ国とそれぞれの将軍を一人ずつ整理し、結成の経緯から函谷関、蕞の防衛戦、そして撤退までの流れをまとめます。あわせて、史実で実際に四度行われた合従軍による秦攻めについても調べました。
結論
- 合従軍は楚・趙・魏・韓・燕の五カ国です。斉は参加していません。名目上の総大将は楚の春申君で、実際の作戦を立てたのは趙の李牧です。
- 戦いは函谷関と蕞の二段構えでした。函谷関で秦が持ちこたえている間に、李牧は別動隊で山を越え、首都・咸陽の手前にある蕞を突きます。
- 史実でも紀元前241年に五カ国の合従軍が函谷関を攻め、敗走しています。これが戦国時代における最後の合従軍でした。
合従軍編の基本情報

| 収録巻 | 単行本24巻終盤から33巻 |
|---|---|
| 開戦の話数 | 25巻262話「超大国の侵攻」 |
| 年代 | 紀元前241年 |
| 参加国 | 楚・趙・魏・韓・燕の五カ国 |
| 名目上の総大将 | 楚の春申君(戦国四君の一人) |
| 実質的な立案者 | 趙の李牧 |
| 主な戦場 | 函谷関、蕞 |
| 結末 | 李牧の判断で合従軍が撤退。秦は滅亡を免れる |
合従とは、秦以外の国が縦に手を結んで秦に対抗する外交戦略のことです。作中の合従軍も、単独では秦に勝てなくなった国々が寄り集まって成立しました。
合従軍に参加した五カ国と将軍一覧
| 国 | 兵力 | 総大将 | 主な将軍 |
|---|---|---|---|
| 楚 | 15万 | 汗明 | 臨武君、媧燐、項翼、白麗 |
| 趙 | 12万 | 李牧(全体の実質指揮) | 龐煖、慶舎、万極 |
| 燕 | 12万 | オルド | オルド麾下の騎馬部隊 |
| 魏 | 10万 | 呉鳳明 | 魏の攻城兵器部隊 |
| 韓 | 5万 | 成恢 | 毒兵器「轟丹丸」を運用 |
楚 十五万 総大将・汗明
五カ国のなかで最大の兵力を出したのが楚です。総大将の汗明は楚の大将軍で、蒙武との一騎打ちの末に討ち取られました。配下には剣の達人・臨武君、女将軍・媧燐、若手の項翼と白麗がいます。臨武君は騰との一騎打ちに敗れています。
趙 十二万 実質指揮・李牧
趙は兵力では最大ではありませんが、合従軍そのものを構想したのが趙三大天の李牧です。同じ三大天の龐煖は麃公との一騎打ちで麃公を討ち取りました。李牧の現在の状況については李牧は死亡する?で詳しく扱っています。
燕 十二万 総大将・オルド
燕は北方の国で、オルドが率いる騎馬戦力を投入しました。函谷関の北側の山岳地帯に展開し、王翦軍と対峙します。
魏 十万 総大将・呉鳳明
魏の若き総大将・呉鳳明は、攻城兵器の設計と運用に長けた人物です。函谷関の正面に据えられ、蒙驁・張唐・桓騎らが守る関の本体を攻め立てました。
韓 五万 総大将・成恢
韓は兵力が最も少ない五万でしたが、毒兵器を投入します。成恢が使った「轟丹丸」は即効性がなく、八日目に効き始める遅効性の毒でした。成恢は張唐の本陣突撃を受けて斬られますが、その毒に冒された張唐も後日、命を落とします。
合従軍編の流れ
結成の経緯
秦の急速な拡大に危機感を抱いた各国が、李牧の呼びかけによって手を結びます。名目上の総大将には楚の春申君が立ちましたが、戦場での作戦を組み立てたのは李牧でした。参加を見送った斉を除く五カ国が動きます。
函谷関攻防戦
秦は函谷関に戦力を集中し、四つの戦区に分けて迎え撃ちました。
| 秦軍 | 対戦相手 |
|---|---|
| 王翦軍 | 燕・オルド軍(北側の山岳地帯) |
| 蒙驁・張唐・桓騎軍 | 魏・呉鳳明軍(函谷関本体) |
| 騰・蒙武軍 | 楚・汗明軍 |
| 麃公軍 | 趙軍 |
この局面の細かい経過については函谷関の戦いの記事で個別に解説しています。関は最後まで落ちませんでした。
蕞の防衛戦
李牧の狙いは函谷関を落とすことではありませんでした。関で秦の主力を釘付けにしたうえで、別動隊を率いて山を越え、首都・咸陽の手前にある小城・蕞を急襲します。
蕞にはまともな兵がいませんでした。そこで秦王・嬴政が自ら城に入り、住民を集めて武器を取らせます。信も加わり、老人や女性を含む住民が七日間にわたって趙軍の攻撃を凌ぎました。
撤退
限界が近づいたところで、楊端和が率いる山の民が援軍として到着します。これを見た李牧は、これ以上の攻略は不可能と判断して全軍の撤退を決めました。合従軍は秦を滅ぼすという目的を果たせないまま解体します。楊端和については楊端和は死亡する?もあわせてどうぞ。
合従軍編で死亡した主な武将
| 人物 | 所属 | 結末 |
|---|---|---|
| 麃公 | 秦 | 龐煖との一騎打ちで討たれる。信に自らの盾を託す |
| 張唐 | 秦 | 成恢の毒に冒され、その後の戦場で命を落とす |
| 汗明 | 楚 | 蒙武との一騎打ちで討ち取られる |
| 臨武君 | 楚 | 騰との一騎打ちに敗れる |
| 成恢 | 韓 | 本陣に突撃してきた張唐に斬られる |
| 万極 | 趙 | 信に討たれる |
史実では? 合従軍は四度あった
合従軍は『キングダム』の創作ではありません。史実の戦国時代には、秦以外の国が連合して秦を攻める「合従攻秦の戦い」が四度記録されています。
| 年 | 参加国 | 合従軍の指揮 | 結果 |
|---|---|---|---|
| 紀元前318年 | 楚・韓・趙・魏・燕・義渠 | 楚の懐王 | 秦軍の勝利 |
| 紀元前298年から296年 | 斉・韓・魏 | 斉の匡章 | 合従軍の勝利 |
| 紀元前247年 | 魏・趙・韓・燕・楚 | 魏の信陵君 | 合従軍の勝利(河外の戦い) |
| 紀元前241年 | 趙・楚・魏・韓・燕 | 楚の考烈王 | 秦軍の勝利 |
作中に対応する紀元前241年の合従
『キングダム』の合従軍編に対応するのは、この表の最後にあたる紀元前241年の戦いです。趙・楚・魏・韓・燕の五カ国という顔ぶれは作中とまったく同じです。
名目上の縦長は楚の考烈王で、実務を取り仕切ったのが春申君でした。合従軍は秦の寿陵を取ったのち函谷関を攻めますが、秦軍の反撃を受けて敗走します。この年、楚は郢から寿春へ遷都しており、そのため大軍を出せなかったとみられています。
秦側の全軍の総指揮を執ったのは、当時権力を握っていた相邦の呂不韋と考えられています。そしてこの戦いが、戦国時代における最後の合従軍による秦攻めとなりました。以降、六国は次々に秦へ併合され、紀元前221年に統一が成ります。
合従策を考えた蘇秦
そもそも合従という考え方を広めたのは、縦横家の蘇秦です。蘇秦は秦以外の六国を縦に結ぶ同盟を説いて回り、同盟が成立すると六国の宰相を兼ねたと伝えられています。
これに対して、秦の宰相となった張儀は、各国が個別に秦と結ぶ「連衡策」を唱えて合従を切り崩しました。合従連衡という言葉はここから来ています。作中で李牧が各国をまとめるために苦心する描写は、この歴史的な文脈の上に置かれたものです。
漫画と史実の違い
| 項目 | 『キングダム』 | 史実 |
|---|---|---|
| 参加国 | 楚・趙・魏・韓・燕の五カ国 | 同じ五カ国 |
| 名目上の総大将 | 楚の春申君 | 縦長は楚の考烈王。実務を春申君が担当 |
| 作戦立案 | 趙の李牧 | 李牧が関与したという記録は確認できない |
| 秦側の指揮 | 昌平君が総指揮。各将軍が戦区を担当 | 相邦の呂不韋が総指揮を執ったと考えられている |
| 蕞の防衛戦 | 嬴政が自ら出陣し住民が七日間耐える | 該当する記録は確認できない |
| 楚の兵力 | 五カ国で最大の十五万 | 遷都の年にあたり大軍は出せなかったとみられる |
なぜ合従軍編は代表的なエピソードとされるのか
合従軍編が特別なのは、秦が攻める側ではなく守る側に回る唯一の大規模戦だからです。それまで領土を広げてきた側が、初めて自国の存亡を賭けます。
さらに蕞の防衛戦では、王が自ら前線に立ち、兵ではない住民が武器を取ります。中華統一という目標が、王一人の野心ではなく、そこで暮らす人々の生存と結びつく形で描かれました。
史実の紀元前241年の合従が秦の勝利で終わり、それが最後の合従になったという事実も効いています。この一戦を凌いだことで、秦を止められる枠組みが二度と作られなくなった。作中の勝利には、統一へ向かう流れが決定的になった瞬間という意味があります。
アニメでは第何シリーズか
この戦役は、アニメでは第3シリーズにあたります。
| 主な巻 | 27巻 |
|---|---|
| アニメ | 第3シリーズ |
| そのシリーズの内容 | 合従軍編。函谷関の攻防と蕞の防衛戦 |
アニメは原作の話をそのまま順番に並べているわけではありません。巻の区切りとシリーズの区切りは完全には一致しないため、目安として捉えてください。
シリーズごとの原作範囲はアニメと原作の対応表にまとめています。
合従軍編に関するよくある質問
合従軍編は何巻から何巻までですか?
単行本24巻の終盤から33巻までです。本格的な開戦は25巻262話「超大国の侵攻」からになります。
合従軍に参加したのは何カ国ですか?
楚・趙・魏・韓・燕の五カ国です。戦国七雄のうち秦と斉を除いた国々で、斉は合従軍に加わっていません。
合従軍の総大将は誰ですか?
名目上の総大将は楚の春申君です。ただし作戦を立案し、実際の戦場で全体を動かしたのは趙の李牧でした。
各国の総大将を教えてください。
楚が汗明、魏が呉鳳明、燕がオルド、韓が成恢です。趙は李牧が全体の指揮を執り、龐煖や慶舎らが将として動きました。
合従軍編で死亡した秦の将軍は誰ですか?
麃公と張唐です。麃公は龐煖との一騎打ちで討たれ、張唐は韓の成恢が使った遅効性の毒に冒されて命を落としました。
蕞の戦いとは何ですか?
函谷関を迂回した李牧の別動隊が、咸陽の手前にある小城・蕞を襲った戦いです。兵がいないため秦王・嬴政が自ら出陣し、住民が七日間にわたって防ぎ切りました。
合従軍はなぜ撤退したのですか?
蕞が落ちる直前に楊端和率いる山の民が援軍として到着したためです。これを見た李牧が攻略は不可能と判断し、全軍に撤退を命じました。
史実にも合従軍はありましたか?
あります。合従攻秦の戦いは四度記録されており、作中に対応するのは紀元前241年の戦いです。趙・楚・魏・韓・燕という顔ぶれも作中と同じです。
史実の合従軍はどうなりましたか?
紀元前241年の合従軍は秦の寿陵を取ったあと函谷関を攻めますが、秦軍の反撃を受けて敗走しました。これが戦国時代最後の合従軍による秦攻めです。
合従策を考えたのは誰ですか?
縦横家の蘇秦です。秦以外の六国を縦に結ぶ同盟を説いて回り、同盟成立時には六国の宰相を兼ねたと伝えられています。これに対抗して秦の張儀が連衡策を唱えました。
まとめ
- 合従軍編は単行本24巻終盤から33巻まで。開戦は25巻262話
- 参加国は楚・趙・魏・韓・燕の五カ国で、斉は不参加
- 名目上の総大将は楚の春申君だが、実際の指揮は趙の李牧
- 秦側は麃公と張唐を失い、合従軍側は汗明・臨武君・成恢・万極らを失った
- 史実でも紀元前241年に同じ五カ国が函谷関を攻め、敗走している
五カ国が同時に攻め込んでもなお秦は落ちませんでした。史実でこれが最後の合従になったという事実を知って読み直すと、この戦いが統一への分岐点だったことがよくわかります。
この記事について
執筆・編集: マンガノシラベ編集部
公式コミックスおよび公開されている史料をもとに作成しています。内容に誤りを見つけられた場合はお問い合わせよりご連絡ください。
