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ネタバレ注意
この記事には『キングダム』本編の展開と、史実にもとづく今後の予測が含まれます。連載の進行状況は2026年8月時点のものです。

『キングダム』の主題は中華統一です。では、秦はどの国からどの順番で滅ぼしていったのか。この記事では、戦国七雄と呼ばれた七つの国を一国ずつ整理し、滅亡した順番と年を年表にまとめます。

滅亡の順番は韓、趙、魏、楚、燕、斉です。ここには歴史の必然があります。地理的にどこから手をつけるのが合理的だったのか、なぜ斉が最後まで残ったのか。作中でどこまで描かれたのかも含めて解説します。

結論

  • 滅亡順は韓、趙、魏、楚、燕、斉です。紀元前230年の韓に始まり、紀元前221年の斉で中華統一が完成します。
  • 覚え方は「艦長が偽装して遠征で死んだ」。艦長で韓と趙、偽装で魏と楚、遠征で燕と斉、最後の死んだで秦を表します。
  • 2026年8月時点の『キングダム』は趙攻略戦の途中です。韓の攻略はすでに終わり、単行本79巻から紀元前229年の趙完全攻略戦に入っています。

戦国七雄とは

古い記録文書が並ぶ書架のイメージ
戦国七雄の記録は『史記』などの史書に残されています(画像はイメージです)

戦国七雄とは、中国の戦国時代に並び立った七つの大国を指します。秦、楚、斉、燕、趙、魏、韓の七国です。

戦国時代の始まりは、紀元前403年とするのが一般的です。この年、趙・魏・韓の三氏が周王朝から正式に諸侯として認められました。もともとこの三家は晋という大国の家臣でしたが、紀元前453年に智氏を滅ぼして晋の領地を分け合い、事実上の独立国となっていました。この三国は「三晋」と呼ばれます。

斉でも似たことが起きています。紀元前386年、家臣であった田氏の田和が周の安王によって諸侯に列せられ、斉の君主となりました。太公望の子孫にあたる姜氏の斉は、紀元前379年に康公が没して断絶します。

国名 読み 首都 位置
しん 咸陽 西方。現在の陝西省
郢、のちに陳・寿春 南方。長江流域の広大な領域
せい 臨淄 東方。現在の山東省
えん 北東。現在の北京付近
ちょう 邯鄲 北方。現在の河北省南部
安邑、のちに大梁 中央。現在の河南省開封付近
かん 陽翟、のちに新鄭 中央。七雄で最も領土が狭い

戦国七雄の覚え方

七国を覚えるための語呂合わせがいくつか知られています。

語呂 並び 用途
しんそせいえんちょうぎかん 秦・楚・斉・燕・趙・魏・韓 最も基本的な並び。国名を順に音読みするだけ
艦長が偽装して遠征で死んだ 韓・趙・魏・楚・燕・斉・秦 滅亡した順番。最後の「死んだ」は生き残った秦
え、あの清楚な神官が議長に 燕・斉・楚・秦・韓・魏・趙 燕を起点に地図を時計回りにたどる並び

使い分けると便利です。テストで七国の名前を並べるだけなら「しんそせいえんちょうぎかん」で足ります。滅亡の順番まで問われるなら「艦長が偽装して遠征で死んだ」が効きます。地図上の位置関係を押さえたいときは三つ目です。

戦国七雄を一国ずつ解説

秦(しん)

西方の国です。もともと中原の国々からは辺境の国として軽んじられていましたが、紀元前356年ごろから商鞅による法治改革を進め、国力を一気に高めました。首都は咸陽です。

秦の強みは、東側を函谷関という要害で守れる地形にありました。攻められにくく、攻めに出るときだけ関を開けばよい。この地理的優位が、長期戦を戦い抜く土台になっています。最終的に六国すべてを滅ぼし、紀元前221年に中華を統一しました。

楚(そ)

南方の大国です。長江流域に広大な領土を持ち、七雄のなかで面積は最大でした。首都は郢でしたが、秦の圧迫を受けて陳、さらに寿春へと東へ移していきます。

領土が広い一方、貴族の力が強く中央集権化が進まなかったことが弱点でした。滅亡は紀元前223年。秦は当初、李信に二十万を与えて攻めさせましたが、項燕の奇襲を受けて大敗します。改めて王翦が六十万を率いて攻め、ようやく併合しました。

斉(せい)

東方の国です。首都は臨淄。海に面し、塩と鉄の利で富み、七雄のなかでも屈指の経済力を持っていました。学者を集めた稷下の学士でも知られます。

紀元前284年、燕の楽毅を中心とする連合軍に攻められて一度は滅亡寸前まで追い込まれ、田単の活躍で復国します。しかしこの打撃から完全には立ち直れませんでした。以後は秦と友好を保つ方針をとり、他国が滅ぼされるのを傍観します。その結果、最後まで戦火を免れた代わりに、紀元前221年、孤立した状態であっけなく降伏しました。

燕(えん)

最も北東に位置する国です。首都は薊、現在の北京の付近にあたります。七雄のなかでは国力が低い部類でしたが、昭王の時代に楽毅を得て斉を破るという最大の見せ場を作りました。

秦との関係で有名なのが、紀元前227年の荊軻による始皇帝暗殺未遂です。太子丹が送り込んだ刺客が失敗したことで、秦の報復を招きました。首都を落とされた燕王喜は遼東へ逃れ、太子丹の首を差し出して和睦を願いますが、紀元前222年に王賁の軍によって滅ぼされます。

趙(ちょう)

北方の国で、首都は邯鄲。三晋のひとつです。武霊王が北方遊牧民の装備と戦法を取り入れた胡服騎射によって軍を強化し、秦に対抗できる唯一の軍事大国となりました。

転機は紀元前262年から260年にかけての長平の戦いです。秦の白起に敗れ、捕虜となった趙兵四十万が生き埋めにされたと伝えられます。この一戦で趙の国力は決定的に落ちました。それでも廉頗や李牧といった名将を輩出し、秦を苦しめ続けます。滅亡は紀元前228年、王翦らによって邯鄲が陥落し、幽繆王が捕らえられました。李牧の最期については李牧の記事で詳しく扱っています。

魏(ぎ)

中央に位置する三晋のひとつです。戦国時代の初期には最強国でした。文侯のもとで李悝の改革が行われ、呉起が軍を率いて秦から西河の地を奪っています。

しかし紀元前4世紀後半に斉との戦いで大敗し、以後は衰退の一途をたどります。首都は安邑から東の大梁へ移されました。滅亡は紀元前225年。王賁が大梁を包囲し、黄河の水を引き入れる水攻めによって陥落させ、魏王假が降伏しています。

韓(かん)

三晋のひとつで、七雄のなかで最も領土が狭く、国力も低い国でした。首都は陽翟から新鄭へ移されています。ただし宜陽など優れた鉄の産地を抱えており、韓の武器は質が高いと評されました。

申不害による改革で一時は安定しますが、秦と魏と楚に囲まれた地理は致命的でした。七雄のなかで最初に滅ぼされます。紀元前230年、内史騰が十万の軍を率いて新鄭を攻め落とし、韓王安が降伏しました。

戦国七雄の滅亡順と年表

秦が六国を滅ぼした順番と年を整理します。

滅亡年 攻めた秦の将 最後の王 経緯
1 紀元前230年 内史騰 韓王安 新鄭を落とされ、韓王安が降伏
2 紀元前228年 王翦ら 幽繆王 邯鄲が陥落し、幽繆王が捕虜となる
3 紀元前225年 王賁 魏王假 大梁に籠城するも水攻めを受けて降伏
4 紀元前223年 王翦・蒙武 負芻 李信の敗戦を経て、王翦の大軍により併合
5 紀元前222年 王賁 燕王喜 遼東へ逃れていたところを討たれる
6 紀元前221年 王賁 斉王建 不意を突かれて軍が瓦解し、降伏

この順番になった理由

滅亡順は、おおむね秦から見て近い国から遠い国へという並びになっています。

要素 内容
距離 韓と趙と魏は秦のすぐ東にある。補給線が短く、攻めやすい
国力 最初に滅ぼされた韓は七雄で最も小さい。手堅く一国を消して足場を作る発想
脅威度 趙は軍事的に最大の脅威だった。韓を落とした直後に趙を狙ったのは、後回しにできなかったため
外交 斉は秦と友好関係を保ち続けたため、最後まで攻められなかった

斉が最後になったのは、地理的に最も遠かったことに加え、秦の外交策が効いていたからです。他国が攻められているあいだ、斉は援軍を出しませんでした。結果として六国のなかで唯一まともな戦いをせずに滅んでいます。

そのあと秦はどうなったか

統一を果たした秦も長くは続きませんでした。紀元前210年に始皇帝が巡幸中に急死すると各地で反乱が起こり、紀元前207年に劉邦の軍が咸陽に迫ります。紀元前206年、秦王子嬰が降伏して秦は滅びました。統一からわずか十五年ほどのことです。

できごと
紀元前403年 趙・魏・韓が周王朝から諸侯として認められる。戦国時代の始まり
紀元前386年 斉で田和が諸侯となり、田氏の斉が成立する
紀元前260年 長平の戦い。趙が秦に大敗し、国力を失う
紀元前230年 韓が滅亡
紀元前228年 趙が滅亡。王族の一部は代へ逃れる
紀元前227年 荊軻による秦王暗殺未遂
紀元前225年 魏が滅亡
紀元前223年 楚が滅亡
紀元前222年 燕と代が滅亡
紀元前221年 斉が滅亡。秦王政が始皇帝を名乗る
紀元前210年 始皇帝が巡幸中に急死
紀元前206年 子嬰が劉邦に降伏し、秦が滅亡

『キングダム』では今どこまで描かれたのか

2026年8月時点の連載は、趙の完全攻略戦にあたります。

韓の攻略はすでに決着しています。史実で韓を滅ぼしたのは内史騰であり、作中でも騰が総大将として韓攻略の指揮を執りました。単行本78巻までにこの戦いが終わり、79巻から紀元前229年の趙攻略戦が始まっています。

史実の出来事 作中の進行状況
紀元前230年 韓の滅亡 描かれた。騰が総大将として新鄭を攻略
紀元前229年から228年 趙侵攻と滅亡 進行中。79巻から趙完全攻略戦
紀元前227年 荊軻の暗殺未遂 未到達
紀元前225年 魏の滅亡 未到達
紀元前223年 楚の滅亡 未到達
紀元前222年 燕の滅亡 未到達
紀元前221年 斉の滅亡と統一 未到達

史実の流れをふまえると、残りは四国と代です。趙が落ちれば、物語は後半戦に入ります。趙攻略の中心にいる王翦については王翦の記事で詳しく整理しています。

漫画と史実の違い

項目 『キングダム』 史実
韓の滅亡 騰が総大将として大規模な会戦を経て新鄭を攻略 内史騰が十万を率いて新鄭を落とし、韓王安を捕らえたとだけ記される
趙の滅亡 李牧との決着が最大の焦点として描かれる見込み 李牧は戦死ではなく、郭開の讒言により趙王に殺された
楚攻めの失敗 未描写 李信が二十万で攻めて項燕に大敗。王翦が六十万で改めて攻めた
斉の滅亡 未描写 ほとんど戦わずに降伏している
登場人物 信、羌瘣、王騎など創作および大幅に脚色された人物が多い 史書の記述は将軍名と年、結果が中心で、個人の描写は少ない

史書の記述は驚くほど簡潔です。国が一つ滅ぶ出来事が、数行で片づけられていることも珍しくありません。『キングダム』はその数行の空白を、人物の動機と戦術で埋めていく作品だと言えます。

なぜ秦が六国を滅ぼせたのか

秦が勝った理由は一つではありませんが、大きくは三つに整理できます。

第一に地理です。函谷関という一点を押さえれば東からの侵攻を止められる位置にあり、負けても致命傷になりにくい構造でした。六国が合従して攻めてきても、この関で止めています。

第二に制度です。商鞅の改革によって、身分ではなく戦功で地位が決まる仕組みが作られました。農業と軍事に資源を集中させる法体系も整えられています。楚のように貴族の力が強い国とは、動員のしやすさが違いました。

第三に外交です。秦は六国が手を組むことを何より恐れ、離間の計を繰り返し用いました。趙の李牧が郭開の讒言で殺されたのも、斉が最後まで傍観に回ったのも、この外交の産物です。戦場で勝つ前に、相手が団結できない状況を作る。これが秦の一貫した方針でした。

そして統一のわずか十五年後に秦自身が滅びます。六国を倒した強さと、統一後の統治のあいだにあった落差が、この時代の後味を複雑なものにしています。

アニメではまだ描かれていない

この場面は単行本79巻にあたります。

2026年8月の時点で、アニメはここまで進んでいません。第6シリーズが鄴攻略編の序盤から中盤までを描いた段階で、続きは続編で扱われることになります。

単行本 79巻
アニメ 2026年8月時点で未放送
放送済みの最新 第6シリーズ。原作46巻の第490話から朱海平原の戦いの中盤まで

続編の制作は決定していますが、放送時期は公表されていません。シリーズごとの原作範囲はアニメと原作の対応表にまとめています。

戦国七雄に関するよくある質問

戦国七雄が滅びた順番は?

韓、趙、魏、楚、燕、斉の順です。紀元前230年の韓から始まり、紀元前221年の斉で秦の中華統一が完成しました。

戦国七雄の覚え方はありますか?

国名を並べるだけなら「しんそせいえんちょうぎかん」で秦・楚・斉・燕・趙・魏・韓です。滅亡順なら「艦長が偽装して遠征で死んだ」で韓・趙・魏・楚・燕・斉・秦の並びになります。

なぜ韓が最初に滅ぼされたのですか?

七雄で最も領土が狭く国力が低かったうえ、秦のすぐ東に位置していたためです。補給線が短く、確実に落とせる相手から手をつけるのは合理的な選択でした。

なぜ斉が最後まで残ったのですか?

地理的に秦から最も遠かったことに加え、秦と友好関係を保ち続けたためです。他国が攻められても援軍を出さず、結果として最後に孤立し、ほとんど戦わずに降伏しました。

趙はいつ滅亡しましたか?

紀元前228年です。王翦らの軍が首都邯鄲を陥落させ、幽繆王が捕らえられました。ただし王族の一部は代へ逃れ、代は紀元前222年まで存続しています。

魏はどうやって滅ぼされたのですか?

紀元前225年、王賁が首都大梁を包囲し、黄河の水を引き入れる水攻めを行いました。籠城していた魏王假が降伏しています。

楚の滅亡はなぜ手こずったのですか?

領土が広く、項燕という将がいたためです。李信が二十万で攻めて大敗し、改めて王翦が六十万を率いて攻め、紀元前223年に併合しました。

燕が滅んだきっかけは何ですか?

紀元前227年の荊軻による秦王暗殺未遂が引き金です。報復を受けて首都薊を落とされ、遼東へ逃れた燕王喜が紀元前222年に王賁の軍に討たれました。

『キングダム』は史実のどこまで描かれていますか?

2026年8月時点で趙の完全攻略戦の途中です。韓の攻略はすでに終わっており、単行本79巻から紀元前229年の趙攻略戦に入っています。

秦は統一後どうなりましたか?

紀元前210年に始皇帝が急死すると各地で反乱が起こり、紀元前206年に子嬰が劉邦に降伏して滅びました。統一から十五年ほどの短命な王朝でした。

まとめ

  • 戦国七雄は秦・楚・斉・燕・趙・魏・韓の七国
  • 滅亡順は韓、趙、魏、楚、燕、斉。紀元前230年から221年の十年間で決着した
  • 覚え方は「艦長が偽装して遠征で死んだ」が滅亡順に対応する
  • 順番は秦から近い順であり、最後の斉は外交で孤立させられていた
  • 『キングダム』は2026年8月時点で趙攻略戦の途中。韓の滅亡はすでに描かれた

十年で六つの国が消えた。数字だけ見れば一気呵成ですが、そこに至るまでに秦は百年以上をかけて制度と外交を積み上げています。『キングダム』が描いているのは、その最後の十年に入る直前の助走部分です。

続きは単行本で

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この記事について

執筆・編集: マンガノシラベ編集部
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