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『キングダム』の呂不韋は、武力ではなく金と人で国を動かそうとする人物として描かれます。その姿勢が最もはっきり形になったのが『呂氏春秋(りょししゅんじゅう)』という書物です。

この記事では、呂氏春秋がどういう本なのか、「一字千金」という有名な逸話の中身、そして呂不韋がなぜ本を作ったのかを整理します。作中の呂不韋を理解するうえで、この本の存在は外せません。

結論

  • 呂氏春秋は呂不韋が食客に編纂させた書物です。紀元前239年に完成しました。
  • 全26巻、二十余万字の大著です。十二紀・八覧・六論という構成を持ちます。
  • 「一字千金」はこの本から生まれた言葉です。一字でも直せたら千金を与えると呂不韋が公言しました。
  • 呂不韋が権勢の頂点にいた時期の産物です。完成の翌年、嫪毐の乱によって彼は失脚します。

呂氏春秋とはどんな本か

古い巻物と書物のイメージ
呂氏春秋は食客たちの知識を集めて編まれました(画像はイメージです)
読み方 りょししゅんじゅう。別名『呂覧(りょらん)』
編纂者 呂不韋。実際に書いたのは食客たち
完成 紀元前239年
規模 全26巻。二十余万字
構成 十二紀・八覧・六論
内容 諸子百家の思想を集成した百科全書的な書物

呂氏春秋は、呂不韋ひとりが書いたものではありません。彼が抱えていた食客たちに、それぞれ自分の見聞したことを書かせ、それを編集してまとめた本です。

内容は特定の学派に偏っていません。儒家・道家・法家・墨家・陰陽家といった、当時ばらばらに存在していた思想を1冊に集めています。天地・万物・古今のすべてを網羅していると称した書物でした。

一字千金の逸話

この本にまつわる最も有名な話が「一字千金(いちじせんきん)」です。

呂不韋は本が完成すると、咸陽の市の門に全文を掲げました。そのうえで、「この文章に一字でも足したり削ったりできる者がいれば、千金を与える」と公言します。

結果として、名乗り出る者はいませんでした。この逸話から、優れた文章や貴重な文字を指す「一字千金」という言葉が生まれています。

要素 内容
場所 秦の都・咸陽の市の門
掲示物 呂氏春秋の全文
宣言 一字でも増減できた者に千金を与える
結果 直せる者は現れなかった
後世 「一字千金」という四字熟語の由来になる

ただし、この話の受け取り方には注意が必要です。本当に完璧な文章だったから誰も直せなかったのか、それとも当時の秦で最高権力者だった呂不韋の本に手を入れられる人間がいなかっただけなのか。史料はそこまで語っていません。

なぜ呂不韋は本を作ったのか

商人出身の呂不韋が、なぜ二十万字の書物を編ませたのか。背景には当時の各国の状況があります。

戦国時代の後期、有力な公子たちは競って食客を集めていました。斉の孟嘗君、趙の平原君、魏の信陵君、楚の春申君。いわゆる戦国四君です。彼らのもとには数千人の食客がいたとされます。

呂不韋も3000人規模の食客を抱えていました。ただし秦は他国から「文化のない国」と見られていた面があります。法と軍功で伸びた国であり、思想や学問の中心ではありませんでした。

呂氏春秋は、その秦に知の蓄積があることを示すための事業でもありました。金で人を集め、その人たちの知識を書物という形に残す。商人らしい発想です。

十二紀・八覧・六論という構成

部分 内容
十二紀 1年12か月を春夏秋冬に分け、それぞれの季節にふさわしい政治や行いを説く
八覧 8つの主題ごとに議論を並べる
六論 6つの論説

書名の由来もこの構成にあります。十二紀を軸に見れば『呂氏春秋』、八覧を軸に見れば『呂覧』と呼ばれます。

十二紀の考え方は、天の動きと人の営みが対応しているという発想に基づいています。春には春の政治があり、秋には秋の政治がある。季節に逆らった政治をすると災いが起きるという世界観です。

キングダムの呂不韋とこの本

作中の呂不韋は、武力による統一を否定する立場で描かれます。戦って奪うのではなく、金と物流で他国を取り込むという考え方です。

人物 統一の方法
嬴政 武力で統一し、そのうえで法によって国を治める
呂不韋 経済と文化で他国を取り込み、戦わずに中華を束ねる

この対立は作中の中心的な議論のひとつです。そして呂氏春秋は、呂不韋側の思想を形にしたものにあたります。武ではなく知を集めることで国の格を示すという行動だからです。

史実の年代で見ると、呂氏春秋の完成は紀元前239年です。政が親政を始める直前にあたります。

食客という制度

呂氏春秋を実際に書いたのは、呂不韋が抱えていた食客たちです。この制度が当時どういうものだったかを押さえておくと、この本の性格が見えてきます。

食客とは、有力者の屋敷に住み込んで衣食を与えられる代わりに、その知識や技能を提供する人々です。学者もいれば、弁論家、剣客、盗みの名人までいました。仕官先を探す途中の人間が集まる場でもあります。

人物 食客の規模
孟嘗君(もうしょうくん) 数千人とされる
平原君(へいげんくん) 数千人とされる
信陵君(しんりょうくん) 数千人とされる
春申君(しゅんしんくん) 数千人とされる
呂不韋 3000人規模とされる

上の4人は戦国四君と呼ばれます。呂不韋はこの4人と同じ規模の食客を抱えていました。公子でも王族でもない商人が、各国の名門と同じ土俵に立っていたということです。

食客を抱えることは、それ自体が力の誇示でした。ただし呂不韋は、集めた人間に本を書かせるという使い方をしています。武力や暗殺ではなく、知識を蓄積する方向へ人を使った点が他と違います。

秦が「文化のない国」と見られていた理由

当時の秦は、中原の国々から野蛮な国として扱われていました。

もともと秦は西の辺境にあり、周王朝の中心から遠い位置にあります。遊牧民との接触も多く、中原の礼や文化から外れた国と見られていました。商鞅の変法以降は法と軍功で急速に強くなりましたが、強いことと文化があることは別に扱われていたという背景があります。

知の中心として知られたもの
稷下の学士。各国から学者が集まる学問所があった
戦国初期の改革で人材が集まった
独自の文化と詩の伝統を持つ
法と軍功の制度。思想面での蓄積は乏しいと見られていた

呂氏春秋は、この評価を覆すための事業でもありました。諸子百家の思想を1冊に集め、秦の都で公開する。知の面でも中原に並んだと示すための本だったと読むことができます。

完成の翌年に呂不韋は失脚した

呂氏春秋が完成した翌年、紀元前238年に嫪毐の乱が起きます。

太后のもとに送り込まれた嫪毐が反乱を起こし、鎮圧されました。嫪毐を推挙したのが呂不韋であったため、彼もこの件に連座します。

できごと
紀元前239年 呂氏春秋が完成。一字千金の逸話
紀元前238年 嫪毐の乱。政が親政を開始する
紀元前237年 呂不韋が相国を罷免される
紀元前235年 蜀へ移されることが決まり、自ら命を絶つ

本を完成させて権勢の頂点を示した直後に、すべてを失っています。一字千金と言い切った年が、実質的に呂不韋の最後の年でした。

なお呂氏春秋そのものは残りました。現在も読むことができ、戦国時代末期の思想を知るうえで重要な史料とされています。編纂させた人物が失脚しても、書物は残ったということです。

アニメでは第何シリーズか

この場面は、アニメでは第3シリーズにあたります。

単行本 26巻
アニメ 第3シリーズ
そのシリーズの内容 合従軍編。函谷関の攻防と蕞の防衛戦

アニメは原作の話をそのまま順番に並べているわけではありません。巻の区切りとシリーズの区切りは完全には一致しないため、目安として捉えてください。

シリーズごとの原作範囲はアニメと原作の対応表にまとめています。

呂氏春秋に関するよくある質問

呂氏春秋の読み方は何ですか?

りょししゅんじゅうです。『呂覧(りょらん)』とも呼ばれます。

呂氏春秋は誰が書いたのですか?

呂不韋が食客たちに書かせ、それを編集してまとめました。呂不韋自身が全文を執筆したわけではありません。

呂氏春秋はいつ完成しましたか?

紀元前239年です。翌年に嫪毐の乱が起き、呂不韋は失脚します。

一字千金とはどういう意味ですか?

優れた文章や貴重な一文字を指す言葉です。呂不韋が呂氏春秋を咸陽の市門に掲げ、一字でも直せた者に千金を与えると公言した逸話に由来します。

一字千金の逸話は史実ですか?

『史記』に記録があります。ただし本当に直せなかったのか、権力者の本に手を入れられなかっただけなのかは分かりません。

呂氏春秋には何が書かれているのですか?

儒家・道家・法家・墨家・陰陽家など、当時の諸子百家の思想を集成しています。特定の学派に偏らない百科全書的な内容です。

呂氏春秋は何巻ありますか?

全26巻で、二十余万字とされます。十二紀・八覧・六論という3部構成です。

なぜ呂不韋は本を編ませたのですか?

秦に知の蓄積があることを示すためです。当時の秦は法と軍功の国と見られており、思想や学問の中心ではありませんでした。

呂氏春秋は今も読めますか?

読めます。現代語訳も出ており、戦国時代末期の思想を知る史料として扱われています。

キングダムに呂氏春秋は出てきますか?

呂不韋が知を集める人物として描かれる背景に、この事業があります。武力ではなく経済と文化で中華を束ねるという彼の主張と一続きのものです。

まとめ

  • 呂氏春秋は呂不韋が食客に編纂させた書物。紀元前239年に完成
  • 全26巻、二十余万字。十二紀・八覧・六論という構成
  • 諸子百家の思想を集めた百科全書的な内容で、特定の学派に偏らない
  • 「一字千金」は、咸陽の市門に全文を掲げ一字でも直せたら千金と公言した逸話に由来する
  • 秦に知の蓄積があることを示す事業だった
  • 完成の翌年に嫪毐の乱が起き、呂不韋は失脚。紀元前235年に自死する

武力で伸びた国に、金で知を集めて格をつけようとした男の仕事です。本人は失脚しましたが、本のほうは二千年以上残りました。

この記事について

執筆・編集: マンガノシラベ編集部
公式コミックスおよび公開されている史料をもとに作成しています。内容に誤りを見つけられた場合はお問い合わせよりご連絡ください。