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ネタバレ注意
この記事には『キングダム』本編の展開と、史実にもとづく今後の予測が含まれます。連載の進行状況は2026年8月時点のものです。

『キングダム』に登場する趙の王・幽繆王(ゆうぼくおう)。悼襄王の死を受けて即位した人物で、作中では暴君そのものの姿で描かれています。

この王が何者なのかを知るには、史実を見るのがいちばん早い方法です。史実の幽繆王は、趙という国を終わらせた最後の王です。郭開の讒言を信じて名将・李牧を殺し、その数か月後に自ら秦へ降伏しています。この記事では作中の描写と史実の記録を分けて整理します。

結論

  • 幽繆王は趙の最後の王です。第10代君主で、在位は紀元前235年から紀元前228年まで。名は遷(せん)といいます。
  • 史実では郭開の讒言を信じて李牧を誅殺しました。秦から賄賂を受けた郭開と、王母である悼倡后がそろって「李牧と司馬尚が謀反を企てている」と讒言し、王はこれを信じます。
  • 降伏後は房陵に流されました。李牧の死から数か月後、趙軍は王翦に大敗し、幽繆王は降伏。趙は滅亡し、王自身は房陵へ送られています。作中では2026年8月時点で存命です。

幽繆王のプロフィール

夕暮れの城壁と楼閣のイメージ
趙の都・邯鄲は紀元前228年に落ちました(画像はイメージです)
名前 幽繆王(ゆうぼくおう)。名は遷
趙の第10代君主。最後の王
在位 紀元前235年から紀元前228年まで
悼襄王
悼倡后
異母兄 公子嘉(のちの代王嘉)
寵臣 郭開
史実での最期 秦に降伏後、房陵へ流される
作中の初登場 第645話
実在/創作 実在

作中の幽繆王

作中で幽繆王が登場するのは、父・悼襄王の死がきっかけです。第644話で悼襄王が死去し、続く第645話で公子遷が姿を現します。単行本では59巻にあたる場面です。悼襄王の最期については別記事で扱っています。

登場した時点から、この人物は明確に暗君として描かれました。人を人と思わない態度をとり、周囲を恐怖で支配する。李牧が国のために積み上げてきたものを、王ひとりの気分で崩しかねない存在として置かれています。

作中で幽繆王は2026年8月時点で存命です。そして重要なのは、まだ李牧を殺していないという点です。単行本71巻前後では李牧が宰相の座を追われる展開が描かれており、史実で李牧の死に至る条件が徐々にそろい始めた段階と読めます。李牧の現状と史実の最期も合わせて確認すると流れが掴みやすくなります。

幽繆王は作中で死亡する?

2026年8月時点で、幽繆王の死は描かれていません。史実を踏まえると、この王は戦場で討たれるのではなく、降伏して国を明け渡すという形で退場することになります。

ただし『キングダム』は史実の骨格を守りながら細部を大きく膨らませる作品です。降伏という結末そのものは変わらないとしても、そこに至る描写や順序は史実の記述と異なる可能性があります。断定は避けるべきところです。

史実では? 趙王遷という王

幽繆王は実在の人物です。『史記』趙世家などに記録が残っており、その生涯は驚くほど短くまとまっています。

出来事
紀元前235年 父・悼襄王の死を受けて即位する(史料により前236年即位とする記述もある)
紀元前229年 秦の王翦が大軍で趙へ侵攻。李牧と司馬尚が防戦にあたる
紀元前229年 郭開と悼倡后の讒言を信じ、李牧を誅殺。司馬尚を更迭する
紀元前228年 趙葱が率いる趙軍が王翦に大敗し、趙葱は戦死する
紀元前228年 幽繆王が降伏。邯鄲が落ち、趙が滅亡する
紀元前228年以降 幽繆王は房陵へ流される。母・悼倡后は趙の大夫たちに殺害される
紀元前222年 代へ逃れていた公子嘉が王賁に捕らえられ、趙の残存勢力も完全に滅びる

そもそも王になるはずではなかった

幽繆王の即位には経緯があります。もともと太子だったのは異母兄の公子嘉でした。ところが遷の母である悼倡后が、密かに嘉を讒言し、人を使って罪に陥れたと伝えられます。その結果、嘉は太子の座を追われ、遷が立てられました。

つまりこの王は、即位そのものが讒言によって成立していることになります。後に讒言で名将を失うことになる王が、讒言によって王になった。史書の記述をそのまま読むと、そういう構図になります。

李牧の誅殺

紀元前229年、秦の王翦が大軍を率いて趙へ攻め込みます。趙は李牧と司馬尚を当て、秦軍は苦戦しました。正面から破れないと見た秦が取った手が、内側から崩す方法でした。

手順 内容
1 秦が趙の寵臣・郭開に多額の賄賂を送る
2 郭開が「李牧と司馬尚が謀反を企てている」と幽繆王に讒言する
3 王母・悼倡后も秦から賄賂を受け、同様に讒言する
4 幽繆王が讒言を信じ、李牧を誅殺。司馬尚を更迭する
5 数か月後、趙軍は王翦に大敗し、趙が滅亡する

李牧の死から趙の滅亡までは、わずか数か月です。秦にとって趙攻略の最大の障害が李牧ひとりだったことを、この時間の短さがそのまま示しています。郭開という人物については別記事で詳しくまとめました。

房陵へ流されたその後

降伏した幽繆王は殺されず、房陵へ流されました。母の悼倡后は趙の大夫たちに殺害されたと伝わります。国を失わせた元凶と見なされたということでしょう。

房陵に送られた幽繆王は、故国を思って「山水」という題の詩歌を作ったと伝えられています。王としての記録は短いものの、この一点だけが人としての姿を残しています。

司馬遷の評価

『史記』の著者である司馬遷は、幽繆王について厳しい評価を残しました。素行が悪く、讒言を信じ、名将である李牧を誅殺し、郭開を用いた。要点はこの四つに集約されます。趙が滅んだ理由を人物ひとりに帰する書き方であり、後世の暗君像はここから広がりました。

兄・公子嘉のその後

邯鄲が落ちたあと、趙は完全に消えたわけではありません。逃れた趙の重臣たちは、幽繆王の異母兄である公子嘉を担ぎ、代の地で国を再建します。これが代王嘉です。

代は燕と結んで秦に抵抗を続けましたが、紀元前222年に王賁の侵攻を受け、代王嘉は捕らえられました。この時点で趙は完全に滅びます。太子の座を奪われた兄が、弟の失った国を最後まで背負ったことになります。

漫画と史実の違い

項目 『キングダム』 史実
現在の状況 2026年8月時点で存命。李牧はまだ殺されていない 紀元前229年に李牧を誅殺、翌年降伏
人物像 登場時から明確な暗君として描かれる 司馬遷が素行の悪さと讒言を信じたことを批判している
即位の経緯 悼襄王の死を受けて即位する 母・悼倡后が兄の嘉を讒言で失脚させた結果、太子となった
李牧との関係 李牧を宰相の座から降ろす展開が71巻前後で描かれた 大将軍として用いた末に、讒言を信じて誅殺した
最期 未描写 降伏後に房陵へ流される。死亡したという記録ではない
母の悼倡后 作中でも王母として存在する 秦から賄賂を受けて讒言し、趙の滅亡後に大夫たちに殺害された

なぜ幽繆王は暗君として描かれるのか

作中の幽繆王は、擁護のしようがないほど徹底して嫌な人物として描かれています。これは作者の脚色というより、史書の記述をそのまま人物像に落とし込んだ結果に近いものです。

司馬遷の評価がすでに厳しく、讒言を信じて名将を殺した王という記録が残っている以上、この人物を有能に描くことは物語の結末と矛盾します。趙という国は、外からの力ではなく内側の判断で崩れました。その判断を下した人物が誰だったのかを、読者に一目でわからせる必要があるわけです。

もうひとつの役割は、李牧という人物を際立たせることです。どれほど戦場で完璧であっても、王ひとりの誤りですべてが無になる。桓騎を討ち、秦の将軍を何人も退けてきた李牧が、戦場ではないところで失われる。その理不尽さを成立させるために、この王の愚かさは必要な要素になっています。

幽繆王に関するよくある質問

幽繆王とは誰ですか?

趙の第10代君主であり、最後の王です。名は遷といい、在位は紀元前235年から紀元前228年まででした。悼襄王の子にあたります。

幽繆王は史実に実在しましたか?

実在します。『史記』趙世家などに記録が残っており、趙を滅亡に導いた王として記述されています。

幽繆王が李牧を殺したのはなぜですか?

郭開の讒言を信じたためです。秦から賄賂を受けた郭開と、王母の悼倡后がそろって「李牧と司馬尚が謀反を企てている」と訴え、王はこれを信じて李牧を誅殺しました。

李牧が殺されたあと趙はどうなりましたか?

数か月で滅びました。紀元前228年に趙葱の率いる趙軍が王翦に大敗し、幽繆王は降伏。邯鄲が落ちて趙は滅亡しています。

幽繆王は処刑されたのですか?

処刑された記録はありません。降伏後は房陵へ流されました。母の悼倡后は趙の大夫たちに殺害されたと伝わります。

幽繆王は作中で死亡しますか?

2026年8月時点では死亡していません。史実では戦死ではなく降伏という形で退場しているため、作中でもその流れが踏襲される可能性があります。

幽繆王が初めて登場したのは何話ですか?

第645話です。直前の第644話で父・悼襄王が死去し、その後を受けて登場しました。単行本では59巻にあたります。

幽繆王には兄がいたのですか?

異母兄の公子嘉がいます。もともと太子は嘉でしたが、遷の母・悼倡后の讒言によって嘉が退けられ、遷が太子となりました。

公子嘉はその後どうなりましたか?

邯鄲が落ちたあと、逃れた趙の重臣たちに担がれて代の地で国を再建し、代王嘉となりました。紀元前222年に王賁に捕らえられ、趙の残存勢力も滅びています。

史実で幽繆王はどう評価されていますか?

『史記』の司馬遷は、素行が悪く、讒言を信じて名将の李牧を誅殺し、郭開を用いたと厳しく評しています。趙滅亡の責任を負う王として記録されました。

まとめ

  • 幽繆王は趙の最後の王で、在位は紀元前235年から紀元前228年まで
  • 作中では第645話で初登場し、2026年8月時点で存命
  • 史実では郭開と悼倡后の讒言を信じ、紀元前229年に李牧を誅殺した
  • 李牧の死から数か月後に降伏し、趙は滅亡。王自身は房陵へ流された
  • 異母兄の公子嘉は代で国を再建し、紀元前222年まで秦に抵抗した

戦場で負けたのではなく、王の一言で国が終わる。趙の滅亡は、そういう終わり方をしました。幽繆王という人物を知っておくと、作中で李牧が置かれている状況の危うさが、まったく違う手触りで読めるようになります。

続きは単行本で

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この記事について

執筆・編集: マンガノシラベ編集部
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