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『ゴールデンカムイ』で物語が大きく動くのが、網走監獄です。

刺青人皮をめぐる全勢力が、この場所へ集まりました。そしてこの監獄は、実在します。この記事では作中の役割と、開設からの史実を整理します。

結論

  • 網走監獄は1890年(明治23年)に開設されました。釧路集治監網走囚徒外役所という名です。
  • 目的は中央道路の開削工事でした。1,500人の囚人を収容するために造られています。
  • 工事では200人以上が命を落としました。過酷な労働と栄養失調によるものです。
  • 現在は「博物館 網走監獄」として見学できます。建物のうち8棟が重要文化財です。

作中での網走監獄

雪に閉ざされた木造の建物
網走監獄は物語の転換点になります(画像はイメージです)
勢力 網走での目的
杉元・アシㇼパ のっぺらぼうに接触する
第七師団 刺青人皮と情報を押さえる
土方一派 監獄内の人物と刺青人皮を確保する

刺青を彫った本人であるのっぺらぼうが、ここに収監されていました。そのため全勢力が同時期に押し寄せます。

この襲撃と脱獄が、物語の大きな転換点になりました。ここから舞台は樺太へ移り、話は国際的な広がりを持ちはじめます。

1890年の開設

網走の監獄には、明確な開設の目的があります。

項目 内容
開設 1890年(明治23年)
当初の名称 釧路集治監網走囚徒外役所
位置づけ 釧路集治監の分所
目的 中央道路の開削工事
規模 1,500人の囚人を収容するために造られた

罪人を収容するためだけの施設ではありませんでした。道路を造るための労働力を、現地に置いておく必要があったのです。

つまりこの監獄は、開拓事業の一部として作られています。北海道の近代化と、囚人労働は切り離せません。

中央道路の開削工事

網走監獄が造られた理由が、この工事です。

北海道の内陸部とオホーツク海沿岸を結ぶ道路を通すというものでした。

項目 内容
目的 内陸とオホーツク海沿岸を道路で結ぶ
労働力 1,000人を超える囚人
体制 昼夜二交代で作業が続けられた
脱走防止 二人一組で鎖につながれた

昼も夜も工事が続けられました。脱走を防ぐため、囚人は二人ずつ鎖でつながれています。

移動も、休息も、二人一組でした。片方が倒れれば、もう片方も動けなくなります。

200人以上の死者

この工事の代償は、極めて重いものでした。

要因 内容
労働 過酷な条件での連続作業
負傷 作業中の事故が相次いだ
食料 不足により栄養失調が起きた
死者 200人以上

200人を超える囚人が、この工事で命を落としました。

北海道の道路が、こうした労働の上に敷かれています。『ゴールデンカムイ』が描く北海道は、この歴史の上にある土地です。

博物館 網走監獄

現在、当時の建物は博物館として保存されています。

項目 内容
名称 博物館 網走監獄
所在 北海道網走市
開館 1983年(昭和58年)
形態 野外博物館
建物 約20棟を移築・復元
文化財 8棟が重要文化財、6棟が登録有形文化財

日本で唯一の、刑務所をテーマにした博物館です。建物が実物として残っているため、空間そのものを体験できます。

舎房は中央から放射状に伸びる構造になっています。一箇所から全体を見渡せるようにするための設計でした。

同じ思想の建築は、愛知県の博物館明治村にも移築されています。1907年建築の金沢監獄中央看守所で、八角平面から放射状に監房が伸びる形です。

白鳥由栄の脱獄

網走の名を有名にしたのが、この人物です。

項目 内容
人物 白鳥由栄。「昭和の脱獄王」
網走からの脱獄 1944年8月
生涯の脱獄回数 4回。青森・秋田・網走・札幌
作品との関係 白石由竹のモデルとされる

網走は、脱獄が最も困難とされた場所です。それでも白鳥は、1944年8月にここから脱走しました。

作中の白石由竹は、この人物をモデルにしています。ただし白鳥の生年は1907年で、作中の舞台とほぼ同じ年です。

つまり作中で白石が脱獄王として活躍している年に、モデルの白鳥はちょうど生まれています。異名も「昭和の脱獄王」から「明治の脱獄王」へ移されました。

訪問するときの注意

項目 内容
形態 野外博物館。屋外の移動が多い
季節 冬季は積雪がある
確認 開館時間や料金は公式情報で事前に確認する

約20棟を回ることになるため、時間に余裕を持つのが安心です。訪問前には、公式の情報で開館状況を確認してください。

北海道の集治監

網走だけが特別だったわけではありません。

明治期の北海道には、複数の集治監が置かれました。いずれも開拓事業の労働力を確保するためです。

集治監 所在
樺戸 北海道月形町
空知 北海道三笠市
釧路 北海道標茶町
網走 北海道網走市
十勝 北海道帯広市

囚人労働が、北海道の近代化を支えた面があります。道路、鉱山、開墾。いずれの現場にも囚人が投入されました。

『ゴールデンカムイ』が刺青囚人を主題に据えたのは、この歴史と無関係ではありません。北海道という土地と、囚人という存在は強く結びついています。

「ここは地の果て」という認識

網走は、当時の日本において最も遠い場所のひとつでした。

要素 内容
位置 オホーツク海に面した北海道東部
気候 冬は極めて厳しい
交通 当時は到達自体が困難だった
認識 逃げ場のない土地とされた

逃げても行き場がない。その地理そのものが、監獄の壁として機能していました。

だからこそ、ここからの脱獄が特別な意味を持ちます。白鳥由栄の脱獄が語り継がれるのも、この背景があるためです。

作中の脱獄が持つ意味

作中では、複数の囚人が網走監獄から脱獄します。

人物 その後
土方歳三 脱獄し、金塊を追う一派を率いる
白石由竹 脱獄を繰り返し、杉元たちと行動する
刺青囚人たち それぞれ北海道各地へ散る

脱獄した囚人が北海道中に散らばることで、物語が動き出します。刺青人皮を追うという構造が、ここから生まれました。

門倉利運のように、監獄側の人間が巻き込まれる例もあります。看守部長という立場を失い、脱獄囚と行動をともにすることになりました。

明治期の監獄という思想

網走監獄の構造には、当時導入された考え方が表れています。

要素 目的
中央の看守所 一箇所から全方向を見張る
放射状の舎房 どの棟も中央から直接見通せる
結果 少ない人数で多くの囚人を監視できる

この形式は、明治期に西洋から取り入れられたものです。近代的な行刑制度を導入する過程で、建築の形ごと持ち込まれました。

同じ思想の建物は、愛知県の博物館明治村にも移築されています。1907年建築の金沢監獄中央看守所で、八角平面から放射状に監房が伸びる構造です。

建物の形そのものが、当時の考え方を語っています。作品を読んでから見ると、監獄という空間の意味が違って見えてきます。

作品と現地をつなぐ

『ゴールデンカムイ』は、実在の場所を数多く舞台にしました。

場所 現在
博物館 網走監獄 網走市。約20棟が保存されている
五稜郭 函館市。五稜郭公園として整備
サッポロビール博物館 札幌市。1890年建築の赤レンガ
博物館 明治村 愛知県犬山市。明治期の建造物を移築保存

いずれも実際に訪れることができます。読んでから行くと、場面の記憶と実物が結びつきます。

各施設の開館時間や料金は変わることがあります。訪問前に、それぞれの公式情報を確認してください。

網走監獄に関するよくある質問

網走監獄は実在しますか?

実在します。現在は「博物館 網走監獄」として、北海道網走市で当時の建物が保存・公開されています。

いつ開設されたのですか?

1890年(明治23年)です。当初は「釧路集治監網走囚徒外役所」という名称でした。

なぜ網走に監獄が造られたのですか?

中央道路の開削工事のためです。1,500人の囚人を収容する目的で建設されました。

中央道路とはどんな工事ですか?

北海道の内陸部とオホーツク海沿岸を結ぶ道路を通す工事です。1,000人を超える囚人が昼夜二交代で作業にあたりました。

囚人はどのように扱われたのですか?

脱走を防ぐため、二人一組で鎖につながれていました。移動も休息も二人一組です。

どれくらいの人が亡くなったのですか?

200人以上です。過酷な労働による負傷と、食料不足による栄養失調が原因とされます。

博物館にはどんな建物がありますか?

約20棟が移築・復元されています。そのうち8棟が重要文化財、6棟が登録有形文化財に指定されています。

舎房はどんな構造ですか?

中央から放射状に伸びる構造です。一箇所から全体を見渡せるように設計されています。

白鳥由栄はここから脱獄したのですか?

しました。1944年8月のことです。脱獄が最も困難とされた場所でした。作中の白石由竹は、この人物がモデルとされます。

作中で網走監獄はどう使われますか?

刺青を彫ったのっぺらぼうが収監されており、全勢力が同時期に押し寄せます。この襲撃と脱獄が物語の大きな転換点になりました。

まとめ

  • 網走監獄は1890年(明治23年)に釧路集治監網走囚徒外役所として開設された
  • 目的は中央道路の開削工事で、1,500人の囚人を収容するために造られた
  • 工事には1,000人を超える囚人が動員され、二人一組で鎖につながれていた
  • 過酷な労働と栄養失調により、200人以上が命を落とした
  • 現在は「博物館 網走監獄」として1983年に開館し、約20棟が保存されている
  • そのうち8棟が重要文化財、6棟が登録有形文化財
  • 1944年8月には白鳥由栄がここから脱獄している

北海道の道路は、こうした労働の上に敷かれました。作中の網走監獄が重く感じられるのは、その歴史が背後にあるからです。

この記事について

執筆・編集: マンガノシラベ編集部
公式コミックスおよび公開されている史料をもとに作成しています。内容に誤りを見つけられた場合はお問い合わせよりご連絡ください。