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ネタバレ注意
この記事には『キングダム』本編(単行本59巻前後)の展開と、史実にもとづく解説が含まれます。連載の進行状況は2026年8月時点のものです。

『キングダム』に登場する趙王、悼襄王(とうじょうおう)。李牧や龐煖を将として抱えながら、自らは政治に関心を示さない君主として描かれてきた人物です。

この記事では、悼襄王が作中でいつ死亡したのか、その最期がどう描かれたのかを整理します。あわせて、史実の悼襄王が実際にどんな王だったのか、名将・廉頗が趙を去ることになった経緯と、その先にある趙の滅亡までをまとめました。

結論

  • 悼襄王は作中で死亡しています。単行本59巻の第644話「桃泉殿」で急死しました。
  • 史実の悼襄王も実在します。紀元前244年から紀元前236年まで在位した趙の君主です。
  • 彼の代で廉頗が趙を去りました。その子である幽繆王が李牧を殺し、趙は滅亡します。

悼襄王のプロフィール

夕暮れの空の下に続く中国の長城のイメージ
趙は北方に長い国境を抱えた国でした(画像はイメージです)
名前 悼襄王(とうじょうおう)。諱は偃(えん)
姓氏 姓は嬴、氏は趙
立場 趙の第9代君主。王を称してからは4代目
孝成王
在位 紀元前244年から紀元前236年
悼倡后
公子嘉、公子遷(のちの幽繆王)
登用した将 李牧、龐煖
作中での死亡 単行本59巻 第644話「桃泉殿」

作中の悼襄王は、政務よりも私生活を優先する君主として描かれています。李牧という圧倒的な人材を抱えながら、それを支える体制を作らなかった人物という位置づけです。

悼襄王は何巻何話で死亡した?

悼襄王が死亡するのは、単行本59巻の第644話「桃泉殿」です。59巻には第636話から第646話が収録されています。

この時、趙では李牧の公開処刑が翌日に迫っていました。太子である嘉が父に対して処刑を考え直すよう諫言する場面が描かれ、その直後、桃泉殿で悼襄王に異変が起きます。

最期の場面

経過 内容
状況 李牧の公開処刑を翌日に控えていた
太子嘉の諫言 処刑を思いとどまるよう父に進言する
第644話 桃泉殿で入浴中の悼襄王に突然の異変が起きる
死亡 体のあちこちから血を噴き出し、その場で絶命する

悼襄王はもともと病弱な人物として描かれていました。しかし死に方が明らかに異常であることから、毒によるものではないかという見方が読者のあいだで語られています。ただし、作中で死因や下手人が明示されたわけではありません。誰が仕組んだのかを断定できる描写は現時点でありません。

死の直後に何が起きたか

第645話「趙王の命」では、悼襄王の死が趙の情勢を一変させます。

  • 秦の王翦が作戦を中止し、全軍を退く
  • 太子嘉が次の王として立ち、投獄されていた李牧と文官たちを解放する
  • 李牧が王都軍を秦へ向けるよう進言する
  • 郭開が近衛兵を動かし、太子嘉と李牧を拘束する
  • 書記官が悼襄王の遺言を読み上げ、末子の遷が次の王に指名される

この遷が、のちの幽繆王です。趙の王位は、郭開の後押しを受けた人格に問題のある少年へ渡りました。悼襄王の死そのものよりも、その後に趙が誰の手に落ちたかのほうが、物語には大きく響いています。

史実では? 悼襄王は実在する

『キングダム』の悼襄王は創作ではありません。史実に実在した趙の君主です。

父である孝成王が紀元前245年に薨去し、子の偃が跡を継ぎました。在位は紀元前244年から紀元前236年までの9年間です。

廉頗を失った経緯

悼襄王の治世を語るうえで欠かせないのが、名将・廉頗の離脱です。

即位した悼襄王は、長年の功臣であった廉頗を退け、将軍職を武襄君の楽乗に交代させました。これに憤った廉頗は楽乗を攻撃して敗走させ、そのまま魏へ亡命します。趙は自らの手で最大級の将を失いました。

後年、秦の圧迫に苦しんだ悼襄王は廉頗を呼び戻そうと考え、まだ使えるかどうかを確かめる使者を送ります。しかし廉頗を嫌っていた郭開が、その使者に金を渡して悪く報告するよう仕向けました。

廉頗は自分がまだ働けることを示そうと、米一斗と肉十斤を平らげ、甲冑をつけて馬に乗ってみせたと伝えられています。それでも使者は「廉将軍は老いてなお食は進むが、同席しているわずかな間に三度も用を足した」と報告しました。悼襄王は廉頗が老いたと判断し、召還は取りやめになります。

廉頗はその後、楚に迎えられましたが功を挙げられず、「私は趙の兵を使いたい」と嘆き、寿春で没したと『史記』は記しています。

李牧と龐煖を登用した王でもある

一方で悼襄王には、新しい人材を用いた面もあります。孝成王の代に匈奴への守備で名を上げていた李牧と、武霊王の代から兵家・縦横家として知られた学者の龐煖。この二人を将として起用したのが悼襄王でした。

『キングダム』で秦の前に立ちはだかる二人が、いずれもこの王の代に表舞台へ出てきたことになります。

後継者をめぐる問題

悼襄王の后となった悼倡后は、邯鄲の歌妓の出身と伝えられます。李牧はこの結婚に反対したとされますが、悼襄王は受け入れませんでした。

悼倡后が生んだのが公子遷です。しかし当時すでに正夫人の子である公子嘉が太子に立てられていました。悼倡后は正夫人と嘉を陰で讒言し、人を使って嘉に罪を着せます。結果として嘉は廃嫡され、遷が新たな太子となり、正夫人も廃されて悼倡后が后の座に就きました。

その後の趙

年代 出来事
紀元前245年 孝成王が薨去し、子の偃が跡を継ぐ
紀元前244年 悼襄王の治世が始まる。廉頗が楽乗を攻撃して魏へ亡命
治世中 李牧と龐煖を登用する。廉頗の召還は郭開の妨害で流れる
紀元前236年 悼襄王が薨逝。公子遷(幽繆王)が即位する
紀元前229年 悼倡后と郭開が秦の賄賂を受けて李牧を讒言。李牧が殺される
紀元前228年 邯鄲が陥落し幽繆王が捕らえられる。悼倡后も趙の大臣たちに殺される

廉頗を失い、その空白を李牧が埋め、その李牧を自分の子と后が殺す。趙の滅亡へ至る流れは、悼襄王の代に条件がそろっていたと読むことができます。

漫画と史実の違い

項目 『キングダム』 史実
死亡時期 59巻第644話で急死 紀元前236年に薨逝。死因は記録されていない
死に方 体から血を噴き出して倒れる 詳細な記述はない
李牧との関係 処刑を命じるところまで進む 李牧を登用した王。処刑したのは子の幽繆王
後継指名 遺言により末子の遷が王となる 公子嘉が廃嫡され、公子遷が太子となっていた
廉頗 魏の将として登場する 楽乗との一件で魏へ亡命し、のち楚で没した
郭開 王の側近として実権を握る 廉頗の召還を妨害し、のちに李牧を讒言した

大きな違いは、李牧の処刑を誰が命じたかという点です。史実で李牧を殺したのは悼襄王ではなく、その子である幽繆王でした。作中では悼襄王の代で処刑が寸前まで進み、王の急死によって回避されるという展開になっています。

なぜ悼襄王はこのように描かれたのか

史実の悼襄王には、はっきりした失策の記録があります。廉頗を退けて亡命させたこと、郭開の妨害を見抜けず召還を諦めたこと、そして后の讒言を信じて太子を替えたこと。この三つはいずれも、後の趙の崩壊に直結しています。

『キングダム』はこの記録に沿って人物像を組み立てています。個々の場面は創作でも、「有能な人材を得ながら、それを守る判断ができない王」という骨格は史料どおりです。

そのうえで作品が加えたのが、李牧の処刑寸前という状況設定でした。史実では悼襄王と李牧の対立は記録されていません。しかし後継者の幽繆王が実際に李牧を殺したことを知っていれば、その父の代に危機の予兆を置くのは自然な組み立てです。危機を一度回避させることで、後に本当に処刑が実行されたときの重さが増す構成になっています。

アニメではまだ描かれていない

この場面は単行本59巻にあたります。

2026年8月の時点で、アニメはここまで進んでいません。第6シリーズが鄴攻略編の序盤から中盤までを描いた段階で、続きは続編で扱われることになります。

単行本 59巻
アニメ 2026年8月時点で未放送
放送済みの最新 第6シリーズ。原作46巻の第490話から朱海平原の戦いの中盤まで

続編の制作は決定していますが、放送時期は公表されていません。シリーズごとの原作範囲はアニメと原作の対応表にまとめています。

悼襄王に関するよくある質問

悼襄王は何巻何話で死亡しますか?

単行本59巻の第644話「桃泉殿」です。李牧の公開処刑を翌日に控えた場面で、桃泉殿にて急死しました。

悼襄王は毒殺されたのですか?

作中で死因は明示されていません。病弱という設定はあるものの死に方が異常であるため、毒によるものではないかという見方はありますが、断定できる描写はありません。

悼襄王は史実に実在しますか?

実在します。趙の第9代君主で、姓は嬴、氏は趙、諱は偃です。紀元前244年から紀元前236年まで在位しました。

悼襄王の次の趙王は誰ですか?

公子遷、のちの幽繆王です。作中では悼襄王の遺言により、郭開の後押しを受けて即位しました。

史実で悼襄王は李牧を殺しましたか?

殺していません。悼襄王は李牧を登用した側の王です。李牧を殺したのは、その子である幽繆王でした。

廉頗はなぜ趙を去ったのですか?

悼襄王が将軍職を楽乗に交代させたためです。憤った廉頗は楽乗を攻撃して敗走させ、そのまま魏へ亡命しました。

廉頗は趙に戻れなかったのですか?

戻れませんでした。悼襄王が召還を検討して使者を送りましたが、郭開が使者を買収し、廉頗が老いていると報告させたため取りやめになりました。

悼倡后とはどんな人物ですか?

悼襄王の后で、幽繆王の母です。邯鄲の歌妓の出身と伝えられ、公子嘉を廃嫡させて自分の子の遷を太子に立てました。紀元前229年には秦の賄賂を受けて李牧を讒言しています。

公子嘉はどうなりましたか?

史実では悼倡后の讒言によって太子の座を追われました。趙が滅んだ後は代へ逃れ、代王を称しています。

趙はいつ滅びましたか?

紀元前228年に邯鄲が陥落し、幽繆王が捕らえられました。その前年に李牧が讒言によって殺されています。

まとめ

  • 悼襄王は59巻第644話「桃泉殿」で急死する
  • 李牧の処刑を翌日に控えた場面で、死因は作中で明示されていない
  • 史実の悼襄王は実在し、紀元前244年から紀元前236年まで在位した
  • 彼の代で廉頗が魏へ亡命し、召還も郭開の妨害で流れた
  • 後を継いだ子の幽繆王が李牧を殺し、紀元前228年に趙は滅びた

李牧を得た王が、李牧を守れる体制を作らないまま死ぬ。悼襄王という人物の役割は、それに尽きるとも言えます。趙の滅亡は幽繆王の代の出来事ですが、その道筋が敷かれたのは父の治世でした。

続きは単行本で

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この記事について

執筆・編集: マンガノシラベ編集部
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