キングダムの地図・戦国七雄の勢力図|各国の位置と現在の中国のどこかを解説
この記事には『キングダム』本編の展開と、史実にもとづく解説が含まれます。連載の進行状況は2026年8月時点のものです。
『キングダム』を読んでいて、どの国がどこにあるのかが分からなくなることがあります。趙は北、楚は南、というくらいは分かっても、鄴や函谷関が地図上のどこかまでは追いにくいはずです。
この記事では、戦国七雄の位置関係を現在の中国の地名と対応させて整理します。あわせて、作中の主要な戦場が今のどこにあたるのかもまとめました。
結論
- 秦は最も西にあります。現在の陝西省。四方を関に守られた盆地が本拠です。
- 趙は北、楚は南、斉は東の海沿いです。魏と韓は中央に挟まれています。
- 秦が最初に狙ったのは韓と趙です。近い国から順に攻める遠交近攻の戦略によります。
- 地形が国の性格を決めました。秦が守りやすく、韓・魏が最も攻められやすい位置にあります。
戦国七雄の位置関係

| 国 | 位置 | 首都 | 現在の場所 |
|---|---|---|---|
| 秦(しん) | 最西 | 咸陽 | 陝西省咸陽市の付近 |
| 趙(ちょう) | 北 | 邯鄲 | 河北省邯鄲市 |
| 魏(ぎ) | 中央 | 大梁 | 河南省開封市 |
| 韓(かん) | 中央(最小) | 新鄭 | 河南省新鄭市 |
| 楚(そ) | 南(最大) | 寿春 | 安徽省寿県 |
| 燕(えん) | 北東 | 薊 | 北京市の付近 |
| 斉(せい) | 東(海沿い) | 臨淄 | 山東省淄博市 |
おおまかに言えば、西に秦、北に趙と燕、東に斉、南に楚、そして中央に魏と韓が挟まれている形です。秦から中原へ出るには、まず韓と魏の領域を通る必要があります。
地形が決めた各国の運命
秦|守りやすい盆地
秦の本拠である関中は、四方を山と河に囲まれた盆地です。外部と接するのは限られた狭隘部だけで、そこに関所が置かれました。
| 方角 | 関所 | 役割 |
|---|---|---|
| 東 | 函谷関 | 中原の六国に対する正面 |
| 南 | 武関 | 楚方面への出入り口 |
| 西 | 散関 | 蜀・西方への道 |
| 北 | 蕭関 | 北方の遊牧勢力への備え |
攻めるときは出ていき、不利になれば閉じて引きこもる。この選択権を持てたことが、秦が長期戦を戦い抜けた最大の条件です。
韓と魏|最も攻められやすい位置
逆に最悪の位置にあったのが韓です。国土が小さいうえに中央にあり、四方を強国に囲まれていました。秦が東へ出ようとすれば、まず韓にぶつかります。
韓が七雄で最初に滅んだ(紀元前230年)のは、国力の問題だけでなく地理の問題でもありました。魏も同様で、大梁は平地にあり、防衛上の要害を持ちません。史実では王賁が水攻めで大梁を落としています。
楚|最大の面積
楚は七雄で最も広い国土を持ちます。長江流域まで及ぶ広大な領域で、中華の南半分を占める大国でした。
ただし広さは統制の難しさでもあります。作中で楚が合従軍の主力になりながらも決定打を欠くのは、この国の内部が一枚岩でないことと関係しています。史実でも秦は楚攻めに60万を投入しており、最も手間のかかった相手でした。
斉|戦わずに滅んだ国
斉は東の海沿いにあり、秦から最も遠い国です。この距離が、斉の運命を決めました。
遠交近攻の戦略により、秦は斉と友好を保ちながら近い国から順に潰していきます。斉は他の五国が滅ぶのを傍観し、最後に孤立した状態であっけなく降伏しました(紀元前221年)。
作中の主要な戦場は今どこか
| 地名 | 現在の場所 | 関連する戦い |
|---|---|---|
| 咸陽 | 陝西省咸陽市の付近 | 秦の都。王都奪還編、毐国の反乱 |
| 函谷関 | 河南省三門峡市霊宝市 | 合従軍編 |
| 邯鄲 | 河北省邯鄲市 | 趙の都 |
| 鄴 | 河北省邯鄲市臨漳県あたり | 鄴攻略戦 |
| 番吾 | 河北省石家荘市の一帯 | 番吾の戦い |
| 山陽 | 河南省北部 | 山陽の戦い |
| 大梁 | 河南省開封市 | 魏の都。史実では水攻めで陥落 |
| 新鄭 | 河南省新鄭市 | 韓の都。韓非がいた |
作中の主要な戦場は、現在の河南省と河北省に集中しています。秦の本拠である陝西省から東へ出た先が、そのまま激戦地帯だったことになります。
遠交近攻|地図から生まれた戦略
秦の統一戦略は、この地図を前提にしています。
宰相の范雎が昭王に説いたのが遠交近攻です。遠い国とは友好を保ち、近い国から順に攻める。地図で見ると、この方針の合理性がはっきりします。
| 距離 | 国 | 秦の方針 |
|---|---|---|
| 近い | 韓・魏・趙 | 攻撃対象。順に削り取る |
| 中間 | 楚 | 大国だが、三国を落としてから対処 |
| 遠い | 燕・斉 | 友好を保ち、他国と連携させない |
遠い国を攻めても、その領土を維持できません。飛び地は守れないからです。近い国から順に取れば、領土が地続きで広がっていきます。
そして遠い国と友好を保つことで、合従軍が組まれるのを防げます。作中で合従軍が組まれた紀元前241年は、この分断が一時的に失敗した例でした。
合従軍が組まれると何が起きるか
地図を見ると、六国が連合したときの秦の危うさもわかります。
秦は西の端にあり、他の六国はすべて東側にあります。つまり六国が手を組めば、秦は一方向から総力で押される形になります。地形の有利は、あくまで戦力差が一定の範囲に収まっている場合の話です。
| 局面 | 秦の状況 |
|---|---|
| 単独の国と戦う | 関を出て攻める。不利なら閉じて守る |
| 二、三国と戦う | まだ関の防衛で対応できる |
| 合従軍が組まれる | 函谷関の一点に総力が集中し、突破されれば咸陽まで遮るものがない |
作中の合従軍編で、蕞まで攻め込まれる展開になったのはこの構造によるものです。函谷関という強固な入り口を持つことは、そこを破られたときの脆さと表裏一体でした。
だからこそ秦は、外交で六国が結びつくのを防ぎ続ける必要がありました。遠交近攻は攻める順番の話であると同時に、合従を防ぐための方策でもあります。
中華統一後の地図
紀元前221年に統一が完成すると、この地図は書き換えられます。
始皇帝は六国の旧領を郡県制で分割し、それまでの国境を制度上消しました。文字・度量衡・貨幣も統一され、地域ごとに違っていた基準が一本化されます。韓の旧領には潁川郡が置かれるなど、国という単位が郡という行政区画に置き換わりました。
作中で描かれている七国の地図は、あと10年ほどで消える地図でもあります。信や王賁が戦っている国境線が、統一とともに意味を失う。年表と地図を並べて見ると、この作品が描いているものの輪郭がはっきりします。
山の民と犬戎|地図の外の勢力
七雄以外にも、作中には重要な勢力があります。
山の民は秦の西方の山岳地帯を拠点とする部族連合です。中華の国々の地図には載らない位置にいながら、秦と同盟して統一事業に加わりました。犬戎はさらに北方の遊牧勢力で、橑陽の戦いでは趙側につきます。
中原の七国だけを見ていると、この構図は見えてきません。秦が西の辺境にあったからこそ、こうした勢力と関わる余地があったともいえます。
漫画と史実の違い
| 項目 | 『キングダム』 | 史実 |
|---|---|---|
| 七雄の位置 | 史実どおりに描かれる | 秦は西、趙は北、楚は南、斉は東 |
| 山の民 | 秦の西方の部族連合 | この名称の集団の記録はない |
| 犬戎 | 趙側についた北方勢力 | 実在。紀元前771年に西周を滅ぼした |
| 朱海平原 | 鄴攻略戦の決戦地 | この地名の戦場の記録はない |
| 遠交近攻 | 秦の基本戦略として描かれる | 范雎が昭襄王に説いた実在の戦略 |
七国の位置を覚える手がかり
七国の位置関係は、方角で整理すると覚えやすくなります。
| 方角 | 国 |
|---|---|
| 西 | 秦 |
| 北 | 燕 |
| 東 | 斉 |
| 南 | 楚 |
| 中央付近 | 韓・魏・趙 |
秦は西の端にあります。東へ向かって攻めるという構図が、最初から地形で決まっていました。
中央の韓・魏・趙は、もとはひとつの晋という国でした。三つに分かれたため、まとめて三晋と呼ばれます。
地図に関するよくある質問
秦はどこにありましたか?
最も西です。首都の咸陽は現在の陝西省咸陽市の付近にあたります。
趙の首都はどこですか?
邯鄲です。現在の河北省邯鄲市にあたります。鄴も同じ邯鄲市の臨漳県あたりに位置します。
なぜ秦は韓から攻めたのですか?
最も近く、最も小さかったためです。范雎が説いた遠交近攻の戦略に沿って、近い国から順に攻める方針が取られました。
楚はどれくらい大きかったのですか?
七雄で最大です。中華の南半分を占め、長江流域まで領域が及んでいました。
斉はなぜ最後まで残ったのですか?
秦から最も遠い東の海沿いにあり、遠交近攻の方針で友好を保たれていたためです。他の五国が滅んだあと、孤立した状態で降伏しました。
函谷関はどこにありますか?
現在の河南省三門峡市霊宝市です。秦の東の入り口にあたる峡谷に築かれました。
鄴は今のどこですか?
河北省邯鄲市臨漳県のあたりです。趙の都・邯鄲に近い要衝でした。
魏の都はどこですか?
大梁で、現在の河南省開封市にあたります。平地にあり要害を持たず、史実では王賁の水攻めで陥落しました。
燕はどこにありましたか?
北東です。首都の薊は現在の北京市の付近にあたります。
山の民はどこにいるのですか?
秦の西方に広がる山岳地帯です。中華の七国の地図には含まれない領域として描かれています。
まとめ
- 秦は最西の陝西省、趙は北の河北省、楚は南、斉は東の山東省
- 魏と韓は中央に挟まれ、最も攻められやすい位置にあった
- 秦の関中は四方を関に守られた盆地で、守りやすさが長期戦を可能にした
- 作中の主要な戦場は現在の河南省と河北省に集中している
- 遠交近攻は地図の条件から生まれた戦略。近い韓・趙から順に攻めた
- 斉は最も遠かったために最後まで残り、孤立して降伏した
どの国がどこにあるかを押さえると、なぜその戦いが起きたのかが見えてきます。秦が函谷関に籠もれた理由も、韓が最初に滅んだ理由も、地図がそのまま答えになっています。
この記事について
執筆・編集: マンガノシラベ編集部
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