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ネタバレ注意
この記事には『キングダム』の設定に関する記述と、史実にもとづく解説が含まれます。連載の進行状況は2026年8月時点のものです。

『キングダム』で秦が近い国から順に攻めているのには、明確な理由があります。遠交近攻という戦略です。これを昭王に説いたのが范雎(はんしょ)という宰相でした。

この記事では、范雎が秦の統一戦略をどう決めたのかを整理します。そして便所に投げ込まれるほどの屈辱から秦の宰相まで昇りつめ、最後は自分が推挙した部下の失敗で退く、という激しい生涯も追いました。

結論

  • 范雎は作中に登場しません。昭王の時代の人物で、物語開始前に退場しています。
  • 遠交近攻を説いた宰相です。秦の統一戦略はこの方針で決まりました。
  • もとは魏の人です。スパイ容疑で拷問され、便所に投げ込まれた過去を持ちます。
  • 長平のあと白起を退けました。そのため白起は自害を命じられることになります。

范雎のプロフィール

宮殿の階と回廊のイメージ
范雎は秦の宮廷で統一戦略を組み立てました(画像はイメージです)
名前 范雎(はんしょ)
出身
秦での名 張禄(ちょうろく)と名乗って入国
仕えた王 秦の昭襄王
地位 相国。応の地を与えられ応侯と呼ばれる
提唱した戦略 遠交近攻
作中の扱い 登場しない
史実 実在

范雎は秦の生まれではありません。魏から流れてきた人物です。秦が他国出身者を宰相に据える国だったことは、商鞅・呂不韋・李斯の例からもわかります。

遠交近攻とは何か

范雎が昭襄王に説いた戦略が、遠交近攻です。

方針 対象 内容
遠交 斉・燕 遠い国とは友好を保ち、敵に回さない
近攻 韓・魏・趙 近い国から順に攻め、領土を削り取る

なぜこの方針なのか

理由は二つあります。

ひとつは領土の維持です。遠い国を攻めて勝っても、飛び地は守れません。近い国から順に取れば、領土が地続きで広がっていきます。

もうひとつは合従の防止です。六国が連合すれば秦は不利になります。遠い国と友好を保つことで、六国がまとまるのを防げます。

昭襄王はこの方針を採用し、魏を攻めて土地を奪い、韓に圧力をかけました。以後、秦の統一戦争はこの順序で進みます。

作中との対応

『キングダム』で秦が攻めている相手を見ると、この方針がそのまま反映されています。韓、趙、魏。いずれも秦に近い国です。斉と燕は最後まで残ります。

史実でも、七雄が滅んだ順は韓・趙・魏・楚・燕・斉でした。最も遠い斉が最後です。范雎が説いた順序が、100年近く守られたことになります。

便所に投げ込まれた過去

范雎の経歴は、屈辱から始まっています。

スパイ容疑

もともと魏に仕えていた范雎は、須賈という人物の使いとして斉へ赴きました。そこで斉王から厚遇されたことが問題になります。

帰国後、須賈が「范雎は斉に情報を売った」と報告しました。魏の宰相・魏斉は范雎を捕らえ、鞭打ちにします。肋骨と歯が折れるほどの拷問でした。

そのうえで、范雎は便所に投げ込まれます。宴席の客たちに小便をかけさせるという扱いを受けました。

脱出と改名

范雎は死んだふりをして見張りを買収し、鄭安平という人物に助け出されます。そして張禄と名を変え、秦の使者・王稽に伴われて秦へ入りました。

魏で殺されかけた人物が、魏を攻める国の宰相になる。この経緯が、のちの復讐につながります。

須賈への復讐

数年後、須賈が使者として秦へ来ました。

范雎はぼろぼろの服を着て須賈の前に現れます。須賈は范雎が生きていたことに驚き、その困窮した様子を憐れんで、厚手の衣を与えました。

そのあと須賈は、秦の宰相・張禄に会うために宮殿へ向かいます。そこで待っていたのが范雎でした。張禄こそが范雎だったのです。

范雎は須賈を責め、屈辱を与えたうえで、魏斉の首を差し出すよう魏へ要求しました。秦の軍事力を背景にした要求に魏は抗しきれず、追い詰められた魏斉は最終的に命を落とします。

ただし范雎は、衣を与えた須賈の情けだけは認め、命は取りませんでした。この一点が、単なる復讐譚で終わらない部分として伝えられています。

白起との対立

范雎のもうひとつの重要な行動が、白起との対立です。

長平のあと

紀元前260年の長平の戦いで、白起は趙軍を壊滅させました。40万を超える捕虜を生き埋めにしたと記録されています。

白起はそのまま趙の都・邯鄲へ進撃しようとしました。しかし范雎はこれを止めます。

人物 主張
白起 勢いのあるうちに邯鄲を落とすべき
范雎 兵は疲弊している。趙の割譲を受けて一度退くべき

范雎は、過剰な殺戮が趙の民の恨みを買い、抵抗を激しくすると考えたとも伝えられます。昭襄王は范雎の意見を採り、白起は矛を収めました。

白起の死へ

その後、秦はあらためて邯鄲を攻めますが失敗します。白起は「あのとき攻めていれば」という趣旨のことを口にし、出陣の命令にも従わなくなりました。

最終的に、昭襄王は白起に自害を命じます。秦を最強にした将軍が、秦の王に死を命じられる結末でした。

この経緯に范雎が関わっていたことは、記録として残っています。武の側と政の側が衝突し、政の側が勝った例といえます。

范雎の退場

その范雎も、権力の座を降りることになります。

范雎は、自分を救ってくれた鄭安平と、秦へ連れてきた王稽を推挙して要職に就けていました。恩に報いた形です。

ところが鄭安平は趙との戦いで降伏し、王稽は諸侯と通じた罪で処刑されます。秦の法では、推挙した者も連座して罰せられる決まりでした。

范雎は自ら退き、蔡沢に宰相の座を譲ります。恩返しのために登用した人物が、自分の失脚の原因になったことになります。

もうひとつの功績|外戚の排除

范雎が昭襄王に説いたのは、対外戦略だけではありません。国内の権力構造にも手を入れています。

当時の秦では、昭襄王の母である宣太后と、その一族が実権を握っていました。とくに宣太后の弟である魏冄(ぎぜん)は将軍として大きな力を持ち、王の権威を上回りかねない状態です。

范雎は昭襄王に、王が名ばかりになっていると指摘しました。この進言を受けて昭襄王は宣太后を退け、魏冄らを都から追放します。ここでようやく、昭襄王は実質的な王になりました。

范雎の進言 結果
遠交近攻 統一戦争の順序が確定する
外戚の排除 昭襄王が実権を握る
長平での謀略 趙が趙括を起用し壊滅する
白起の進撃を止める のちの白起自害につながる

在位56年の昭襄王が「秦を最強にした王」と呼ばれる背景には、この宰相の働きがあります。作中で語られる「昭王の時代」の実務を担っていた人物といえます。

他国出身者が秦を動かした

范雎の経歴で見落とせないのが、この人物が魏の出身だという点です。

秦の宰相を務めた人物を並べると、他国出身者ばかりであることがわかります。

人物 出身 担当した仕事
商鞅 変法。国の制度そのものを作り替える
范雎 遠交近攻。統一戦略の確立
呂不韋 荘襄王の擁立と嬴政の後見
李斯 統一後の法制と郡県制

秦が中華統一を成し遂げた理由として、この人材登用の柔軟さがしばしば挙げられます。血筋を問わず、敵国の出身でも能力があれば宰相に据える。商鞅が作った実力主義の制度が、武の側だけでなく政の側にも及んでいたことになります。

作中で信が下僕から将軍へ昇る物語と、范雎が便所に投げ込まれた身から宰相になる経歴は、同じ国の同じ性格から出ています。

漫画と史実の違い

項目 『キングダム』 史実
范雎 登場しない 実在。昭襄王の宰相
遠交近攻 秦の戦略として作中の展開に反映 范雎が昭襄王に説いた実在の戦略
白起の死 作中では言及にとどまる 范雎との対立を経て自害を命じられた
蔡沢 言及がある 范雎の後任として宰相になった
長平の戦い 過去の出来事として語られる 范雎の謀略が趙括の起用を招いた

范雎に関するよくある質問

范雎はキングダムに登場しますか?

登場しません。昭王の時代の人物で、物語が始まる前に退場しています。

范雎の読み方は何ですか?

「はんしょ」と読みます。范睢と表記されることもあります。

遠交近攻とは何ですか?

遠い国とは友好を保ち、近い国から順に攻めるという戦略です。領土を地続きで広げられることと、六国の合従を防げることが理由になります。

范雎はどこの国の出身ですか?

魏です。スパイ容疑で拷問され、便所に投げ込まれるという屈辱を受けたのち、張禄と名を変えて秦へ渡りました。

須賈への復讐とは何ですか?

范雎を陥れた人物が使者として秦へ来た際、宰相である正体を明かして責めた出来事です。ただし衣を与えた情けは認め、命は取りませんでした。

范雎と白起はなぜ対立したのですか?

長平のあと、白起が邯鄲への進撃を主張したのに対し、范雎が退くべきだと説いたためです。この対立が最終的に白起の自害につながりました。

范雎はなぜ宰相を辞めたのですか?

自分が推挙した鄭安平が降伏し、王稽が処刑されたためです。秦の法では推挙者も連座するため、自ら退いて蔡沢に譲りました。

応侯とは何ですか?

范雎が与えられた称号です。応という土地を封じられたことによります。

長平の趙括起用は范雎の策ですか?

そうです。趙国内に「秦は趙括を恐れている」という偽情報を流し、趙王に廉頗を退けさせました。

秦はなぜ他国出身者を宰相にしたのですか?

商鞅の変法以来、身分や出身より実力を見る国だったためです。商鞅は衛、范雎は魏、呂不韋は衛、李斯は楚の出身です。

まとめ

  • 范雎は『キングダム』に登場しないが、秦の統一戦略を決めた人物
  • 遠交近攻を昭襄王に説き、韓・趙・魏から順に攻める方針を確立した
  • もとは魏の人で、スパイ容疑で拷問され便所に投げ込まれた過去を持つ
  • 張禄と改名して秦へ渡り、宰相にまで昇りつめた
  • 長平のあと白起の進撃を止め、これが白起の自害につながった
  • 推挙した部下の失敗により連座を避けて自ら退き、蔡沢に譲った

七雄が滅んだ順番は、この人物が説いた方針のとおりでした。作中で秦が韓から攻め始めるのも、斉が最後まで残るのも、100年近く前に決まっていたことになります。物語の外側にいる人物が、戦場の形を決めていた例です。

この記事について

執筆・編集: マンガノシラベ編集部
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