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ネタバレ注意
この記事には『キングダム』山陽攻略編以降の展開に関する記述が含まれます。連載の進行状況は2026年8月時点のものです。

『キングダム』の飛信隊で、眼帯をつけた剣士を見かけたことがあると思います。崇原(すうげん)です。結成時からの最古参のひとりでありながら、目立つ見せ場は多くありません。それでも階級だけを見ると、飛信隊の出世頭のひとりです。

この記事では、崇原が死亡しているのかをはっきりさせたうえで、伍長から三千人将まで昇った歩みと、左眼を失った経緯を整理します。「小便もらしの崇原」と呼ばれた過去についても触れました。

結論

  • 崇原は死亡していません。2026年8月時点の連載でも飛信隊の歩兵を率いています。
  • 現在の階級は三千人将です。飛信隊結成時は第五伍の伍長でした。
  • 飛信隊で三番目の剣士とされます。合昂剣(ごうこうけん)の皆伝の使い手です。
  • 左眼を失っており、山陽攻略編から眼帯姿になりました。単行本17巻前後にあたります。

崇原のプロフィール

石畳の道と城壁のイメージ
山陽は現在の中国河南省北部にあたる地域です(画像はイメージです)
名前 崇原(すうげん)
所属 秦国・飛信隊
階級 三千人将
剣術 合昂剣の皆伝。飛信隊で三番目の剣士とされる
外見 左眼を失い眼帯。山陽攻略編(17巻前後)から
初登場 飛信隊結成時。第五伍の伍長
生死 生存
史実のモデル 該当する記録なし

飛信隊の古参には、尾平のようなムードメーカー、松左のような視野の広い調整役、去亥のような実直な部隊長がいました。崇原はそのなかで、純粋な剣の腕で立場を上げてきた人物です。

崇原は死亡する? 現在の状況

結論として、崇原は死亡していません。2026年8月時点の連載でも、飛信隊の歩兵部隊を率いて戦っています。

「崇原 死亡」と検索されるのは、飛信隊が戦死者の多い部隊だからです。結成初期の名前で言えば、尾到が馬陽の戦いで、松左と去亥が朱海平原で失われました。那貴は桓騎のもとへ戻る道を選んで戦死しています。古参が減っていくこと自体が、この部隊の描かれ方の一部です。

そのなかで崇原は、結成時からの伍長で今も前線にいる数少ない人物になりました。

崇原の昇進|伍長から三千人将まで

崇原の歩みは、飛信隊の拡大とそのまま重なります。

時期 階級・役職 飛信隊の規模
飛信隊結成時 第五伍の伍長 百人
三百人隊へ拡大 什長 三百人
黒羊丘の戦いの後 歩兵長 千人規模
信の将軍昇格後 千人将 1万5000人
始皇十六年(韓攻略の時期) 三千人将 六万規模

伍長というのは五人組の長で、軍の階級としては最小の単位です。そこから三千人を預かる立場まで上がったことになります。

飛信隊の五千人将は渕と楚水の二人で、いずれも山陽の戦いの前後に外から加わった人物です。つまり結成時からの隊員としては、崇原が最上位ということになります。生え抜きの出世頭という表現がふさわしい立場です。

合昂剣と、飛信隊三番目の剣士

崇原の武は剣です。合昂剣という流派の皆伝を持つと設定されています。

飛信隊のなかでの序列は三番目とされます。上にいるのは、隊長の信と、蚩尤の血を引く羌瘣です。この二人が別格であることを考えると、実質的に隊内の剣術トップ層といってよい位置です。

順位 人物 備考
1 隊長。王騎から矛を受け継ぐ
2 羌瘣 蚩尤の一族。巫舞という別系統の技を持つ
3 崇原 合昂剣の皆伝

ただし崇原の見せ場は、敵将を討ち取る派手な場面ではありません。戦線を維持し、歩兵をまとめ、隊が崩れないようにする役回りが中心です。剣の腕を持ちながら統率に回るという点で、飛信隊の中でも珍しいタイプになっています。

眼帯の理由|左眼を失った戦い

崇原の外見で最も目立つのが眼帯です。初期は両目のある姿で描かれていましたが、山陽攻略編を境に眼帯姿になりました。単行本17巻前後にあたります。

山陽の戦いは、飛信隊が千人隊として本格的に戦った最初の大きな戦役です。信が輪虎を討ち取り、正式に千人将へ昇格した戦いでもあります。飛信隊が「部隊」として認められた戦いで、崇原は片目を失いました。

以後も前線に立ち続け、階級を上げ続けています。負傷を理由に後方へ回らなかったことが、そのまま現在の三千人将という立場につながっています。

「小便もらしの崇原」という過去

崇原には、飛信隊に入る前の逸話があります。

十七歳で初陣を迎えたとき、尿意を我慢していたところに奇襲を受け、そのまま漏らしてしまった。この出来事から「小便もらしの崇原」と呼ばれ、馬鹿にされた過去を持つ人物として描かれています。

この設定が効いているのは、崇原が現在の立場を実力だけで積み上げてきたからです。剣の皆伝を持ちながら軽んじられていた男が、伍長から三千人将まで昇る。飛信隊が出自も過去も問わない部隊であることを、崇原の経歴が示しています。

飛信隊の古参たちのいま

人物 現在
崇原 三千人将。生存
田有 二千人将。生存
沛浪 副歩兵長兼二千人将。生存
尾平 百人将。生存
澤圭 二百人将。伍から死者を出していない
尾到 馬陽の戦いで戦死(14巻・第148話)
松左 朱海平原で戦死(55巻・第595話)
去亥 朱海平原で戦死(57巻・第619話)

結成時の百人隊から生き残り、なお前線にいる顔ぶれはかなり限られます。崇原はその筆頭であり、飛信隊がここまで積み上げてきた時間を体現している人物です。

史実では? 崇原に対応する記録はない

崇原は史実に実在しません。『史記』をはじめとする史料に、崇原に対応する人物の記録はありません。飛信隊という部隊そのものが作品独自の設定です。

合昂剣という流派も同様で、史実に記録のある剣術ではありません。

階級についての補足

作中の「三千人将」「五千人将」といった語も、史実の記録では確認できません。『商君書』境内篇には百将・五百主・二五百主という指揮官の名が見えます。作中の階級体系は、これをもとに整理し直したものと考えられます。

史実が名前を書き残すのは将軍までです。部隊の内側で誰が伍を率い、誰が歩兵をまとめていたかは記録されていません。崇原のような人物は、その空白に置かれています。

漫画と史実の違い

項目 『キングダム』 史実
崇原 飛信隊の三千人将。合昂剣の皆伝 該当する記録はない
飛信隊 信が率いる部隊。六万規模まで拡大 部隊としての記録はない
合昂剣 崇原が皆伝を持つ剣術 該当する流派の記録はない
伍長・什長 飛信隊の最小単位の役職 秦の軍制に伍・什の編成はあった

山陽の戦いという転換点

崇原が左眼を失った山陽攻略編は、飛信隊にとっても分岐点でした。

局面 内容
出陣 秦が魏の山陽へ侵攻。飛信隊は千人隊として参加する
苦戦 廉頗四天王が立ちはだかり、飛信隊は消耗する
決着 信が輪虎を討ち取る(22巻・第232話)
結果 信が将軍首の条件を満たし、正式に千人将へ昇格する

この戦いで飛信隊は「たまたま活躍した百人隊」から、正規の千人隊へと立場を変えました。同時に、それまでの気楽さも失っています。崇原の眼帯は、その代償を可視化した記号でもあります。

歩兵を率いるという役割

崇原の現在の役目は、飛信隊の歩兵部隊を束ねることです。

飛信隊は騎兵の突撃力で語られがちですが、部隊の大半は歩兵です。信や羌瘣が突出したあと、開いた穴を埋めて戦線を保つのは歩兵の仕事になります。ここが崩れると、突出した側が孤立して包囲されます。

剣の腕が隊内三番手の人物が、最も地味な役割に回っている。これは損な配置ではなく、崩れてはいけない場所に一番信頼できる者を置いた結果です。飛信隊が何度も壊滅寸前まで削られながら部隊として残ってきた理由の一端が、ここにあります。

崇原に関するよくある質問

崇原は死亡しますか?

していません。2026年8月時点の連載でも飛信隊の歩兵部隊を率いて戦っています。

崇原の読み方は何ですか?

「すうげん」と読みます。

崇原の階級は何ですか?

三千人将です。始皇十六年、韓攻略の時期に昇進しました。飛信隊結成時は第五伍の伍長でした。

崇原はいつから飛信隊にいるのですか?

結成時からです。信が百人将になったときに第五伍の伍長として組み込まれた、最古参のひとりにあたります。

崇原はなぜ眼帯をしているのですか?

左眼を失ったためです。山陽攻略編を境に眼帯姿になっており、単行本17巻前後にあたります。

崇原はどれくらい強いのですか?

飛信隊で三番目の剣士とされます。合昂剣の皆伝の使い手で、上にいるのは信と羌瘣の二人だけです。

「小便もらしの崇原」とは何ですか?

十七歳の初陣で、尿意を我慢していたところに奇襲を受けて漏らしてしまった過去のことです。この出来事から侮られていた時期がありました。

飛信隊の生え抜きで一番出世しているのは誰ですか?

崇原です。五千人将の渕と楚水は山陽の戦いの前後に外から加わった人物のため、結成時からの隊員では崇原が最上位になります。

崇原は史実に実在しましたか?

実在しません。飛信隊という部隊そのものが作品独自の設定です。

飛信隊で戦死した古参は誰ですか?

尾到(14巻・第148話)、松左(55巻・第595話)、去亥(57巻・第619話)などです。那貴は飛信隊を離れて桓騎のもとへ向かい、69巻・第752話で戦死しました。

まとめ

  • 崇原は死亡しておらず、2026年8月時点でも飛信隊で戦っている
  • 飛信隊結成時の第五伍の伍長から、三千人将まで昇った生え抜きの出世頭
  • 合昂剣の皆伝で、飛信隊では信・羌瘣に次ぐ三番目の剣士とされる
  • 山陽攻略編で左眼を失い、以降は眼帯姿で前線に立ち続けている
  • 「小便もらしの崇原」と侮られた過去を、実力で覆してきた経歴を持つ

派手な武功で語られる人物ではありません。それでも結成時の伍長がいまも前線にいて、三千人を預かっている。飛信隊がどれだけの時間を積み上げてきたかは、崇原という一人の階級を追うだけでもわかります。

この記事について

執筆・編集: マンガノシラベ編集部
公式コミックスおよび公開されている史料をもとに作成しています。内容に誤りを見つけられた場合はお問い合わせよりご連絡ください。