亜光(あこう)の死亡は73巻792話|司馬尚に討たれた最期と史実に実在しない理由【キングダム】
この記事には『キングダム』単行本71巻から73巻、番吾の戦いの結末に関するネタバレが含まれます。
『キングダム』の王翦軍を長く支えてきた将、亜光(あこう)。第一将として正面から敵に当たり、その陣は崩れないと言われた武将です。
その亜光が、番吾の戦いで戦死しました。この記事では、亜光が死亡するのは何巻何話なのか、誰に討たれたのか、そして以前から言われていた馬南慈と尭雲による死亡説はどうだったのかを整理します。あわせて、史実の記録に亜光に当たる人物がいるのかも確認しました。
結論
- 亜光は単行本73巻の第792話で戦死します。番吾の戦いの終盤にあたります。
- 討ったのは趙の司馬尚です。王翦を逃がすため囮となって司馬尚の前に立ち、両断されました。
- 史実に対応する人物は確認できません。仕えていた王翦は実在しますが、亜光の名は『史記』に見当たりません。
亜光(あこう)のプロフィール

| 名前 | 亜光(あこう) |
|---|---|
| 所属 | 秦国 王翦軍 |
| 階級 | 第一将 |
| 外見 | 黒い顎髭と、口の左から顎にかけての傷 |
| 戦い方 | 正面から突撃する型。陣が崩れない |
| 配下 | 亜花錦など |
| 死亡 | 単行本73巻 第792話 |
| 史実のモデル | 該当する記録は確認できない |
亜光は王翦軍の第一将です。自分の思惑を明かさない王翦の下で、最も長く戦ってきた側近将にあたります。王翦軍の将のなかでは口数が少なく、常に厳しい表情をしている人物として描かれてきました。
亜光はどれくらい強かったのか
亜光の戦い方は、策で崩すより正面から当たる型です。朱海平原の戦いでは秦軍右翼を任され、趙の名だたる将と正面から渡り合いました。
とくに知られているのが、趙の馬南慈と一騎打ちで互角に渡り合った場面です。さらに朱海平原九日目には、馬南慈と尭雲の二人を同時に相手取る展開になりました。二対一という不利な状況でも、その場で討ち取られてはいません。
配下には亜花錦のような突出した機動力を持つ千人将もおり、亜光軍そのものが王翦軍の中核として機能していました。
亜光の死亡は何巻何話?
亜光が戦死するのは単行本73巻に収録された第792話です。番吾の戦いの終盤にあたります。
番吾の戦いでの経過
番吾の戦いは単行本71巻の第770話から73巻の第799話にかけて描かれました。秦の総大将は王翦、趙側は李牧と司馬尚です。
李牧は飛信隊と玉鳳隊を本隊から切り離し、戦場を単純な力比べに持ち込みます。そこへ司馬尚の青歌軍が王翦の本陣へ突撃を仕掛けました。王翦本人の身が危うくなるところまで戦線が崩れます。
| 段階 | できごと |
|---|---|
| 1 | 亜光が趙の楽彰の軍と交戦し、背中を斬られて深手を負う |
| 2 | 下半身の感覚を失い、馬に支えられて立っている状態になる |
| 3 | 本陣が崩れ、王翦を逃がすため殿が必要になる |
| 4 | 当初殿を申し出た倉央も重傷だったため、亜光が引き受ける |
| 5 | 第792話。亜光が司馬尚の前に立ちはだかり、両断されて戦死する |
| 6 | 第793話。田里弥が殿を引き継ぎ、こちらも力尽きる |
亜光は最期に、王翦は唯一無二の存在であり、大将軍として国を造る人物だと言い切ってから討たれました。王翦の腹の内を誰よりも知る立場にありながら、最後まで疑わなかった将です。
亜光を討ったのは誰?
亜光を討ったのは趙の司馬尚です。青歌城を長く預かってきた将で、李牧に加わったことで番吾の戦いの構図を決定づけた人物にあたります。
ただし亜光は万全の状態で司馬尚に当たったわけではありません。すでに楽彰の軍との戦いで背中を斬られ、下半身の感覚を失っていました。それでも自分から殿を引き受け、司馬尚の前に立っています。
「馬南慈と尭雲に討たれた」説はどうだったのか
亜光については、番吾の戦いよりずっと前から死亡説がありました。朱海平原の戦い九日目に、趙の馬南慈と尭雲の二人がかりで攻められた場面です。
このとき亜光は重傷を負い、読者の間では戦死したのではないかと言われました。しかし実際には生き延びており、この時点では死亡していません。その後も王翦軍第一将として戦い続けています。
| 場面 | 相手 | 結果 |
|---|---|---|
| 朱海平原の戦い 九日目 | 馬南慈と尭雲 | 二対一で重傷を負うが生存 |
| 番吾の戦い 序盤から中盤 | 楽彰の軍 | 背中を斬られ、下半身の感覚を失う |
| 番吾の戦い 第792話 | 司馬尚 | 両断されて戦死 |
つまり、亜光の死亡説は二度出ています。一度目は誤りで、二度目が実際の戦死でした。「馬南慈と尭雲に討たれた」という情報を見かけた場合、それは朱海平原の話です。
史実では? 亜光に対応する人物はいない
『史記』をはじめとする史料に、亜光に相当する人物の記録はありません。作品オリジナルのキャラクターと考えられます。
番吾の戦いは実在するが、秦側の指揮官が記録にない
番吾の戦いそのものは実在します。紀元前232年、秦王政が趙へ大規模な侵攻を行い、太原へ進んで狼孟と番吾を占領しましたが、李牧に撃破されました。李牧はさらに韓と魏の国境まで領土を回復したとされます。
ただし『史記』には、この戦いを率いた秦の総大将の名が残っていません。総大将すら不明な戦いですから、その配下の第一将の名が伝わっていないのは当然と言えます。
王翦は実在する
亜光が仕えた王翦は実在の人物で、『史記』の白起王翦列伝に記録があります。
| 年 | できごと |
|---|---|
| 紀元前232年 | 秦が趙へ侵攻し、番吾で李牧に敗れる。秦側の指揮官の記録はない |
| 紀元前229年 | 王翦・羌瘣・楊端和らが趙を攻める。李牧と司馬尚が防戦にあたる |
| 紀元前228年 | 李牧が謀殺された三か月後、王翦が趙軍を破り、趙を滅ぼす |
| 紀元前224年 | 王翦が60万の大軍で楚を攻める。副将は蒙武 |
| 紀元前223年 | 楚の大将軍・項燕が自害し、楚が滅亡する |
史実の王翦は、部下に信じられる立場ではなかった
ここに作中との大きな違いがあります。史実の王翦をめぐる有名な逸話が、楚攻めの際の恩賞の話です。
60万という国中の兵を預かって出陣した王翦は、出発にあたって秦王政に立派な田や屋敷、庭園をしきりに求めました。国境に着いてからも、五度にわたって使者を送り、良い田を要求し続けています。
部下がその強欲さをいぶかしむと、王翦はこう説明しました。秦王は疑い深い性格であり、いま国中の兵を自分ひとりに預けている。子孫のための財産を求めておかなければ、謀反を疑われかねない、と。
つまり史実の王翦は、王に疑われないために欲深い将を演じた人物です。国中の兵を握った将軍が、常に猜疑の目にさらされていたことがわかります。
作中の亜光は、その王翦を疑わずに信じ切ったまま死にました。史実の王翦が置かれていた立場を知ると、亜光の最期の言葉の意味も変わってきます。
漫画と史実の違い
| 項目 | 『キングダム』 | 史実 |
|---|---|---|
| 亜光の実在 | 王翦軍第一将として活躍し、番吾で戦死 | 該当する記録は確認できない |
| 番吾の戦い | 王翦が総大将。秦の敗北 | 紀元前232年。秦の大敗だが指揮官の記録はない |
| 司馬尚 | 亜光と田里弥を倒す決定的な存在 | 李牧とともに趙の防衛を担った将として名が残る |
| 王翦への信頼 | 亜光は最期まで王翦を疑わなかった | 王翦自身は王に疑われぬよう振る舞う必要があった |
| 戦死者 | 亜光、田里弥ら王翦軍の将 | 個別の戦死者に関する記録は乏しい |
なぜ亜光はここで退場したのか
亜光は王翦軍の顔とも言える将でした。その亜光と、第二将の田里弥を続けて失わせたことで、王翦軍は側近将が倉央ひとりという状態になります。長年積み上げてきた指揮系統が事実上崩れました。
これは戦力を削るためだけの展開ではありません。王翦は完成された将として描かれてきました。何を考えているかわからないまま勝ち続ける存在です。その王翦を一度崩すには、王翦本人ではなく、王翦を支えてきた仕組みのほうを壊す必要がありました。
そしてもう一つ。亜光の最期の言葉は、王翦が国を造る人物だという確信でした。王翦は自分の野心を隠さない将として描かれており、その野心を部下がどう受け止めていたのかは長く描かれていません。亜光の死は、その答えを示す場面でもあります。
アニメではまだ描かれていない
この場面は単行本73巻にあたります。
2026年8月の時点で、アニメはここまで進んでいません。第6シリーズが鄴攻略編の序盤から中盤までを描いた段階で、続きは続編で扱われることになります。
| 単行本 | 73巻 |
|---|---|
| アニメ | 2026年8月時点で未放送 |
| 放送済みの最新 | 第6シリーズ。原作46巻の第490話から朱海平原の戦いの中盤まで |
続編の制作は決定していますが、放送時期は公表されていません。シリーズごとの原作範囲はアニメと原作の対応表にまとめています。
亜光に関するよくある質問
亜光が死亡するのは何巻何話ですか?
単行本73巻に収録された第792話です。番吾の戦いの終盤で、王翦を逃がすために殿を引き受けた場面にあたります。
亜光を討ったのは誰ですか?
趙の司馬尚です。すでに深手を負っていた亜光が司馬尚の前に立ちはだかり、両断されました。
亜光は馬南慈と尭雲に討たれたのですか?
違います。朱海平原の戦い九日目に二人がかりで攻められて重傷を負いましたが、このときは生存しています。実際に戦死したのは番吾の戦いの第792話です。
亜光の読み方は何ですか?
あこうと読みます。王翦軍の第一将であり、最も長く王翦を支えてきた将です。
亜光はどれくらい強かったのですか?
朱海平原の戦いでは秦軍右翼を任され、趙の馬南慈と一騎打ちで互角に渡り合いました。策より正面から当たる型で、その陣は崩れないと評されています。
番吾の戦いは何巻何話ですか?
単行本71巻の第770話から、73巻の第799話「戦の車輪」にかけて描かれています。結果は秦の敗北です。
亜光の次に誰が死にましたか?
第二将の田里弥です。第793話「本物の殿」で、亜光から殿を引き継ぎ、司馬尚の攻撃による致命傷を負ったまま馬上で息絶えました。
亜光は史実に実在しますか?
該当する記録は確認できません。『史記』に亜光の名はなく、作品オリジナルのキャラクターと考えられます。
史実の番吾の戦いはどうなりましたか?
紀元前232年、秦が趙へ侵攻して狼孟と番吾を占領しましたが、李牧に撃破されました。李牧はさらに韓と魏の国境まで領土を回復しています。
亜光の死後、王翦軍はどうなりましたか?
第一将の亜光と第二将の田里弥を同時に失い、側近将として残ったのは倉央のみとなりました。長く王翦を支えてきた指揮系統が事実上崩れています。
まとめ
- 亜光が戦死するのは単行本73巻の第792話
- 討ったのは趙の司馬尚。王翦を逃がすため囮となり、両断された
- 朱海平原で馬南慈と尭雲に重傷を負わされた場面は死亡ではなく、生存していた
- 番吾の戦いでは事前に楽彰の軍に背中を斬られ、下半身の感覚を失っていた
- 史実に対応する人物は確認できない。番吾の戦いは秦側の総大将すら記録されていない
史実の王翦は、王に疑われないよう欲深い将を演じ続けた人物でした。その王翦を、最期まで国を造る人だと信じて死んだのが亜光です。記録に残らなかった側近将にこの役割を与えたところに、作品の解釈が表れています。
この記事について
執筆・編集: マンガノシラベ編集部
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