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『キングダム』に出てくる秦兵の甲冑や武器が、どこまで実物に基づいているのか。その答えを持っているのが兵馬俑です。

この記事では、兵馬俑がどういう遺跡なのか、そこから何が分かったのか、そして作中の描写とどう結びつくのかを整理します。2200年前の秦兵の姿が、実物として8000体分残っているという状況は、他の時代にはほとんどありません。

結論

  • 兵馬俑は始皇帝陵に付属する陶製の軍団です。総計およそ8000体とされます。
  • 発見は1974年3月です。井戸を掘っていた住民が偶然見つけました。
  • 青銅の武器が実物で出土しています。弩の引き金にあたる弩機や剣が含まれます。
  • もとは彩色されていました。現在の灰色は、掘り出された後に色が失われた状態です。

兵馬俑とは何か

整列した兵馬俑の兵士像
兵馬俑は始皇帝陵を守るために配置されました(画像はイメージです)
読み方 へいばよう
場所 中国・陝西省西安市臨潼区
造られた時期 紀元前3世紀。始皇帝の在位中
規模 3つの坑で2万平方メートル超。総計およそ8000体
発見 1974年3月。井戸を掘っていた住民による
世界遺産登録 1987年。「秦始皇帝陵および兵馬俑坑」として

兵馬俑は、始皇帝の陵墓を守るために造られた陶製の軍団です。等身大の兵士像が、実際の軍の編成に沿って配置されています。

場所は始皇帝陵の東側です。陵墓の本体ではなく、その付属施設にあたります。都であった咸陽からは東へ60キロほど離れた位置になります。

1974年の発見

兵馬俑が見つかったのは、考古学的な調査によってではありません。

1974年3月、臨潼県の西揚村で、住民が井戸を掘っていました。そこで陶器の破片が出てきます。掘り進めると、人の頭部や胴体、そして青銅製の矢じりが現れました。

2200年のあいだ、誰にも知られずに地下にありました。『史記』には始皇帝陵の記述がありますが、兵馬俑については触れられていません。記録に残っていない施設が、そのまま埋まっていたことになります。

規模 内容
1号坑 長さ230メートル、幅62メートル。最大 歩兵を中心とした主力部隊
2号坑 1号坑より小さい 騎兵、弩兵、戦車を含む混成部隊
3号坑 最小 指揮所にあたるとされる

なぜ一体ずつ顔が違うのか

兵馬俑の特徴として、顔がすべて異なると紹介されることがあります。実際には、完全な一点物というわけではありません。

頭部・胴体・腕・脚といった部品は、いくつかの型で作られていました。それを組み合わせたうえで、耳や髭、髪型、表情を手作業で仕上げます。型の組み合わせと手仕上げによって、結果として同じ顔が並ばない状態を作り出しました。

これは大量生産の技術です。8000体を一体ずつ完全に手で作れば、必要な時間と職人の数が現実的ではありません。規格化された部品と、最後の個別仕上げ。この組み合わせが、秦の生産体制を示しています。

同じ考え方は武器にも見られます。弩機の部品は規格が揃っており、交換が可能でした。軍を規格で運用するという発想が、陶器にも兵器にも共通しています。

出土した武器とキングダム

兵馬俑からは、模造品ではなく実物の青銅製武器が出土しています。

武器 分かったこと
弩機 弩の引き金部分。部品の精度が高く、大量生産されていた
青銅剣 長い直剣。2000年以上たっても錆びにくい状態のものがある
矛・戈 長柄の武器。歩兵の主力装備
矢じり 大量に出土。三角錐の形状で貫通力が高い

作中で各軍が弩を使う場面がありますが、これは考証に基づいた描写です。秦が中華を統一できた要因のひとつとして、弩を装備した歩兵軍団を挙げる見方があります。

弩は引き絞った状態で固定できるため、通常の弓ほど膂力を必要としません。訓練期間も短くて済みます。個々の兵の技量に頼らず、装備の性能と数で押す軍隊が、この時代に成立していました。

もとは彩色されていた

いま写真で見る兵馬俑は灰色です。しかし造られた当時は、鮮やかに彩色されていました。

発掘時には顔料が残っている個体もあります。ただし空気に触れると急速に劣化し、色が失われてしまいます。そのため現在の発掘は、色をどう保存するかという問題と並行して慎重に進められています。

甲冑の色、衣服の色、肌の色。それらが分かってきたことで、秦の兵士の姿は当初の想像よりずっと色彩豊かなものだったと考えられています。

始皇帝陵の本体は掘られていない

兵馬俑は始皇帝陵の付属施設にすぎません。陵墓の本体は、現在も発掘されていません。

『史記』は、陵墓の内部に水銀で川や海を再現したという記述を残しています。実際、陵墓周辺の土壌からは高濃度の水銀が検出されたという調査結果が報告されています。

発掘が行われないのは、技術的な理由が大きいとされます。兵馬俑の彩色が失われた経験から、開けた瞬間に失われるものがあると分かっているためです。

誰が造ったのか

これだけの規模を造るには、膨大な人手が要ります。

『史記』には、始皇帝陵の造営に70万人余りが動員されたという記述があります。数字の正確さには議論がありますが、国家事業として大量の労働力が投入されたことは確かです。

兵馬俑からは、製作者の名を刻んだ個体が見つかっています。誰がどの部品を作ったかを記録する仕組みがあったということです。これは商鞅の変法以来の秦の統治手法にあたります。不良品が出れば作った者まで遡れる形で、責任の所在を明確にしていました。

仕組み 内容
製作者名の刻印 部品ごとに担当者の名が刻まれる
規格の統一 弩機の部品は互換性を持つ精度で作られた
分業 頭部・胴体・腕・脚を別々に作り、組み立てる
最終仕上げ 表情や髪型を手作業で加える

作中で描かれる秦の国のあり方と、この生産体制は地続きです。法で管理し、規格で揃え、責任を追跡する。その仕組みが8000体の陶製兵士という形で地下に残っていました。

兵馬俑を見に行くには

兵馬俑坑は博物館として公開されており、実際に見学できます。

項目 内容
正式名称 秦始皇帝陵博物院
場所 陝西省西安市臨潼区
最寄りの空港 西安咸陽国際空港
見どころ 1号坑の全景、修復中の兵士像、出土した銅車馬

1号坑は覆屋の中に収められており、上から全体を見下ろす形になります。整列した兵士が奥まで続く光景は、写真で見るのと実際に立つのとでは印象がかなり違うと言われます。

また、修復作業を見学できる区画もあります。発見から50年以上経った現在も、修復と発掘は続いています。すべてが掘り出されて並んでいるわけではありません。

キングダムの描写とのつながり

作中の要素 兵馬俑から分かること
秦兵の甲冑 魚鱗状の札を綴じた形式。階級によって形が異なる
髪型 結い上げた髷。兵士ごとに結い方が違う
実物の弩機が出土。作中の使われ方と整合する
戦車 2号坑から戦車と馬の像が出土している
騎兵 鞍を置いた馬の像がある。ただし鐙はまだない

興味深いのは鐙(あぶみ)です。兵馬俑の馬には鐙がありません。足を掛ける装具がない状態で馬に乗り、武器を振るっていたことになります。作中の騎馬突撃を見るときに知っておくと、その難度が変わって見えます。

始皇帝陵という遺跡

兵馬俑は、始皇帝陵の一部にあたります。

項目 内容
場所 陝西省西安の郊外
規模 陵墓を含む一帯は広大
本体 地下宮殿は発掘されていない
記録 水銀の川が流れていると『史記』にある

発掘されているのは、陵の周辺に埋められた兵馬俑です。陵そのものには、まだ手が付けられていません。

技術的な問題と保存の観点から、掘らない判断が続いています。記録に書かれた内容を確かめられていない状態です。

兵馬俑に関するよくある質問

兵馬俑はどこにありますか?

中国・陝西省西安市臨潼区です。秦の都だった咸陽からは東へ60キロほど離れています。

兵馬俑は何体ありますか?

3つの坑を合わせて、総計およそ8000体とされます。

いつ発見されたのですか?

1974年3月です。臨潼県の西揚村で井戸を掘っていた住民が偶然見つけました。

本当に一体ずつ顔が違うのですか?

部品は型で作られていましたが、耳や髭、髪型、表情を手作業で仕上げているため、結果として同じ顔が並ばない状態になっています。

兵馬俑から武器は出土していますか?

しています。弩の引き金にあたる弩機、青銅剣、矛、戈、矢じりなどが実物として出土しました。

兵馬俑には色がついていたのですか?

造られた当時は鮮やかに彩色されていました。発掘後に空気へ触れることで顔料が劣化し、色が失われます。

始皇帝陵は発掘されているのですか?

本体は発掘されていません。技術的な問題が大きく、開けた瞬間に失われるものがあるためとされます。

『史記』に兵馬俑の記述はありますか?

ありません。始皇帝陵についての記述はありますが、兵馬俑には触れられていません。

キングダムの装備は考証されていますか?

甲冑の形式や弩の使い方など、兵馬俑から分かる要素が反映されています。

兵馬俑の馬に鐙はありますか?

ありません。この時代にはまだ鐙が存在せず、足を掛ける装具なしで騎乗していたことになります。

まとめ

  • 兵馬俑は始皇帝陵の付属施設で、総計およそ8000体の陶製の軍団
  • 1974年3月、井戸を掘っていた住民が偶然発見した
  • 『史記』に記述がなく、2200年のあいだ知られていなかった
  • 部品を型で作り、最後を手仕上げする方法で大量生産された
  • 弩機・青銅剣・矢じりなど実物の武器が出土している
  • 造られた当時は彩色されており、現在の灰色は色が失われた状態
  • 始皇帝陵の本体は現在も発掘されていない

作中で信たちが着ている甲冑も、構えている弩も、実物が地下から出てきています。物語の側の想像ではなく、記録として残っているという点が、この時代の面白いところです。

この記事について

執筆・編集: マンガノシラベ編集部
公式コミックスおよび公開されている史料をもとに作成しています。内容に誤りを見つけられた場合はお問い合わせよりご連絡ください。