キングダムと三国志はどっちが先?時系列を年表で解説|400年以上の差と項燕の孫が項羽という子孫のつながり
この記事には『キングダム』の結末に関わる史実(秦の中華統一とその後)が含まれます。連載の進行状況は2026年8月時点のものです。
『キングダム』を読んでいると必ず出てくる疑問が、三国志との関係です。同じ中国の戦乱を描いた物語なのに、登場人物がまったく重なりません。どちらが先の時代なのかも、意外とはっきり説明されていないことが多いものです。
この記事では、キングダムと三国志の時代の前後関係を年表で整理します。答えを先に言うと、キングダムのほうが約450年も前の話です。そして両者は無関係ではなく、秦から漢へ、漢から三国へと一本の線でつながっています。
結論
- キングダムのほうが先です。キングダムは紀元前3世紀、三国志は2世紀から3世紀の出来事です。
- その差はおよそ400年から450年。秦の統一が紀元前221年、三国志の始まりとされる黄巾の乱が西暦184年です。
- 両者は漢という王朝でつながっています。キングダムの秦が滅びたあとに漢が生まれ、その漢が崩れていく過程が三国志です。
キングダムと三国志の基本情報

| 項目 | キングダム | 三国志 |
|---|---|---|
| 時代 | 春秋戦国時代の末期。紀元前3世紀 | 後漢末から三国時代。2世紀末から3世紀 |
| おおよその年 | 紀元前245年ごろから紀元前221年 | 西暦184年から280年 |
| 下敷きになった史料 | 『史記』(前漢の司馬遷が編纂) | 正史『三国志』(西晋の陳寿が編纂) |
| 物語のゴール | 秦による中華統一 | 魏・蜀・呉の争いと、晋による再統一 |
| 主要人物 | 嬴政、信、王翦、李牧など | 曹操、劉備、孫権、諸葛亮など |
| 国の数 | 戦国七雄(秦・趙・魏・韓・楚・燕・斉) | 魏・蜀・呉の三国 |
時代が違えば人物も違います。キングダムの登場人物が三国志に出てこないのは当然で、両者のあいだには日本でいえば鎌倉時代から江戸時代まで以上の時間が流れています。
どっちが先? 400年以上の開きがある
結論はすでに書いたとおり、キングダムが先です。ただ「先」という言葉では距離感が伝わらないので、数字で見てみます。
| 比べる時点 | キングダム側 | 三国志側 | 差 |
|---|---|---|---|
| 物語の始まり | 紀元前245年ごろ | 西暦184年(黄巾の乱) | 約429年 |
| 物語の到達点 | 紀元前221年(秦の統一) | 西暦220年(魏の建国) | 約441年 |
| 時代の終わり | 紀元前206年(秦の滅亡) | 西暦280年(晋の統一) | 約486年 |
比べる時点によって多少ぶれますが、おおむね400年から450年ほどキングダムのほうが古い、と押さえておけば間違いありません。
紀元前と西暦をまたぐため計算がややこしく感じられますが、紀元前221年と西暦220年なら、そのまま足して441年と考えれば済みます。
史実では? 秦から三国時代までの年表
キングダムの終わりと三国志の始まりのあいだに何があったのか。ここが両作品のつながりを理解する鍵になります。
| 年 | 出来事 | 位置づけ |
|---|---|---|
| 紀元前245年ごろ | 秦王政が即位。『キングダム』の物語が始まる | キングダム |
| 紀元前221年 | 秦が中華を統一。政が始皇帝を名乗る | キングダムの結末 |
| 紀元前210年 | 始皇帝が巡幸の途中で死去する | 秦 |
| 紀元前209年 | 陳勝・呉広の乱が起こり、各地で反乱が広がる | 秦 |
| 紀元前207年 | 鉅鹿の戦い。項羽が秦軍を破る | 秦 |
| 紀元前206年 | 劉邦が咸陽に入り、秦が滅亡する | 秦の終わり |
| 紀元前202年 | 劉邦が垓下の戦いで項羽を破り、漢を建てる | 前漢 |
| 西暦8年 | 王莽が皇帝となり、国号を新と改める | 前漢の終わり |
| 西暦25年 | 劉秀(光武帝)が漢を再興する | 後漢 |
| 西暦184年 | 黄巾の乱。三国志の物語が動き出す | 三国志の始まり |
| 西暦220年 | 曹丕が魏を建て、後漢が滅びる | 三国時代 |
| 西暦221年 | 劉備が蜀を建てる | 三国時代 |
| 西暦280年 | 晋が呉を滅ぼし、中国を再統一する | 三国志の終わり |
秦の統一からわずか15年で秦は滅び、そのあと約400年続いたのが漢です。三国志は、その長い漢が寿命を迎える場面から始まります。
秦が滅びたあと、なぜ漢が400年も続いたのか
秦は中華を統一しましたが、始皇帝の死からわずか4年で崩壊しました。統治の負担が重すぎたためです。
ただし、秦が作った仕組みそのものは消えませんでした。全国を郡と県で分けて中央から管理する郡県制、文字や度量衡の統一といった枠組みは、続く漢がほぼそのまま受け継いでいます。三国志の登場人物たちが争っていたのは、秦が設計し漢が育てた統一国家の主導権でした。
キングダムと三国志をつなぐ人物
時代が離れていても、血のつながりで両者が接する箇所があります。
項燕と項羽は祖父と孫
キングダムの楚に項燕という大将軍がいます。史実の項燕は紀元前225年に李信の秦軍を大敗させ、翌年からの王翦の侵攻で敗れた人物です。
この項燕の孫が、秦を滅ぼす側の主役となる項羽です。祖父が秦に敗れ、孫が秦を倒す。キングダムの結末と、その直後に起こる出来事は、ひとつの家系でつながっています。
王翦の孫は項羽に敗れている
さらに対になる話があります。秦の名将・王翦には王賁という息子がおり、王賁の子が王離です。この王離は、紀元前207年の鉅鹿の戦いで項羽に敗れ、捕らえられました。
| 世代 | 秦側 | 楚側 | 結果 |
|---|---|---|---|
| 祖父の世代 | 王翦 | 項燕 | 王翦が勝ち、楚が滅ぶ |
| 孫の世代 | 王離 | 項羽 | 項羽が勝ち、秦が滅ぶ |
キングダムの主要人物である王翦と、その敵である項燕。その孫同士が同じ構図で戦い、結果が逆転しました。これは考察ではなく、史書に残っている流れです。
なお、王離の子孫が後の名門・琅邪王氏につながり、三国時代の魏や晋の人物を輩出したとする系図も伝わっています。ただしこの系譜は『新唐書』の記載にもとづくもので、信憑性を疑問視する見方もあります。断定はできない部分です。
作品としての違い
| 項目 | キングダム | 三国志 |
|---|---|---|
| 作品の形 | 原泰久による漫画。連載中 | 正史と、後世に書かれた小説『三国志演義』がある |
| 史料との距離 | 『史記』の骨格を守りつつ創作人物を多数加える | 正史は記録、演義は大幅な脚色を含む物語 |
| 成立した時期 | 2006年連載開始 | 正史は3世紀、演義は14世紀ごろ |
| 物語の視点 | 統一する側(秦) | 分裂した三国それぞれ |
三国志を読むときに正史と演義を区別する必要があるのと同じで、キングダムにも『史記』に記録がある人物と、作品独自の人物が混在しています。どちらの作品も「歴史そのもの」ではなく「歴史をもとにした物語」であるという点は共通しています。
同じころ日本では何が起きていたか
時代の距離をつかむには、日本と並べるとわかりやすくなります。
| 中国 | 年 | 日本 |
|---|---|---|
| 秦の中華統一 | 紀元前221年 | 弥生時代。稲作が各地へ広がっていた時期 |
| 後漢の成立 | 西暦25年 | 弥生時代。倭の国々が漢へ使者を送り始める |
| 三国時代 | 西暦239年 | 邪馬台国の卑弥呼が魏へ使者を送る |
卑弥呼が使いを送った相手の「魏」は、三国志の魏そのものです。日本史の教科書に出てくる出来事と三国志は同時代ですが、キングダムはそれよりさらに400年以上前ということになります。
なぜ二つの時代は混同されやすいのか
キングダムと三国志が同じ時代のように感じられる理由は、いくつかあります。
| 混同の理由 | 実際は |
|---|---|
| どちらも武将が大軍を率いて戦う | 戦い方も装備も400年で大きく変わっている |
| 国名に「漢」「魏」「趙」など似た字が並ぶ | 戦国の魏と三国の魏は別の国。同じ地域名が再利用されている |
| どちらも「中国の英雄たちの物語」として紹介される | 統一へ向かう話と、統一が崩れる話で方向が逆 |
| ゲームや漫画で世界観が近く見える | 作品の演出であり、史実の時代区分は別 |
特に紛らわしいのが国名です。戦国七雄にも魏があり、三国時代にも魏があります。趙という国名も、戦国の趙のほかに後の時代に何度か使われています。同じ土地の名前が新しい王朝の国号として繰り返し使われたためで、同じ国が続いているわけではありません。
物語の向きが逆である点も押さえておくと整理しやすくなります。キングダムはばらばらの国がひとつにまとまる話で、三国志はひとつだった国が割れていく話です。時代が離れているだけでなく、描いている運動の方向そのものが反対になっています。
キングダムと三国志に関するよくある質問
キングダムと三国志はどっちが先ですか?
キングダムが先です。キングダムは紀元前3世紀、三国志は西暦2世紀から3世紀の出来事で、およそ400年から450年の開きがあります。
キングダムは何年ごろの話ですか?
紀元前245年ごろから紀元前221年ごろまでです。秦王政が即位してから中華を統一するまでの期間にあたります。
三国志はいつからいつまでですか?
一般に184年の黄巾の乱から始まり、280年に晋が呉を滅ぼして中国を再統一するまでとされます。
キングダムの登場人物は三国志に出てきますか?
出てきません。400年以上離れているため、同じ人物が両方に登場することはありません。ただし子孫としてつながる家系はあります。
キングダムと三国志はつながっていますか?
つながっています。キングダムの秦が滅びたあとに漢が建てられ、その漢が衰えていく過程が三国志です。あいだに漢という約400年の王朝が入ります。
項羽はキングダムに出てきますか?
作中に登場する項燕の孫が項羽です。項羽自身はキングダムの時代にはまだ活躍しておらず、秦の統一後の混乱期に台頭します。
始皇帝が死んだあと秦はどうなりましたか?
紀元前210年に始皇帝が死去すると各地で反乱が起こり、紀元前206年に劉邦が咸陽へ入って秦は滅亡しました。統一から15年ほどの短命な王朝でした。
キングダムの結末は史実でどうなりますか?
秦が中華を統一します。紀元前221年に六国がすべて滅び、秦王政が始皇帝を名乗りました。
三国志の魏と日本の関係は何ですか?
239年に邪馬台国の卑弥呼が魏へ使者を送り、称号を受けたと伝えられています。三国志の魏は日本の古代史とも接点があります。
キングダムを読んだあと三国志を読むと理解しやすいですか?
理解しやすくなります。秦が作った郡県制や文字の統一といった仕組みは漢に引き継がれ、三国志の登場人物が争ったのはその統一国家の主導権でした。前提となる枠組みを先に知ることになります。
まとめ
- キングダムのほうが先で、三国志との差はおよそ400年から450年
- キングダムは紀元前245年ごろから紀元前221年、三国志は184年から280年
- 秦は統一から15年で滅び、そのあと約400年続いた漢が崩れる場面から三国志が始まる
- 項燕の孫が項羽、王翦の孫が王離で、両者は鉅鹿の戦いで祖父の世代と逆の結果を出した
- 三国志の魏は、日本で卑弥呼が使者を送った相手と同じ国
キングダムの結末である中華統一は、歴史の終点ではなく出発点でした。秦が作った国のかたちが漢に受け継がれ、その漢が壊れていく過程が三国志になります。二つの物語は別々の話ではなく、同じ流れの前半と後半にあたります。
この記事について
執筆・編集: マンガノシラベ編集部
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