キングダムの李斯(りし)は死亡する?作中は生存・史実は趙高に陥れられ紀元前208年に腰斬の刑
この記事には『キングダム』本編の展開と、史実にもとづく今後の予測が含まれます。連載の進行状況は2026年8月時点のものです。
『キングダム』で「りし」と検索すると出てくるのが、法の番人と呼ばれる文官・李斯(りし)です。呂不韋の側近として登場し、のちに政の陣営で秦の法制度を組み立てていく人物です。
この記事では、李斯が作中で死亡しているのか、そして史実の李斯がどのような最期を迎えたのかを整理します。史実の李斯は、秦帝国を作り上げた最大の功臣でありながら、宦官・趙高に陥れられて腰斬という刑で処刑されています。その経緯まで含めて調べました。
結論
- 李斯は作中でまだ死亡していません。2026年8月時点で健在です。単行本10巻あたりで呂氏四柱の一人として登場して以降、秦の法制を担い続けています。
- 史実の李斯は処刑されています。紀元前208年、咸陽の市中で腰斬の刑に処されました。
- 原因は趙高との権力争いです。始皇帝の死後、李斯は趙高と組んで胡亥を二世皇帝に擁立しましたが、その趙高に謀反の罪を着せられ、一族もろとも滅ぼされました。
李斯のプロフィール

| 名前 | 李斯(りし) |
|---|---|
| 二つ名 | 法の番人 |
| 所属 | 秦国。当初は呂不韋陣営、のちに政の陣営 |
| 役職 | 文官。法制の責任者 |
| 呂氏四柱 | 昌平君、蒙武、蔡沢、李斯の4人 |
| 信条 | 法とは国家が国民に望む理想を形にしたものだという考え方 |
| 作中の生死 | 2026年8月時点で生存 |
| 史実のモデル | 秦の丞相・李斯(実在) |
『キングダム』の李斯は、呂不韋を支える呂氏四柱の一人として登場します。四柱は軍事を担う昌平君と蒙武、外交と相談役の蔡沢、そして法を担う李斯という構成です。感情よりも制度を優先する冷徹な合理主義者として描かれつつ、義理堅い一面も持つ人物です。
李斯は作中で死亡した? 現在の状況
結論として、李斯は作中でまだ死亡していません。2026年8月時点の連載で健在です。
呂不韋の失脚後、李斯は一度は投獄されます。しかし中華統一のために彼の法の知識が不可欠だと判断され、昌文君の口添えもあって釈放されました。その後は政の陣営に加わり、全国規模の戸籍作りや徴兵の制度整備といった、地味ですが国家の土台になる仕事を担っています。
李斯が作中で果たしている役割
| 時期 | 立場 |
|---|---|
| 呂不韋陣営 | 呂氏四柱の一人。法の番人として法制を担当する |
| 呂不韋失脚後 | 一時投獄されるが、法の知識が必要とされ釈放される |
| 政の陣営 | 法律面の中枢を担う。昌文君らとともに戸籍と徴兵の制度を整える |
戦場の描写が中心の作品において、李斯の仕事はほとんどが机の上のものです。しかし戸籍と徴兵の制度が整わなければ、そもそも大軍を動かすことはできません。作中で秦が繰り返し大軍を編成できている前提を支えているのが、この人物だと言えます。
史実では? 李斯は腰斬の刑で処刑された
李斯は実在の人物です。そして史実の李斯は、秦帝国の設計者と言ってよい功績を残しながら、最後は自分が整えたはずの法によって処刑されました。
李斯の経歴
| 年代 | 出来事 |
|---|---|
| 出身 | 楚の上蔡。現在の河南省上蔡県にあたる |
| 学問 | 荀子に師事し、帝王の術を学ぶ。同門に韓非がいた |
| 紀元前247年 | 秦に入り、呂不韋の食客となる。のちに郎に任じられる |
| 紀元前237年 | 鄭国事件を機に逐客令が出される。李斯は「諫逐客書」を上書し撤回させる。のちに廷尉となる |
| 紀元前233年 | 韓非を讒訴し、韓非は獄中で自ら命を絶つ |
| 紀元前221年 | 六国の併合が完了。皇帝号、郡県制、度量衡の統一などを建議する |
| 紀元前213年 | 焚書を建議する。詩経や書経などの民間所蔵を禁じた |
| 紀元前210年 | 始皇帝が巡行中に死去。沙丘の変が起こる |
| 紀元前208年 | 趙高に陥れられ、咸陽の市中で腰斬に処される |
諫逐客書と韓非の死
李斯の名を最初に高めたのが諫逐客書です。紀元前237年、韓のスパイが発覚したことをきっかけに、秦の重臣たちは他国出身者をすべて追放するよう求めました。楚出身の李斯も対象です。彼はこれに対し、他国の人材を用いてきたからこそ秦は強くなったという趣旨の文章を上書し、秦王政に命令を撤回させました。この文章は後世、文選に収められています。
一方で、同門だった韓非に対する扱いは冷徹でした。紀元前233年、韓非の著作が秦王政に高く評価されると、李斯は姚賈とともに韓非を讒訴します。韓非は獄中で自ら命を絶ちました。法家思想を体系化した人物を、同じ法家の李斯が排除した形です。
沙丘の変と趙高との共謀
紀元前210年、始皇帝は巡行の途中で死去します。ここで宦官の趙高が動きました。本来なら長男の扶蘇が跡を継ぐはずでしたが、趙高は末子の胡亥を立てようと李斯を説得します。
李斯は当初これに抵抗しました。しかし最終的には偽の詔書を作ることに同意し、扶蘇と将軍・蒙恬に死を命じる命令を発します。史実では、このとき李斯は乱世に自分ひとりが生き延びて死ぬこともできないと嘆いたと伝えられています。
| 手順 | 内容 |
|---|---|
| 1 | 紀元前210年、始皇帝が巡行先で死去する |
| 2 | 趙高が李斯を説得し、胡亥の擁立で合意する |
| 3 | 偽の詔書により、扶蘇と蒙恬に死が命じられる |
| 4 | 胡亥が二世皇帝として即位する |
| 5 | 趙高が実権を握り、李斯は次第に追い詰められる |
腰斬の刑と「東門の黄犬」
胡亥の即位後、権力を握ったのは趙高でした。紀元前209年に陳勝・呉広の乱が起こると、李斯は胡亥を諫めようとしますが聞き入れられません。趙高は、李斯の子である李由が三川郡守として反乱を防げなかったことなどを口実に、李斯を投獄します。
獄中で李斯は千回を超える鞭打ちを受けたとされ、耐えきれず趙高が捏造した謀反の罪を認めました。紀元前208年、咸陽の市中で五刑を受けたのち腰斬に処されます。腰斬とは胴を断ち切る刑で、即死しないぶん苦痛が長く続く処刑法です。一族は三族に至るまで皆殺しにされました。
処刑の直前、李斯は同じく引かれていく息子にこう語りかけたと伝えられます。お前と黄色い犬を連れて、上蔡の東門から兎狩りに出かけたものだが、もう二度とできないと。故郷での何でもない日々を思い出すこの逸話は「東門の黄犬」として知られています。
なお、処刑の年については紀元前208年とする記述と紀元前207年とする記述があり、史料の解釈によって幅があります。李斯の死の翌年、趙高は胡亥を殺し、さらにその翌年に秦は滅びました。
漫画と史実の違い
| 項目 | 『キングダム』 | 史実 |
|---|---|---|
| 現在の状況 | 2026年8月時点で生存 | 紀元前208年ごろに処刑 |
| 死因 | 未描写 | 腰斬。趙高の陥れによる処刑 |
| 立場 | 呂氏四柱の一人。のちに政陣営の法制担当 | 呂不韋の食客から廷尉、そして丞相へ昇進 |
| 韓非との関係 | 法の考え方をめぐる文脈で語られる | 同門でありながら讒訴し、死に追いやった |
| 始皇帝の死後 | 未描写 | 趙高と組んで胡亥を擁立し、扶蘇と蒙恬に死を命じた |
| 一族 | 未描写 | 三族に至るまで皆殺しにされた |
李斯はいつ死亡する見込みか
『キングダム』は史実の骨格をおおむね踏襲して進んでいます。史実で李斯が処刑されるのは、始皇帝の死後、趙高が実権を握ってからです。
作中はまだ中華統一の途上であり、始皇帝の死どころか統一そのものが達成されていません。李斯の最期が描かれるとすれば、それは物語のかなり終盤ということになります。趙高も作中に登場しているため、対立の下地は用意されていると読めます。
ただし、原泰久氏がこの結末をどう描くかは分かりません。史実の記述と異なる過程が描かれる可能性もあるため、時期も内容も断定は避けるべきところです。
なぜ李斯はこのように描かれたのか
史実の李斯は、皇帝という称号、郡県制、文字と度量衡の統一という、いまの中国の原型にあたる制度をまとめて建議した人物です。同時に、焚書を進言して思想を統制し、同門の韓非を死なせた人物でもあります。
『キングダム』の李斯が法を願いとして語るのは、この二面性を踏まえた描き方だと考えられます。法が国のかたちを作るという信念は本物であり、だからこそその信念のために人を切り捨てることもできてしまう。史実の李斯が最後に自分が整えた刑罰の体系によって裁かれたことは、その考え方の帰結でもあります。
中華統一という主題を掲げる作品にとって、統一を制度の面から実現した人物が悲惨な最期を迎えるという史実は重い意味を持ちます。戦場で勝つことと、勝ったあとの国を保つことは別だという事実を、李斯という人物がそのまま示しています。
李斯に関するよくある質問
李斯は作中で死亡しましたか?
していません。2026年8月時点の連載で健在です。呂不韋の失脚後に一度投獄されましたが、釈放されて政の陣営に加わっています。
史実の李斯はどうやって死んだのですか?
腰斬の刑です。趙高に謀反の罪を着せられ、咸陽の市中で五刑を受けたのち胴を断たれました。一族も三族に至るまで処刑されています。
李斯が処刑されたのはいつですか?
紀元前208年とされます。史料の解釈によっては紀元前207年とする記述もありますが、二世皇帝の治世で趙高が実権を握っていた時期という点は共通しています。
李斯の二つ名は何ですか?
法の番人です。呂不韋を支える呂氏四柱の一人として、法を担当する立場で登場します。
呂氏四柱とは誰のことですか?
昌平君、蒙武、蔡沢、李斯の4人です。軍事を昌平君と蒙武、外交と相談役を蔡沢、法を李斯が担当しました。
李斯は韓非とどういう関係ですか?
荀子のもとで学んだ同門です。しかし史実では紀元前233年に李斯が姚賈とともに韓非を讒訴し、韓非は獄中で自ら命を絶ちました。
諫逐客書とは何ですか?
紀元前237年、他国出身者の追放令に反対して李斯が上書した文章です。秦王政はこれを受けて命令を撤回しました。後世、文選に収められています。
李斯は焚書に関わりましたか?
関わっています。紀元前213年、民間で詩経や書経などを所蔵することを禁じる建議を行いました。いわゆる焚書坑儒のうち、焚書は李斯の進言によるものです。
「東門の黄犬」とは何ですか?
処刑される直前、李斯が息子に語ったとされる言葉です。故郷の上蔡の東門から黄色い犬を連れて兎狩りに出かけた日々を懐かしむ内容で、栄達の果ての後悔を表す逸話として知られています。
李斯の最期は作中でいつ描かれますか?
時期は明言されていません。史実では始皇帝の死後の出来事であり、作中はまだ中華統一の途上のため、描かれるとすればかなり終盤になると考えられます。
まとめ
- 李斯は2026年8月時点の連載で死亡しておらず、健在
- 呂氏四柱の一人として登場し、のちに政の陣営で法制を担っている
- 史実の李斯は紀元前208年ごろ、咸陽の市中で腰斬の刑に処された
- 原因は趙高による陥れ。始皇帝の死後に胡亥を擁立した相手に滅ぼされた
- 皇帝号、郡県制、文字と度量衡の統一を建議した一方、焚書も進言している
統一後の国のかたちを作った人物が、自分の整えた刑罰で死ぬ。史実のこの結末を知っていると、作中で李斯が法について語る場面の重さも変わってきます。
この記事について
執筆・編集: マンガノシラベ編集部
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