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ネタバレ注意
この記事には『キングダム』朱海平原(鄴攻略戦)の展開に関する記述が含まれます。未読の方はご注意ください。

王翦軍の第一将・亜光は、その陣が崩れないと評される武将でした。その亜光を瀕死に追い込んだ人物がいます。

尭雲(ぎょううん)です。藺家十傑の筆頭であり、朱海平原で王賁と一騎打ちを演じた将にあたります。この記事では、尭雲がどういう人物だったのかを整理します。

結論

  • 尭雲は藺家十傑の筆頭です。次席が趙峩龍でした。
  • 王翦軍の亜光を瀕死に追い込みました。馬南慈とともに追い詰めています。
  • 朱海平原で王賁との一騎打ちに敗れ、戦死します。
  • 趙峩龍の死が、尭雲を動かしました。信と王賁への復讐を誓っています。

尭雲とはどんな人物か

霧の平原と騎馬の影
尭雲は藺家十傑の筆頭として朱海平原に立ちました(画像はイメージです)
読み方 ぎょううん
所属 趙・藺家十傑
序列 筆頭。次席は趙峩龍
主な戦績 王翦軍の亜光を瀕死に追い込む
結末 朱海平原で王賁に討たれる
史実 記録なし。作品の創作

藺家十傑は、藺相如に仕えた10人の武人です。武を持たなかった藺相如の「武」として存在した集団でした。その筆頭が尭雲にあたります。

朱海平原の時点で、十傑に残っていたのは尭雲と趙峩龍の2人だけでした。藺相如の時代から年月が経ち、多くはすでに失われています。

亜光を追い詰めた戦い

尭雲の実力を示すのが、王翦軍の第一将・亜光との戦いです。

亜光は、その陣が崩れないと評される武将でした。王翦軍の四将の筆頭であり、堅さで知られる存在です。

その亜光を、尭雲は馬南慈とともに追い詰めました。亜光はこの戦いで瀕死の重傷を負い、いったん戦線を離脱しています。

人物 立場 朱海平原での結果
亜光 王翦軍の第一将 尭雲と馬南慈に追い詰められ瀕死
馬南慈 李牧の側近。雁門の鬼人 生存
尭雲 藺家十傑の筆頭 王賁に討たれる

のちに亜光は復帰しますが、番吾の戦いで司馬尚に討たれました。尭雲が与えた傷が、その後の亜光の戦いに影響した可能性もあります。

趙峩龍の死と復讐

朱海平原で先に倒れたのは、次席の趙峩龍でした。

趙峩龍は14日目、信との一騎打ちに敗れます。その最期に、尭雲へ後を託すような言葉を残しました。

これを聞いた尭雲は、信と王賁への復讐を誓います。藺家十傑の最後の2人のうち、先に倒れたほうが、残ったほうに理由を渡した形です。

人物 倒した相手
1 趙峩龍(次席)
2 尭雲(筆頭) 王賁

結果として、藺家十傑はこの戦役で完全に絶えました。

王賁との一騎打ち

尭雲を破ったのは王賁です。

王賁は当初、武功への執着が強い人物として描かれていました。将軍首を狙って部隊ごと危険に踏み込む場面が繰り返し出てきます。著雍の戦いでは紫伯へ突っ込もうとして関常に止められました。

その王賁が、藺家十傑の筆頭を破ります。ただし王賁もこの戦いで重傷を負っており、一方的な勝利ではありませんでした。

朱海平原では、信も龐煖戦で危機に陥り、羌瘣が禁術で寿命を削って救っています。秦の若手が格上を倒した戦役ですが、代償は小さくありませんでした。

朱海平原の配置

尭雲が戦った朱海平原は、鄴攻略戦の主戦場です。単行本46巻・第495話から59巻・第640話まで、作中最長の戦役にあたります。

この戦場では、秦の若手3隊と趙の各系統の武将が別々の戦線でぶつかりました。

戦線
左翼 飛信隊(信) 趙峩龍、岳嬰ら
中央 王翦軍 李牧本隊
右翼 玉鳳隊(王賁) 尭雲ら

藺家十傑の2人は、左右に分かれてそれぞれ秦の若手と当たりました。趙峩龍が信、尭雲が王賁という組み合わせです。

秦側はこの戦役で麻鉱を失いました。49巻・第531話、李牧の奇襲によるものです。損害を出しながら押し切り、最終的に鄴を落としています。

この戦役で秦の若手が得たもの

朱海平原を経て、信・王賁・蒙恬の3人は59巻・第642話で同時に将軍へ任命されました。

人物 この戦役で倒した相手
岳嬰、趙峩龍、龐煖
王賁 尭雲
蒙恬 部隊を維持しつつ戦線を支える

藺家十傑の2人を倒したことが、若手2人の昇進の根拠になりました。趙の古い名門が、次の世代の秦将の踏み台になった形です。

ただし信は龐煖戦で一度倒れ、羌瘣が蚩尤族の禁術で蘇生させています。王賁も尭雲戦で重傷を負いました。勝ちはしましたが、両者とも死線を越えています。

藺家十傑という集団

項目 内容
目的 武を持たない藺相如の「武」として存在する
人数 10人。朱海平原の時点で残っていたのは2人
筆頭 尭雲
次席 趙峩龍
結末 朱海平原で2人とも戦死し、絶える

趙にはこうした集団が複数ありました。廉頗四天王、青歌軍、李牧の周辺。それぞれが独立しているため、ひとつ失われるとそのまま戦力が消えます。

秦では王騎の軍が騰へ、麃公の兵が信へと引き継がれました。この差が、両国の結末に表れています。

史実の藺相如

藺家十傑は創作ですが、主君の藺相如は実在します。

「完璧」「刎頸の交わり」という言葉の由来になった人物です。趙の宝である和氏の璧を秦から傷ひとつなく持ち帰り、廉頗との対立も自ら折れて解消しました。

いずれも武力ではなく、胆力と弁舌による功績です。その人物が武の集団を抱えていたという設定に、藺家十傑という創作の面白さがあります。

趙の武の系譜

趙には、複数の系統の武が並立していました。藺家十傑はそのひとつです。

系譜 由来 現状
藺家十傑 藺相如に仕えた武人 朱海平原で絶える
廉頗四天王 廉頗に従った4人 輪虎と玄峰が戦死。廉頗とともに国を出る
青歌軍 司馬尚が青歌の地で育てた 健在
李牧の周辺 北辺での戦いを共にした面々 カイネ・馬南慈・舜水樹らが健在

それぞれが独立した集団です。藺家十傑が絶えても、廉頗四天王が国を出ても、他の系統には引き継がれません。

秦の場合は違います。王騎が死ねば軍は騰へ渡り、麃公の兵は信のもとへ流れました。個人が倒れても部隊と経験が残る仕組みです。

この構造の差が、両国の結末を分けた要因のひとつになっています。趙は名将を出し続けた国でありながら、失われるたびに戦力がそのまま減っていきました。詳しくは趙の将軍一覧で整理しています。

王賁の変化

尭雲を倒した王賁は、この戦役を経て変わっていきます。

それまでの王賁は、武功への執着が強く、将軍首を狙って部隊ごと危険に踏み込む人物でした。著雍の戦いでは紫伯へ突っ込もうとして関常に止められています。

朱海平原で尭雲を破ったあと、王賁は隊長として部隊を見る比重を増していきます。王翦軍から送り込まれた関常と糸凌の存在が、その変化を支えました。当初は監視役と疑われた2人が、実際には王賁に足りない視点を持ち込んでいます。

史実の王賁は、魏・燕・代・斉の四国を滅ぼし、統一の最終行程を実行しました。作中でその段階に至るまでに、この変化が描かれていることになります。

藺相如が遺したもの

藺相如は武人ではありませんでした。それでも趙を支えた人物として名を残しています。

「完璧」の語源になった和氏の璧の一件、廉頗との「刎頸の交わり」、渑池の会で趙王の面目を守り抜いた場面。いずれも武力ではなく胆力と弁舌によるものです。

その人物が、自分にない武を集団として抱えていた。尭雲と趙峩龍は、その最後の2人でした。藺相如が遺した武が、朱海平原で完全に途切れたことになります。

なお朱海平原では、尭雲と組んで亜光を追い詰めた馬南慈も重要な役どころです。「雁門の鬼人」と呼ばれる李牧配下の将で、48巻あたりで登場しました。この人物は生き延びており、その後の番吾の戦いでも動いています。同じ戦場で亜光を追い詰めた2人のうち、尭雲は倒れ、馬南慈は残りました。

朱海平原という戦場

尭雲が戦ったのは、鄴攻略戦の主戦場です。

項目 内容
戦場 朱海平原
秦側 王翦軍。右翼に王賁、左翼に信
趙側 李牧が指揮を執る
期間 作中で14日以上にわたる

この戦いは、秦の若手が趙の名将と正面から当たる場になりました。王賁と信が、それぞれ藺家十傑と戦っています。

尭雲との一騎打ちも、その一環でした。若手が先代の武を越える構図として描かれています。

尭雲に関するよくある質問

尭雲とは誰ですか?

藺家十傑の筆頭です。武を持たなかった藺相如の「武」として存在した集団を率いていました。

尭雲の読み方は何ですか?

ぎょううんです。

尭雲はいつ死んだのですか?

朱海平原です。王賁との一騎打ちに敗れて戦死しました。

尭雲を倒したのは誰ですか?

王賁です。ただし王賁もこの戦いで重傷を負っています。

尭雲はどれくらい強いのですか?

王翦軍の第一将である亜光を、馬南慈とともに瀕死に追い込みました。亜光は陣が崩れないと評される武将です。

なぜ尭雲は信と王賁を狙ったのですか?

趙峩龍が信に討たれたためです。その最期に後を託す言葉を残され、復讐を誓いました。

藺家十傑は全滅したのですか?

しました。尭雲と趙峩龍が朱海平原で戦死したことで絶えています。

尭雲は史実に実在しますか?

していません。藺家十傑は全員が作品の創作です。ただし主君の藺相如は実在します。

趙峩龍と尭雲はどちらが上ですか?

尭雲が筆頭で、趙峩龍が次席です。

亜光はその後どうなったのですか?

朱海平原で重傷を負ったのち復帰しましたが、番吾の戦いで司馬尚に討たれました。

まとめ

  • 尭雲は藺家十傑の筆頭。次席は趙峩龍
  • 王翦軍の第一将・亜光を馬南慈とともに瀕死に追い込んだ
  • 趙峩龍が信に討たれたあと、信と王賁への復讐を誓う
  • 朱海平原で王賁との一騎打ちに敗れ戦死
  • 王賁もこの戦いで重傷を負っており、一方的な勝利ではなかった
  • 藺家十傑は創作だが、主君の藺相如は実在の人物

藺相如が遺した武が、朱海平原で途切れました。趙が持っていた古い名門の系譜が、この戦役でひとつ消えたことになります。

この記事について

執筆・編集: マンガノシラベ編集部
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