王賁の結婚は作中未描写|史実の子・王離は鉅鹿の戦いで項羽に敗れた【キングダム】
この記事には『キングダム』の展開と、史実に基づく後日談に関する記述が含まれます。未読の方はご注意ください。
玉鳳隊を率いる王賁(おうほん)は、作中で結婚していません。しかし史実の王賁には子がいます。
その子の名は王離。王翦の孫にあたるこの人物は、項羽に敗れます。作中で王翦が滅ぼすことになる項燕の、その孫にです。この記事では王賁の家族について、作中と史実の両方から整理します。
結論
- 作中で王賁の結婚は描かれていません。相手を示す描写もありません。
- 史実の王賁には子がいます。王離という名の人物です。
- 王離は紀元前219年に武城侯に封じられました。王家は三代続いた将軍の家系です。
- 王離は鉅鹿の戦いで項羽に敗れ、捕らえられました。項燕の孫に敗れたことになります。
作中の王賁に結婚の描写はない

| 結婚 | 描かれていない |
|---|---|
| 相手を示す描写 | なし |
| 作中の立場 | 玉鳳隊の隊長。59巻・第642話で将軍へ |
| 父 | 王翦 |
| 生死 | 生存。朱海平原で重傷を負ったが復帰 |
2026年8月時点で、王賁の結婚は作中に描かれていません。同世代の信が羌瘣にプロポーズし、蒙恬にも結婚の話題が出るなかで、王賁だけがこの方面の描写を持たない状態です。
史実の王賁には子がいた
『史記』には、王賁の子として王離の名が記されています。
王家は三代にわたって将軍を出した家系です。
| 代 | 名前 | 主な功績 |
|---|---|---|
| 初代 | 王翦 | 趙・燕・楚を滅ぼす。楚攻めでは60万を率いた |
| 二代 | 王賁 | 魏・燕・代・斉を滅ぼす。統一を実際に完成させた |
| 三代 | 王離 | 紀元前219年に武城侯へ封じられる |
父子二代で六国のほとんどを滅ぼしています。秦の統一は、実質的にこの一家が実行したと言える構成です。
王賁自身は、始皇帝より先に亡くなっています。『史記』白起王翦列伝からそう読み取れるため、陳勝呉広の乱にも楚漢戦争にも登場しません。没年は不明です。
王離という三代目
王離は、始皇帝の代から二世皇帝の代まで仕えました。
紀元前219年、始皇帝の巡遊に随行した際に武城侯へ封じられています。同じ年の瑯琊台刻石には、父の王賁の名も刻まれました。親子が同時に始皇帝の側にいたことが、石に残っています。
始皇帝の死後、秦は各地の反乱で揺らぎます。王離はその鎮圧に投入されました。
鉅鹿の戦いで項羽に敗れる
王離の最期にあたるのが、鉅鹿(きょろく)の戦いです。
秦の大軍が趙の地で反乱軍を包囲していたところへ、楚の項羽が援軍として現れました。項羽は退路を断って背水の陣を敷き、秦軍を撃破します。王離は敗れて捕らえられました。
ここに、作中の読者にとって重い対称構造があります。
| 世代 | 秦 | 楚 | 結果 |
|---|---|---|---|
| 祖父の代 | 王翦 | 項燕 | 王翦が項燕を破り、楚を滅ぼす |
| 孫の代 | 王離 | 項羽 | 項羽が王離を破る |
王翦が滅ぼした項燕の孫が、王翦の孫を破りました。二世代を隔てた仕返しという形になっています。項羽はこののち咸陽へ入り、秦の宮室に火を放ちました。
瑯琊台刻石という物証
王賁と王離が実在したことを示す物証が残っています。瑯琊台刻石(ろうやだいこくせき)です。
紀元前219年、始皇帝が巡遊の際に山東の瑯琊台へ立ち寄り、統一の功績を刻ませた石碑です。そこには随行した臣下の名が列挙されており、そのなかに王賁と王離の名があります。
父子が同時に始皇帝の側にいたことが、石に刻まれた形で残っているということです。史書の記述だけでなく、当時作られた物からも確認できる数少ない例にあたります。
この刻石は現在も一部が現存し、中国国家博物館に収蔵されています。作中の人物が実在した証拠として、兵馬俑と並ぶ手がかりです。
作中の王賁の変化
王賁は当初、武功に強く執着する人物として描かれていました。将軍首を狙って部隊ごと危険に踏み込む場面が繰り返し出てきます。
著雍の戦いでは、魏国最強の槍とされる紫伯へ突っ込もうとして関常に止められました。この一件を経て、王賁は紫伯を討ち取ります(37巻・第396話)。
その後、王翦軍から来た関常と糸凌が部隊に加わり、玉鳳隊は隊として厚みを増しました。個人の武功を追う若者から、部隊を率いる将へと変わっていく過程が描かれています。
詳しくは玉鳳隊のメンバー一覧と糸凌の記事にまとめました。
鉅鹿の戦いとは
王離が敗れた鉅鹿の戦いは、秦の崩壊を決定づけた一戦です。
始皇帝の死後、各地で反乱が起きました。秦は王離らを派遣してこれを鎮圧しようとします。趙の地で反乱軍を包囲したところへ、援軍として現れたのが楚の項羽でした。
| 段階 | 内容 |
|---|---|
| 包囲 | 秦軍が鉅鹿で趙の反乱軍を囲む |
| 援軍 | 楚の項羽が到着する。他の諸侯は動かず傍観する |
| 渡河 | 項羽が川を渡ったのち船を沈め、釜を割って退路を断つ |
| 決着 | 秦軍が撃破され、王離が捕らえられる |
船を沈め釜を割るという行為から、「破釜沈船(はふちんせん)」という言葉が生まれました。退路を断って決死の覚悟で臨むという意味です。
この勝利により項羽は諸侯の主導権を握ります。そして咸陽へ入り、秦の宮室に火を放ちました。王翦・王賁が築いた統一は、その孫の代で終わります。
王家と項家の三代
両家の関係を世代で並べると、対称が見えてきます。
| 代 | 王家 | 項家 | 両者の関係 |
|---|---|---|---|
| 一代目 | 王翦 | 項燕 | 王翦が60万を率いて楚を滅ぼし、項燕は敗死する |
| 二代目 | 王賁 | 項梁(項燕の子) | 直接の対決は記録にない |
| 三代目 | 王離 | 項羽 | 項羽が鉅鹿で王離を破る |
作中では、項燕が楚の最強の将としてすでに登場しています。信が今後この人物と戦う可能性は高く、その戦いの結末が、三代先まで尾を引くことになります。
なお項羽自身は、のちに劉邦に敗れて命を落とします。秦を倒した側も長くは続きませんでした。
王賁は史実で何を成したか
| 年 | できごと |
|---|---|
| 紀元前225年 | 魏を水攻めで滅ぼす |
| 紀元前222年 | 燕と代を滅ぼす。代王嘉を捕らえる |
| 紀元前221年 | 斉を滅ぼし、中華統一が完成する |
| 紀元前219年 | 瑯琊台刻石に名が刻まれる。通武侯に封じられる |
四国を滅ぼしています。最後の斉を落としたのも王賁であり、統一の最終行程を実行したのはこの人物です。
作中ではまだ将軍になったばかりの段階ですが、史実の記録から見れば、この先に統一の主役級の役割が待っていることになります。
同世代3人の結婚の扱い
信・王賁・蒙恬は同じ回で将軍になった同世代です。結婚については扱いが分かれています。
| 人物 | 作中の描写 | 史実の記録 |
|---|---|---|
| 信 | 70巻・第768話で羌瘣にプロポーズ。返事は保留 | 妻の記録はない |
| 王賁 | 描写なし | 子の王離がいる |
| 蒙恬 | 描写なし | 妻の記録はない |
史実で子の存在が確認できるのは王賁だけです。王家は家系として記録が残っているためで、他の2人は個人の戦績しか記されていません。
作中で王賁は、家の重さを背負う人物として描かれてきました。父の王翦は生きており、比較される立場にあります。信が何も持たない状態から始まったのとは対照的です。
その王賁が史実で四国を滅ぼし、家を三代続かせたという事実は、作中の若手の描写を読むうえでの補助線になります。
王賁の読み方と一族
この人物も、名前の読みで検索されることが多くあります。
| 続柄 | 人物 | 読み |
|---|---|---|
| 父 | 王翦 | おうせん |
| 本人 | 王賁 | おうほん |
| 子(史実) | 王離 | おうり |
「賁」は日常でまず使わない字です。「ほん」と読み、あわせて「おうほん」となります。
王家は三代にわたって将軍を出した一族です。父の王翦、本人、そして史実に記録される子の王離まで続きます。
ただし作中で描かれているのは、父と本人までです。王離は史実側の人物として語られる存在で、本編には登場していません。
王賁の結婚に関するよくある質問
王賁は結婚しますか?
2026年8月時点で、作中に結婚の描写はありません。相手を示す描写もありません。
王賁に子どもはいますか?
作中では描かれていませんが、史実には王離という子がいます。
王離とはどんな人物ですか?
王翦の孫、王賁の子です。紀元前219年に武城侯へ封じられ、始皇帝の死後は反乱の鎮圧に投入されました。
王離はどうなったのですか?
鉅鹿の戦いで項羽に敗れ、捕らえられました。
項羽と王離の関係は何ですか?
項羽の祖父は項燕で、その項燕を破って楚を滅ぼしたのが王離の祖父・王翦です。二世代を隔てて立場が逆転しました。
王賁はいつ死んだのですか?
没年は不明です。『史記』白起王翦列伝から、始皇帝より先に亡くなったと読み取れます。
王賁は史実で何を滅ぼしたのですか?
魏・燕・代・斉の四国です。最後の斉を落としたことで中華統一が完成しました。
王賁と王翦はどちらが上ですか?
比較の記録はありません。滅ぼした国の数では王賁が4国、王翦が3国です。ただし楚攻めのように、難度の高い戦役を王翦が担当しています。
王賁は作中で死亡しますか?
していません。朱海平原で重傷を負いましたが復帰しています。
蒙恬は結婚しますか?
作中で描かれておらず、史実にも蒙恬の妻に関する記録は残っていません。
まとめ
- 作中で王賁の結婚は描かれていない
- 史実の王賁には王離という子がいる
- 王家は王翦・王賁・王離と三代続いた将軍の家系
- 王離は紀元前219年に武城侯へ封じられた
- 王離は鉅鹿の戦いで項羽に敗れ、捕らえられた
- 王翦が滅ぼした項燕の孫が、王翦の孫を破るという構図になっている
作中ではまだ若手として描かれる王賁が、史実では統一の最終行程を担います。そしてその子の代で、祖父が滅ぼした家の孫に敗れる。三代で一巡する話になっています。
この記事について
執筆・編集: マンガノシラベ編集部
公式コミックスおよび公開されている史料をもとに作成しています。内容に誤りを見つけられた場合はお問い合わせよりご連絡ください。
