【キングダム】趙三大天(ちょうさんだいてん)とは?新旧メンバー一覧と史実・称号は創作だが6人全員が実在
この記事には『キングダム』本編の展開と、史実にもとづく記述が含まれます。連載の進行状況は2026年8月時点のものです。
『キングダム』で秦の前に立ちはだかり続ける趙。その中枢にあるのが「三大天(さんだいてん)」です。秦の六大将軍に対応する、趙国最高位の将軍の称号として描かれています。
この記事では、旧三大天と新三大天のメンバーを一人ずつ整理し、それぞれが作中でどうなったかをまとめます。そして「三大天」という呼び名が史実にあるものなのかどうかも、はっきりさせておきます。
結論
- 旧三大天は廉頗・藺相如・趙奢の3人です。
- 新三大天は李牧・龐煖・司馬尚の3人です。
- 「三大天」という称号は史実には存在せず、作中の設定です。秦の「六大将軍」と同様、作者による創作要素です。ただし6人全員が実在の人物をモデルにしています。
趙三大天とは何か

| 名称 | 三大天(さんだいてん) |
|---|---|
| 国 | 趙 |
| 意味 | 趙国最高位の将軍に与えられる称号。定員は3 |
| 対応する存在 | 秦の六大将軍 |
| 旧三大天 | 廉頗、藺相如、趙奢 |
| 新三大天 | 李牧、龐煖、司馬尚 |
| 史実での呼称 | 存在しない。作中の創作設定 |
「天」の一字を与えられた者が趙の軍事を担うという設定で、秦の六大将軍と対をなす形になっています。物語上は、秦が中華統一を進めるうえで最後まで越えられなかった壁を象徴する存在です。
「三大天」は史実にあるのか
結論から言うと、三大天という称号や制度は史実には存在しません。これは秦の六大将軍と同じく、作者による創作の設定です。
ただし、三大天に数えられる6人はいずれも実在の人物です。廉頗、藺相如、趙奢、李牧、龐煖、司馬尚。全員が『史記』などに記録が残っています。実在の名将たちを一つの称号でまとめ直したのが、この設定だと言えます。
旧三大天のメンバー
| 名前 | 読み | 特徴 | 作中の状況 |
|---|---|---|---|
| 廉頗 | れんぱ | 戦場に生きる猛将。四天王を従える | 楚に亡命したまま。2026年8月時点で死亡は描かれていない |
| 藺相如 | りんしょうじょ | 知略の人。廉頗の盟友 | 作中ではすでに故人 |
| 趙奢 | ちょうしゃ | 秦を破った将軍 | 作中ではすでに故人 |
廉頗
「戦が廉頗のすべてだ」と自ら語る、戦場に生きる将軍です。介子坊、輪虎、玄峰、姜燕という四天王を従え、作中では魏の将として登場しました。
のちに単行本64巻の第701話前後で、趙が廉頗を呼び戻そうとする展開が描かれます。しかし郭開が使者を欺き、廉頗の状態を偽って報告したため、趙王は復帰の話を取りやめました。廉頗は楚にとどまったまま、物語の表舞台から離れています。
詳しくは廉頗の記事で扱っています。
藺相如
旧三大天の中で唯一、武ではなく知で名を成した人物です。作中ではすでに故人であり、廉頗の回想などで語られる存在として描かれています。
この藺相如は、史実において「完璧」「刎頸の交わり」という有名な故事の主人公です。後半の史実パートで詳しく取り上げます。
趙奢
秦軍を正面から破った実績を持つ将軍です。作中ではすでに故人として扱われています。息子の趙括が長平の戦いで大敗し、趙を傾けたことでも知られる人物です。
新三大天のメンバー
| 名前 | 読み | 特徴 | 作中の状況 |
|---|---|---|---|
| 李牧 | りぼく | 戦略家。軍事と政治の両方を担う | 2026年8月時点で生存 |
| 龐煖 | ほうけん | 趙最強の武力。武神を名乗る | 58巻627話で信に討たれ死亡 |
| 司馬尚 | しばしょう | 青歌城の城主。武と知を兼ね備える | 2026年8月時点で生存 |
李牧
新三大天の中心人物です。戦う前に勝敗を決める戦略家であり、王騎や桓騎といった秦の将軍を退けてきました。合従軍を組織して秦を追い詰めるなど、単独の戦場を超えた規模で動きます。
2026年8月時点で作中では健在です。ただし宰相の座を追われる展開はすでに描かれており、史実の流れをふまえると最期に向かう前段階と読むことができます。詳しくは李牧の記事をご覧ください。
龐煖
趙最強の武力を持つ武将で、自らを武神と称します。馬陽の戦いで王騎に致命傷を与えた人物であり、作中で最も長く主人公の前に立ちはだかった敵でもあります。
龐煖は単行本58巻の第627話「道の行方」で、朱海平原の戦いにおいて信に討たれました。新三大天のうち、作中で死亡が確定している唯一の人物です。詳しくは龐煖の記事で扱っています。
司馬尚
趙の東方にある青歌城の城主です。燕のオルド大将軍の侵攻を圧倒的な強さで退けた実績を持ち、李牧に請われて三大天の座に就きました。
単行本73巻で描かれた番吾の戦いでは、司馬尚率いる青歌軍が王翦本軍に襲いかかり、秦の猛将たちを次々と退けています。2026年8月時点で健在です。詳しくは司馬尚の記事をご覧ください。
史実では? 6人全員が実在した
三大天という呼称は創作ですが、6人はすべて実在の人物です。それぞれ史実で何をしたのかを整理します。
藺相如と「完璧」の故事
藺相如は戦国時代の趙の名臣で、恵文王に仕えました。もともとは宦官の食客という低い身分から出た人物です。
秦の昭襄王が、趙の至宝である「和氏の璧(かしのへき)」を15の城と交換したいと申し入れてきました。断れば攻める口実を与え、渡せば城は得られない。この難題を引き受けたのが藺相如です。
秦に赴いた藺相如は璧を昭襄王に渡しますが、王に城を譲る気がまったくないと見抜きます。そこで璧に傷があると偽って取り返し、柱のそばに走り寄って、約束を守らないなら璧もろとも砕くと迫りました。結果として璧は無傷のまま趙に持ち帰られます。
この「璧を完(まっと)うして帰る」という故事が、日本語の「完璧」の語源です。欠けたところがないという意味の言葉は、この一件から生まれました。
澠池の会
その後、秦と趙の会盟が秦領の澠池(べんち)で開かれます。紀元前279年のこととされます。ここで昭襄王は趙の恵文王に楽器を演奏させるなど、格下扱いをしようとしました。
藺相如はその場で応酬し、秦王にも同様に演奏を求めて引き下がりませんでした。結果として趙は対等の礼を守り抜きます。武力では劣る趙が、外交の場で面子を保った出来事でした。
刎頸の交わり
これらの功績により、藺相如は廉頗より上の位に昇進します。武功を重ねてきた廉頗はこれに納得せず、藺相如を辱めてやると公言しました。
藺相如は廉頗を避け続けます。周囲が臆病だと責めると、彼はこう答えました。秦が趙に手を出せないのは廉頗と自分がいるからであり、二人が争えば国が滅ぶ、と。
これを伝え聞いた廉頗は、上半身を脱ぎ茨の鞭を背負って藺相如のもとへ謝罪に行きます。二人はその後、互いのために首を刎ねられても悔いないと誓い合いました。これが「刎頸(ふんけい)の交わり」です。生死をともにする友情を指す言葉として、今も使われています。
趙奢と閼与の戦い
趙奢は、秦軍を正面から破った数少ない将軍です。閼与(あつよ)をめぐる戦いで、趙奢は「閼与への道は険しく狭い。二匹のねずみが穴の中で争うようなもので、勇敢なほうが勝つ」と説き、恵文王に将軍として任じられました。
この戦いは紀元前270年から269年ごろとされます。勝利した趙奢は馬服君に封じられました。しかしその8年ほど後の紀元前262年、息子の趙括が長平の戦いで大敗し、趙は国中の成人男性を失うほどの打撃を受けます。名将の子が国を傾けたという、対照的な結末です。
廉頗の史実
廉頗は趙の名将として長く軍を率いましたが、悼襄王との関係が悪化し、魏へ亡命します。さらに楚へ移り、趙への復帰を望みながらも果たせませんでした。『史記』には楚の寿春で病死したと記されています。
作中で郭開が使者を欺いて復帰を阻んだ展開は、史実に伝わる逸話をもとにしたものです。
李牧の史実
李牧は匈奴を撃退し、秦の侵攻を何度も食い止めた名将です。しかし最期は戦死ではありません。秦の離間の計により、郭開が「李牧が謀反を企てている」と讒言し、それを信じた幽繆王によって殺されました。紀元前229年から228年ごろのことです。
龐煖の史実
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 紀元前244年 | 趙の将軍に任命される |
| 紀元前242年 | 燕を攻め、燕の将軍・劇辛を討ち取る |
| 紀元前241年 | 合従軍で趙・楚・魏・燕の精鋭を率い、秦の蕞を攻めるが落とせず |
| 紀元前236年 | 燕の貍と陽城を落とす |
史実の龐煖は、作中のような武神ではなく、軍を率いる将軍として記録されています。合従軍を率いたのは李牧ではなく龐煖でした。
司馬尚の史実
司馬尚は李牧とともに、紀元前229年の秦の侵攻に抵抗しました。しかし郭開の讒言で李牧が処刑された際、司馬尚も職を解かれています。その後の消息については記録が残っていません。
漫画と史実の違い
| 項目 | 『キングダム』 | 史実 |
|---|---|---|
| 「三大天」という称号 | 趙国最高位の将軍の位として存在する | 存在しない。創作設定 |
| 藺相如 | 旧三大天の一角。故人として語られる | 実在。将軍ではなく文官。完璧・刎頸の交わりの故事で知られる |
| 合従軍の主導 | 李牧が組織する | 紀元前241年の合従軍を率いたのは龐煖 |
| 龐煖 | 武神を名乗る個人戦闘型の武将。信に討たれる | 将軍として複数の戦役を記録される。討たれた記録は残っていない |
| 廉頗の最期 | 楚にとどまり、死亡は描かれていない | 楚の寿春で病死したと『史記』に記される |
| 司馬尚 | 青歌城の城主。武力も高い | 李牧とともに秦に抵抗し、李牧の処刑後に解任された |
なぜ三大天という設定が作られたのか
秦には六大将軍という枠があり、王騎や白起といった伝説的な将が並びます。これに対して趙側に同格の枠を用意することで、両国の戦いが個人の力量比べではなく、国と国の格の勝負として描けるようになります。
史実の趙は、実際に秦にとって最大の障害でした。長平の戦いで壊滅的な打撃を受けながら、その後も李牧が秦を跳ね返し続けています。最終的に趙が滅んだのも、戦場で負けたからではなく、内部の讒言で李牧を失ったからでした。
三大天という称号は、この「正面からは崩せなかった国」という史実の手触りを、物語の言葉に置き換えたものだと言えます。実在した名将たちをひとつの枠にまとめることで、趙という国そのものが主人公たちの前に立ちはだかる形になりました。
趙三大天に関するよくある質問
趙三大天のメンバーは誰ですか?
旧三大天は廉頗、藺相如、趙奢の3人です。新三大天は李牧、龐煖、司馬尚の3人です。
「三大天」は史実にある称号ですか?
ありません。作中の創作設定です。秦の六大将軍と同様の位置づけで、実在の記録には見られない呼称です。ただし三大天に数えられる6人は全員が実在の人物です。
新三大天で死亡したのは誰ですか?
龐煖です。単行本58巻の第627話「道の行方」で、朱海平原の戦いにおいて信に討たれました。李牧と司馬尚は2026年8月時点で健在です。
藺相如は実在したのですか?
実在します。趙の恵文王に仕えた名臣で、「完璧」と「刎頸の交わり」という二つの故事で知られています。
「完璧」という言葉の由来は何ですか?
藺相如の逸話です。秦の昭襄王に和氏の璧を渡さず、傷ひとつつけずに趙へ持ち帰ったことから「璧を完うして帰る」と言われ、これが完璧の語源になりました。
「刎頸の交わり」とはどういう意味ですか?
相手のためなら首を刎ねられても悔いない、という深い友情を指します。藺相如と廉頗が和解して誓い合った関係に由来する言葉です。
廉頗は作中で死亡していますか?
していません。2026年8月時点で死亡は描かれていません。単行本64巻の第701話前後で趙への復帰が阻まれ、楚にとどまったまま物語から離れています。史実では楚の寿春で病死したとされます。
趙奢はどんな人物ですか?
旧三大天の一人で、閼与の戦いで秦軍を破り馬服君に封じられました。息子の趙括は長平の戦いで大敗し、趙に壊滅的な打撃をもたらしています。
史実で合従軍を率いたのは誰ですか?
龐煖です。紀元前241年、趙・楚・魏・燕の精鋭を率いて秦の蕞を攻めましたが、落とすことはできませんでした。作中では李牧が組織する形になっています。
司馬尚は史実でどうなりましたか?
紀元前229年に李牧とともに秦の侵攻に抵抗しましたが、郭開の讒言によって李牧が処刑された際、司馬尚も職を解かれました。その後の消息は記録に残っていません。
まとめ
- 旧三大天は廉頗・藺相如・趙奢、新三大天は李牧・龐煖・司馬尚
- 「三大天」という称号は史実になく、秦の六大将軍と同じ創作設定
- ただし6人全員が『史記』などに記録の残る実在人物
- 新三大天で死亡が描かれたのは龐煖のみ。58巻627話で信に討たれた
- 藺相如は「完璧」「刎頸の交わり」という二つの故事の主人公
秦が正面から崩せなかった国が趙でした。その趙を支えた将たちを一つの称号でまとめた「三大天」という言葉は、創作でありながら、史実の趙という国の重さをよく言い当てています。
この記事について
執筆・編集: マンガノシラベ編集部
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