当サイトはアフィリエイト広告および第三者配信広告を利用しています。
ネタバレ注意
この記事には『キングダム』本編の展開と、史実にもとづく解説が含まれます。連載の進行状況は2026年8月時点のものです。

『キングダム』の物語は、嬴政がすでに王位についているところから始まります。その父にあたるのが荘襄王(そうじょうおう)、名を子楚(しそ)といいます。

この記事では、荘襄王が作中でどう扱われているのかを整理したうえで、史実の荘襄王がどのような人物だったのかを確認します。趙の人質だった公子が秦王になるまでの経緯は、呂不韋という人物を理解するうえでも欠かせない部分です。

結論

  • 荘襄王は物語開始前に世を去っています。作中では回想や言及のなかで語られる存在です。
  • 嬴政の父にあたります。本名は子楚。もとは異人(いじん)と名乗っていました。
  • 在位はわずか3年です。紀元前247年、35歳で世を去りました。
  • 呂不韋が「奇貨」と呼んで投資した相手です。趙の人質だった公子を秦王に押し上げました。

荘襄王のプロフィール

古代中国の宮殿の回廊のイメージ
荘襄王は趙の邯鄲で人質として過ごしていました(画像はイメージです)
名前 荘襄王(そうじょうおう)。本名は子楚(しそ)
もとの名 異人(いじん)
孝文王(安国君)
嬴政(のちの始皇帝)、成蟜
在位 紀元前249年から紀元前247年(3年)
没年 紀元前247年。35歳
作中の扱い 物語開始前に死去。回想と言及のみ
史実 実在

秦の王位継承は、昭襄王から孝文王、荘襄王、そして嬴政へと続きます。このうち孝文王は在位1年ほど、荘襄王は3年です。短い在位が二代続いたことが、13歳の嬴政が即位する状況を生みました。

趙の人質だった公子

荘襄王の人生は、王位から最も遠いところから始まっています。

「奇貨居くべし」

異人(のちの子楚)は、趙の邯鄲に人質として送られていました。秦の公子とはいえ、父の安国君には20人を超える子がおり、しかも母は寵愛を受けていません。王位を継ぐ見込みはほとんどない立場でした。

人質としての扱いも良いものではなく、みすぼらしい身なりをしていたと記録されています。

そこへ現れたのが商人の呂不韋です。呂不韋はこの公子を見て、「これ奇貨なり。居くべし」と言ったと伝えられます。思いがけない掘り出し物だ、仕入れておくべきだ、という意味です。人間を商品として評価した言葉であり、呂不韋という人物の性格を最もよく示す一言でもあります。

呂不韋の投資

呂不韋は自分の財産を使って、異人を秦の王位継承者に押し上げる工作を始めます。

手順 内容
1 異人に資金を与え、名士との交際をさせて評判を高める
2 安国君の正妃・華陽夫人に接近する。華陽夫人には子がいなかった
3 異人を華陽夫人の養子にすることに成功する
4 華陽夫人は楚の出身だったため、異人は「子楚」と改名する
5 昭襄王の死後、孝文王が即位。子楚が太子となる
6 孝文王が在位1年ほどで死去し、子楚が荘襄王として即位する

子がいない正妃に養子として入り込ませる。この一手が決定打でした。血筋ではなく制度の隙間を突いた工作であり、商人の発想がそのまま出ています。

嬴政との関係

荘襄王は嬴政の父です。ただし作中でも史実でも、この父子の関係は複雑な扱いを受けています。

出生をめぐる記述

『史記』には、呂不韋が趙姫(嬴政の母)をもともと自分のもとに置いており、身ごもった状態で子楚に譲ったという趣旨の記述があります。この記述から、嬴政の実父は呂不韋ではないかという説が古くから語られてきました。

作中でも、単行本40巻で呂不韋が政に対して「さすが私の息子です」と口にする場面があります。ただしこれが事実として描かれているのか、呂不韋の揺さぶりなのかは明示されていません。

史実側でも、この記述の信憑性については議論があります。『史記』の記述をそのまま事実と受け取るべきかどうかは定まっておらず、断定的に語れる話ではありません。

作中での荘襄王

物語が始まった時点で荘襄王はすでに世を去っています。嬴政が王位についているのは、父の早すぎる死によるものです。

作中の嬴政は、趙で人質として過ごした過酷な少年期を持ちます。父が趙の人質だった時期の延長線上にある境遇であり、荘襄王の人生がそのまま息子に引き継がれた形になっています。

在位3年で何をしたのか

短い在位でしたが、荘襄王の時代にも重要な出来事があります。

出来事
紀元前249年 荘襄王が即位。呂不韋を相国とする
同年 呂不韋が東周を滅ぼす。周王朝の血統が完全に絶える
紀元前248年ごろ 蒙驁が趙・韓へ侵攻し、城を落とす
紀元前247年 信陵君が率いる合従軍に秦軍が敗れる
紀元前247年 荘襄王が死去。13歳の嬴政が即位する

とくに東周の滅亡は大きな出来事です。昭襄王が紀元前256年に西周を降し、その残りを荘襄王の代に呂不韋が滅ぼしました。800年続いた周の血統は、この二代で完全に終わります。

荘襄王の死後

荘襄王の死によって、秦は13歳の王を戴くことになりました。

実権を握ったのは相国の呂不韋です。作中の序盤で呂不韋が絶大な権力を持っているのは、この経緯によります。自分が押し上げた王が早世し、幼い後継者が残された。呂不韋にとっては、投資の回収期間が延びたともいえる状況でした。

嬴政が実際に親政を始めるのは紀元前238年、嫪毐の乱の後です。父の死から9年が経っていました。

秦の王位継承|4年で3人が替わった

荘襄王の短い在位は、それ単独の話ではありません。この時期の秦は、王が異常な速さで交代しています。

在位 期間
昭襄王 紀元前306年〜前251年 56年
孝文王 紀元前250年 1年ほど
荘襄王 紀元前249年〜前247年 3年
嬴政 紀元前247年〜 13歳で即位

56年在位した王のあと、4年で3人が入れ替わりました。国家としては極めて不安定な状態です。

『キングダム』の序盤で王弟・成蟜の反乱が起きるのも、この不安定さが背景にあります。王権の正統性が揺らいでいる時期に、13歳の王が趙から戻ってきた。反乱の芽はもともとそこにありました。

華陽夫人という鍵

呂不韋の工作で最も重要だったのが、華陽夫人への接近です。

華陽夫人は安国君(のちの孝文王)の正妃でしたが、子がいませんでした。後継者がいない正妃にとって、養子を取ることは自分の将来を守る手段でもあります。呂不韋はこの利害を突きました。

異人にとっては王位への道が開け、華陽夫人にとっては老後の後ろ盾ができる。双方に利がある形にしたことが、この工作を成立させています。財力だけでなく、誰が何を求めているかを見抜く目が呂不韋の本質でした。

そして同じ手法が、のちに嬴政に対しても向けられることになります。作中で呂不韋が政に仕掛ける揺さぶりは、父の代から続く同じ人物の同じやり方です。

漫画と史実の違い

項目 『キングダム』 史実
荘襄王 物語開始前に死去。回想で語られる 実在。紀元前247年に35歳で死去
在位 作中では詳しく描かれない 紀元前249年から247年の3年間
呂不韋との関係 呂不韋が権力を握る前提として語られる 呂不韋の工作で王位に就いた
嬴政の出生 40巻で呂不韋が「私の息子」と口にする 『史記』に該当する記述があるが信憑性には議論がある
東周の滅亡 作中では触れられない 荘襄王元年に呂不韋が滅ぼした

荘襄王に関するよくある質問

荘襄王とは誰ですか?

嬴政の父にあたる秦王です。本名は子楚、もとは異人と名乗っていました。

荘襄王はキングダムに登場しますか?

物語開始前に世を去っており、本編には登場しません。回想や登場人物の言及のなかで語られる存在です。

荘襄王の在位はどれくらいですか?

3年です。紀元前249年から247年まで王位にありました。

荘襄王は何歳で死んだのですか?

35歳です。紀元前247年に世を去り、13歳の嬴政が跡を継ぎました。

「奇貨居くべし」とは何ですか?

呂不韋が人質だった異人を見て言ったとされる言葉です。思いがけない掘り出し物だから仕入れておくべきだ、という意味になります。

なぜ「子楚」と改名したのですか?

養子に入った華陽夫人が楚の出身だったためです。呂不韋の工作によって、子のいない正妃の養子となりました。

嬴政の実父は呂不韋なのですか?

断定できません。『史記』に趙姫が身ごもった状態で子楚に譲られたという趣旨の記述がありますが、信憑性については議論があります。作中でも40巻で呂不韋がそう口にしますが、事実として描かれてはいません。

荘襄王の時代に何がありましたか?

呂不韋が東周を滅ぼし、周王朝の血統が完全に絶えました。また蒙驁が趙・韓へ侵攻し、信陵君の合従軍に敗れた記録も残っています。

孝文王とはどういう関係ですか?

父です。孝文王は昭襄王の跡を継ぎましたが在位1年ほどで死去し、子楚が荘襄王として即位しました。

なぜ嬴政は13歳で王になったのですか?

孝文王が1年、荘襄王が3年と短い在位が続いたためです。その結果、実権は相国の呂不韋が握ることになりました。

まとめ

  • 荘襄王は嬴政の父。本名は子楚、もとは異人と名乗った
  • 趙の人質という王位から最も遠い立場から、呂不韋の工作で秦王になった
  • 「奇貨居くべし」は呂不韋がこの公子を評した言葉
  • 在位はわずか3年。紀元前247年に35歳で死去した
  • その死により13歳の嬴政が即位し、呂不韋が実権を握った
  • 荘襄王の代に呂不韋が東周を滅ぼし、周王朝の血統が絶えた

人質として捨て置かれた公子が、商人の投資によって王になる。そして早世し、幼い息子に王位が渡る。『キングダム』の序盤で呂不韋があれほどの権力を持っている理由は、この父の代の経緯にすべて書かれています。

この記事について

執筆・編集: マンガノシラベ編集部
公式コミックスおよび公開されている史料をもとに作成しています。内容に誤りを見つけられた場合はお問い合わせよりご連絡ください。