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ネタバレ注意
この記事には『キングダム』本編、特に単行本34巻までの展開に関するネタバレが含まれます。

『キングダム』に登場する秦の大将軍、蒙驁(もうごう)。白い髪と白い髭から「白老(はくろう)」と呼ばれ、王翦と桓騎という強烈な副将を束ねた人物です。

この記事では、蒙驁が作中で亡くなるのは何巻何話なのか、死因は何か、そして片腕を失った経緯を整理します。あわせて、史実の蒙驁が『史記』にどう記録されているかも調べました。作中では凡将と評される蒙驁ですが、史実の戦績はまったく違う顔を見せます。

結論

  • 蒙驁は単行本34巻の第364話で亡くなります。話のタイトルは「大将軍の遺言」です。
  • 死因は戦死ではなく病死です。合従軍との戦いのあとに倒れ、孫の蒙恬と信に看取られました。
  • 史実の蒙驁は実在します。斉の出身で秦に仕え、紀元前249年から前240年に没するまでの戦績が『史記』に残されています。

蒙驁(もうごう)のプロフィール

秦の兵馬俑のイメージ
秦の軍勢を今に伝える兵馬俑。蒙驁が仕えた秦は、のちに中華を統一します(画像はイメージです)
名前 蒙驁(もうごう)
所属 秦国
階級 大将軍
異名 白老(はくろう)
家族 子は蒙武、孫は蒙恬と蒙毅
主な副将 王翦、桓騎
身体的特徴 左腕を失っている
史実のモデル 秦の将軍・蒙驁(実在)

蒙驁は秦の筆頭大将軍として描かれています。ただし本人の武力や戦術眼が突出しているわけではなく、作中では昌文君から極めて平凡な将軍と評される場面もあります。

「凡将」なのに大将軍でいられた理由

蒙驁の強みは、自分の下に置いた人材の使い方にあります。中華最強と称される戦術家の王翦と、負ける姿が描かれない桓騎。この二人を副将として同時に抱え、破綻させずに運用していました。

能力の異なる猛者を並べて城を取り続ける進め方は「城取り名人」とも呼ばれます。個人の武ではなく組織で勝つ将軍という位置づけです。

王翦は自分の思惑を明かさず動く将であり、桓騎は軍規を無視して結果だけを持ち帰る将です。どちらも上に立つ者が持て余す型で、実際に他の将の下では衝突が起きてもおかしくありません。その二人が蒙驁の軍では機能していました。命令で縛るのではなく、各自の得意な形で戦わせて全体の帳尻を合わせる。この使い方ができる将軍は作中でも多くありません。

本人の武や采配を評価軸に置けば平凡でも、軍という単位で見れば結果を出し続けている。蒙驁への評価が読者の間で割れやすいのは、この二つの見方が同時に成り立つからです。

蒙驁の最期は何巻何話?

蒙驁が亡くなるのは単行本34巻に収録された第364話「大将軍の遺言」です。死因は戦死ではなく病死でした。

合従軍戦の直後に倒れる

秦を滅亡寸前まで追い込んだ合従軍との戦いが終わったあと、蒙驁危篤の報せが届きます。駆けつけたのは孫の蒙恬と、飛信隊の信でした。

段階 できごと
1 合従軍との戦いが終結する
2 蒙驁が病で倒れ、危篤の報せが伝わる
3 蒙恬と信が駆けつけるが、蒙驁はすでに意識を失っていた
4 二人の声に反応して蒙驁が目を覚まし、身を起こす
5 蒙恬、信、王賁の三人に向けて言葉を遺し、静かに息を引き取る

蒙驁は自分の来歴を語ります。故郷の斉で英雄になることを夢見ながら、それは叶わなかったこと。流れ着いた秦で、少しずつ武功を積み上げてきたこと。そのうえで、次の世代の三人に高みを目指すよう託して亡くなりました。

戦場での討ち死にではなく、老いと病による最期です。『キングダム』では珍しい形の退場であり、それゆえに強く記憶に残る場面になっています。

蒙驁が片腕を失った理由

蒙驁の左腕がないのは、山陽攻略戦での出来事によるものです。

この戦いで蒙驁は、敵の総大将である廉頗と一騎打ちに及びました。廉頗は趙で三大天を務めた老将であり、蒙驁と同じく老いてなお前線に立つ人物です。この一騎打ちで蒙驁は左腕を斬り落とされました。

腕を失いながらも蒙驁は退かず、山陽攻略そのものは秦の勝利に終わります。片腕は、蒙驁が凡将と呼ばれながらも大将軍であり続けた理由を示す傷でもありました。

この一騎打ちは、老いた将軍同士がぶつかるという意味でも印象的な場面です。廉頗は趙の三大天として名を馳せた人物であり、蒙驁とは世代が近い。全盛期をとうに過ぎた二人が、それでも自分の手で決着をつけようとしました。腕を落とされてなお指揮を続けた蒙驁の姿は、のちの死の場面と対になっています。

史実では? 蒙驁は37城を落とした実在の将軍

蒙驁は実在の人物です。『史記』に記録が残っており、斉の出身から秦へ移り、昭襄王、孝文王、荘襄王、そして秦王政の四代に仕えました。官職は上卿にまで至っています。

史実の蒙驁の戦績

できごと
紀元前249年 将軍に任じられる。韓を攻めて成皋・滎陽・鞏を取り、三川郡が置かれる
紀元前248年 趙を攻め、太原を平定する
紀元前247年 魏を攻める。趙で37城を奪う。一方で信陵君が率いる五国連合軍に大敗する
紀元前246年 秦王政の即位にともない再任。晋陽の反乱を平定する
紀元前244年 韓から13城を奪う
紀元前243年 魏の畼と有詭を落とす
紀元前242年 魏から20城を奪う。東郡が置かれる
紀元前241年 五国の合従軍が秦に攻め寄せる。函谷関でこれを退けた際、蒙驁が指揮を執ったとする説がある
紀元前240年 蒙驁が没する

並べてみると、蒙驁が落とした城の数は突出しています。趙で37城、韓で13城、魏で20城。しかも三川郡と東郡という新しい郡が、蒙驁の攻略の結果として設置されました。郡が置かれるとは、その土地が秦の領土として組み込まれたということです。

秦が斉出身の将軍を大将軍にした意味

蒙驁は秦の生え抜きではありません。斉から流れてきた人物です。それが四代の王に仕え、上卿にまで昇りました。

そして息子の蒙武、孫の蒙恬と蒙毅へと家は続きます。蒙恬は始皇帝の下で匈奴を討ち、蒙毅は側近として仕えました。一代限りではなく、秦を代表する武門を築いたのが蒙驁だったことになります。

信陵君に敗れた戦い

連戦連勝だったわけではありません。紀元前247年、魏の信陵君が燕・趙・韓・楚・魏の五国をまとめて秦に当たった戦いで、蒙驁は大敗しています。ただし秦は函谷関で持ちこたえ、国そのものは守られました。

漫画と史実の違い

項目 『キングダム』 史実
評価 凡将と評されるが人を見る目に優れる 城を落とし続けた将軍として記録される
死因 合従軍戦の後に病没 紀元前240年に没する。死因の詳細な記述はない
片腕 廉頗との一騎打ちで左腕を失う 腕を失ったという記録はない
副将 王翦と桓騎を率いる 王翦・桓齮との上下関係を示す記述は限定的
出身 秦の大将軍として登場 斉の出身。他国から秦に移った
家族 子は蒙武、孫は蒙恬 子は蒙武、孫は蒙恬と蒙毅。記録と一致する

注目したいのは死の時期です。作中の蒙驁は合従軍との戦いのあとに亡くなります。史実でも、五国が秦に攻め寄せた紀元前241年の翌年にあたる紀元前240年が蒙驁の没年です。作品は史実の時系列をきちんと踏まえて退場させています。

なぜ蒙驁は「凡将」として描かれたのか

史実の蒙驁は城を落とし続けた将軍です。それを作品では、突出した才を持たない人物として描きました。この改変には理由があると考えられます。

『キングダム』では、王騎や龐煖のように個の武で戦況を変える将が繰り返し登場します。そのなかで蒙驁は、才能ではなく人の使い方で勝つ将軍という別の型を示しています。王翦と桓騎という扱いにくい二人を同時に抱えられたのは、蒙驁がその型だったからです。

そして蒙驁は、故郷で英雄になれなかったという挫折を抱えたまま秦で功を重ねた人物として語られます。斉から流れてきたという史実の出自が、この人物像の土台になっています。凡人が大将軍になるという物語は、主人公の信が歩む道とも重なります。

蒙驁に関するよくある質問

蒙驁が死亡するのは何巻何話ですか?

単行本34巻に収録された第364話「大将軍の遺言」です。合従軍との戦いが終わったあとの場面にあたります。

蒙驁の死因は何ですか?

病死です。戦場で討たれたのではなく、合従軍との戦いのあとに病で倒れ、そのまま亡くなりました。

蒙驁の読み方は何ですか?

もうごうと読みます。作中では白い髪と髭から「白老」とも呼ばれています。

蒙驁はなぜ片腕なのですか?

山陽攻略戦で敵の総大将だった廉頗と一騎打ちになり、左腕を斬り落とされたためです。それでも蒙驁は退かず、山陽攻略は秦の勝利に終わりました。

蒙驁の最期を看取ったのは誰ですか?

孫の蒙恬と、飛信隊の信です。蒙驁はすでに意識を失っていましたが、二人の声に反応して身を起こし、王賁を含めた三人に言葉を遺しました。

蒙驁は史実に実在しますか?

実在します。『史記』に記録があり、斉の出身で秦に仕え、紀元前249年から前240年に没するまでの戦績が残されています。

史実の蒙驁はどれくらい強かったのですか?

落とした城の数が際立っています。趙で37城、韓で13城、魏で20城を奪い、その攻略の結果として三川郡と東郡が置かれました。

蒙驁と蒙武、蒙恬の関係は何ですか?

蒙驁の子が蒙武、その子が蒙恬と蒙毅です。この関係は史実の記録とも一致しています。

史実の蒙驁が負けた戦いはありますか?

あります。紀元前247年、魏の信陵君が率いる五国連合軍に大敗しています。ただし秦は函谷関で持ちこたえました。

蒙驁はどこの国の出身ですか?

斉です。秦の生え抜きではなく、他国から移ってきた人物でありながら四代の王に仕え、上卿にまで昇りました。

まとめ

  • 蒙驁が亡くなるのは単行本34巻の第364話「大将軍の遺言」
  • 死因は戦死ではなく病死。合従軍との戦いのあとに倒れた
  • 左腕を失ったのは山陽攻略戦で廉頗と一騎打ちになったため
  • 史実の蒙驁は斉の出身で、紀元前249年から前240年まで秦の将軍として記録されている
  • 趙で37城、韓で13城、魏で20城を奪い、三川郡と東郡の設置につながった

作中では凡将と呼ばれ、史実では城を落とし続けた将軍。この落差そのものが、蒙驁というキャラクターの面白さです。故郷で英雄になれなかった男が、流れ着いた国で武門を築き、孫の代まで名を残した。作中の遺言の場面は、その一代記の締めくくりとして読むと重みが変わってきます。

続きは単行本で

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この記事について

執筆・編集: マンガノシラベ編集部
公式コミックスおよび公開されている史料をもとに作成しています。内容に誤りを見つけられた場合はお問い合わせよりご連絡ください。