春申君(しゅんしんくん)の最期は41巻440話|李園に暗殺された経緯と史実の戦国四君・黄歇【キングダム】
この記事には『キングダム』単行本41巻までの展開と、史実にもとづく内容が含まれます。連載の進行状況は2026年8月時点のものです。
『キングダム』合従軍編で六国連合の総大将を務めた楚の宰相、春申君(しゅんしんくん)。豪奢な身なりと余裕のある物腰で登場し、秦を追い詰める側の頂点に立った人物です。
この記事では、春申君が作中で死亡するのか、何巻何話でどのような最期を迎えたのかを整理します。そして春申君は実在の人物であり、史実でも作中とほぼ同じ形で殺されています。戦国四君のひとりとして名を残した黄歇(こうけつ)という人物の生涯まで含めて調べました。
結論
- 春申君は作中で死亡します。戦場ではなく、暗殺によって命を落とします。
- 死亡したのは単行本41巻・第440話「暗殺」です。秦との戦いではなく、楚の国内で殺されました。
- 殺したのは李園(りえん)です。春申君に近い立場にいた人物であり、これは史実の記述をほぼそのまま踏襲した展開です。
春申君のプロフィール

| 名前 | 春申君(しゅんしんくん) |
|---|---|
| 本名 | 黄歇(こうけつ) |
| 所属 | 楚国 |
| 立場 | 楚の宰相(史実では令尹) |
| 作中の初登場 | 第259話 |
| 主な役割 | 合従軍の総大将 |
| 死亡 | 単行本41巻・第440話「暗殺」 |
| 殺害した人物 | 李園 |
| 史実のモデル | 戦国四君のひとり・春申君(実在) |
春申君は楚の宰相であり、作中では合従軍の総大将という、六国側でもっとも高い立場に置かれた人物です。武将として前線で剣を振るうタイプではなく、国と国をまとめる政治家として描かれています。
春申君の最期は何巻何話?
春申君が死亡するのは単行本41巻、第440話「暗殺」です。合従軍編が終わってからかなり後の、楚の国内で起きた出来事として描かれます。
| 時期 | 出来事 |
|---|---|
| 第259話 | 春申君が初登場する |
| 25巻・第262話ごろ | 合従軍編が始まり、春申君が六国連合の総大将となる |
| 25巻から33巻 | 函谷関の戦い、そして蕞の攻防戦が描かれる |
| 33巻・第352話ごろ | 合従軍が敗退し、春申君の面目は大きく傷つく |
| 41巻・第440話 | 楚の国内で李園に暗殺される |
合従軍の総大将という最大の見せ場を与えられながら、最期は敵国である秦とはまったく関係のない場所で殺されます。この落差が、春申君という人物の描かれ方を決定づけています。
合従軍編での春申君
合従軍編は単行本25巻の第262話から33巻の第352話にかけて描かれた長編です。秦の急拡大を警戒した国々が連合を組み、函谷関を越えて咸陽を目指しました。
この連合をまとめる総大将に据えられたのが春申君でした。軍を直接率いて突撃するのではなく、各国の将軍を束ねて戦いの全体像を管理する立場です。楚軍からは汗明、臨武君、そして女将軍の媧燐といった実力者が参加しています。
しかし合従軍は函谷関を抜けず、最終的に蕞の防衛戦でも押し切れずに撤退します。総大将であった春申君にとって、この失敗は政治的な立場を直撃するものでした。
春申君を殺したのは誰?
春申君を殺したのは李園です。合戦での討ち死にではなく、待ち伏せによる暗殺でした。
背景にあるのは、楚の王位継承をめぐる企てです。楚王に世継ぎがいない状況のなかで、春申君の子を宿した女性を王のもとへ送り込み、生まれた子を王の子として次の王に立てるという計画が動きます。この計画が成立すれば、実質的に楚の王家を掌握できることになります。
ところが王が世を去った直後、計画を共有していた李園が先に動きます。秘密を知る春申君を生かしておく理由がなくなったからです。春申君は宮殿の門で待ち伏せを受け、命を落としました。
この流れは作者の創作ではありません。次に見るように、史実の記録がほぼ同じ経緯を伝えています。
史実では? 戦国四君のひとり・黄歇の生涯
春申君は実在の人物です。本名を黄歇といい、戦国四君のひとりに数えられます。戦国四君とは、斉の孟嘗君、趙の平原君、魏の信陵君、そして楚の春申君を指す呼び名で、いずれも多くの食客を抱えて国政に大きな影響を持った人物たちです。
史実の春申君の年表
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 紀元前274年 | 頃襄王の使者として秦へ赴き、昭襄王に上書して楚への攻撃を思いとどまらせる |
| 紀元前264年 | 秦に人質となっていた太子完を密かに脱出させ、自らは残って責任を引き受ける |
| 紀元前262年 | 太子完が考烈王として即位。黄歇は令尹に任じられ、春申君と号する |
| 紀元前258年 | 秦に包囲された趙の邯鄲を救うため、平原君の要請に応じて出兵する |
| 紀元前256年 | 魯を滅ぼす。この頃、食客は三千人に達したと伝えられる |
| 紀元前247年ごろ | 淮北の領地を国の直轄に改め、代わりに江東を得てかつての呉の旧都を居城とする |
| 紀元前241年 | 五国の合従軍を率いて秦を攻めるが函谷関で敗退。考烈王の信頼を失う。同年、寿春への遷都を進言 |
| 紀元前238年 | 考烈王が病没。葬儀に向かう途中、棘門で李園の刺客に襲われて殺される。一族も皆殺しにされた |
食客三千人と「珠履」の逸話
春申君を語るうえで欠かせないのが、三千人にのぼったという食客です。食客とは、有力者の屋敷に身を寄せて衣食の面倒を見てもらう代わりに、必要なときに知恵や技能を提供する人々を指します。戦国四君はいずれもこの食客を大量に抱えたことで知られています。
春申君の食客の豪華さを示すものとして伝わるのが、履物の逸話です。趙の平原君から使者が訪れた際、使者側は玳瑁の簪などで身を飾って楚の富を試そうとしました。ところが春申君の上級の食客たちは、珠で飾った履を履いていたと伝えられます。使者は自分たちの身なりが見劣りすることに気づいて恥じ入ったという話です。
また、儒家の思想家として名高い荀子も春申君の食客であり、蘭陵県の長官に任じられていたと記録されています。単に人数が多かっただけでなく、当代の一流の人物が集まっていたことがうかがえます。
紀元前241年の合従と、紀元前238年の暗殺
紀元前241年、春申君は楚・趙・魏・韓・燕の五国による合従軍を率いて秦を攻めました。これは記録に残る最後の大規模な合従攻秦です。しかし函谷関で秦軍に敗れ、連合は解体します。この敗戦により、考烈王の春申君への信頼は決定的に低下したと伝えられます。
そして紀元前238年、考烈王が病で世を去ります。春申君は葬儀に向かう途中、棘門で待ち伏せていた李園の刺客に襲われて殺されました。一族も皆殺しにされています。李園の妹が産んだ子は幽王として即位し、李園が楚の実権を握りました。
なお、この一連の経緯については後世に疑問も呈されています。李園の計略という筋書き自体が、のちに王位を得た負芻の側で作られたものではないかとする見方も存在します。史書の記述をそのまま事実と断定できるわけではない点は付け加えておきます。
漫画と史実の違い
| 項目 | 『キングダム』 | 史実 |
|---|---|---|
| 死亡 | 41巻・第440話で暗殺される | 紀元前238年に暗殺される |
| 殺害者 | 李園 | 李園が放った刺客 |
| 殺された場所 | 宮殿の門 | 棘門(城門) |
| きっかけ | 楚王の死去と、王位継承をめぐる企ての露見を恐れたため | 考烈王の病没と、秘密が漏れることを恐れたため |
| 合従軍 | 六国連合の総大将として函谷関を攻める | 紀元前241年に五国の合従軍を率いて函谷関で敗退 |
| 肩書き | 楚の宰相 | 楚の令尹。戦国四君のひとり |
| 食客 | 大きく扱われない | 三千人を抱えたと伝えられ、荀子もその一人 |
作中の春申君の最期は、史実の記述に非常に近い形で描かれています。合従軍の敗北から暗殺までという順序も、史実の紀元前241年から紀元前238年という流れと一致します。
なぜ春申君はこのように描かれたのか
『キングダム』において春申君は、秦にとって最大規模の脅威をまとめた人物です。それだけの敵役でありながら、最期は秦の将軍の手によるものではありません。
これは史実に忠実であるがゆえの結末です。史実の春申君は、秦との戦いで討たれたのではなく、自国の内部の権力争いのなかで殺されました。作品はこの点を変えずに描いています。
結果として、合従軍の総大将という華々しい立場と、内輪の企てで命を落とすという地味な最期が、同じ人物の上に重なることになりました。国をまとめる力を持ちながら、その力を自分の血筋を王家に潜り込ませることに使い、そこから崩れていく。戦国という時代の権力の性質を、春申君はそのまま体現しています。
秦の統一が、敵側の内部崩壊にも支えられていたという構図は、趙の李牧が讒言で失われる展開とも重なります。作品全体を通して繰り返し描かれるテーマのひとつです。
春申君に関するよくある質問
春申君は作中で死亡しますか?
死亡します。単行本41巻の第440話「暗殺」で命を落とします。戦場での討ち死にではなく、楚の国内での暗殺です。
春申君を殺したのは誰ですか?
李園です。楚王の死後、王位継承をめぐる企てを共有していた李園が、秘密が漏れることを恐れて春申君を暗殺しました。
春申君は史実に実在しましたか?
実在します。本名は黄歇といい、楚の令尹を務めた人物です。戦国四君のひとりとして『史記』などに記録が残っています。
戦国四君とは何ですか?
戦国時代に多くの食客を抱え、国政に大きな影響力を持った四人の有力者を指す呼び名です。斉の孟嘗君、趙の平原君、魏の信陵君、楚の春申君の四人を指します。
史実の春申君はいつ死んだのですか?
紀元前238年です。考烈王が病で世を去った直後、葬儀に向かう途中の棘門で李園の刺客に襲われて殺されました。一族も皆殺しにされたと伝えられます。
春申君の食客は何人いたのですか?
三千人に達したと伝えられます。上級の食客は珠で飾った履を履いていたという逸話が残り、儒家の荀子も春申君の食客のひとりでした。
春申君は合従軍で何をしたのですか?
作中では六国連合の総大将として函谷関攻めを指揮しました。史実でも紀元前241年に楚・趙・魏・韓・燕の五国による合従軍を率いており、函谷関で秦軍に敗れています。
合従軍編は何巻ですか?
単行本25巻の第262話から33巻の第352話にかけて描かれています。函谷関の戦いと蕞の防衛戦が中心です。
春申君の初登場は何話ですか?
第259話です。合従軍編が本格的に始まる直前にあたります。
春申君の死後、楚はどうなりましたか?
史実では李園の妹が産んだ子が幽王として即位し、李園が楚の実権を握りました。楚そのものは紀元前223年に秦によって滅ぼされています。
まとめ
- 春申君は作中で死亡し、その場面は単行本41巻・第440話「暗殺」
- 殺したのは李園。戦場ではなく楚の国内での待ち伏せによる暗殺
- 史実の春申君は実在の人物で、本名は黄歇。戦国四君のひとり
- 史実でも紀元前238年、考烈王の死の直後に李園の刺客に殺されている
- 三千人の食客を抱えたと伝えられ、荀子もその一人だった
六国連合の総大将という、作中で最も大きな肩書きを背負った人物が、敵の刃ではなく身内の企てで倒れる。史実の記録をたどると、この結末が作者の演出ではなく実際に伝えられている出来事だとわかります。春申君の最期を知ってから合従軍編を読み返すと、あの総大将の姿がまた違って見えてくるはずです。
この記事について
執筆・編集: マンガノシラベ編集部
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