当サイトはアフィリエイト広告および第三者配信広告を利用しています。

『キングダム』で韓が滅んだのは第840話です。その韓には、国を奪われた恨みを生涯抱え続けた人物がいました。

張良(ちょうりょう)です。この人物はのちに劉邦に仕え、秦を倒す側に回ります。始皇帝の暗殺も試みました。この記事では、張良が史実で何をしたのかを整理します。

結論

  • 張良は韓の名家の出身です。祖父と父が韓の宰相を務めました。
  • 紀元前218年、博浪沙で始皇帝の暗殺を試みています。力士に鉄槌を投げさせましたが失敗しました。
  • のちに劉邦に仕え、漢の建国を助けます。韓信・蕭何と並ぶ「漢の三傑」のひとりです。
  • 作中にはまだ登場していません。韓の滅亡は第840話で描かれています。

張良とはどんな人物か

霧に沈む山と道
張良は韓を失った側から秦に挑みました(画像はイメージです)
読み方 ちょうりょう
出身 韓。祖父と父が韓の宰相を務めた名家
時期 紀元前3世紀から紀元前2世紀
主な行動 始皇帝の暗殺未遂、劉邦への仕官、漢の建国
評価 漢の三傑のひとり。軍師として劉邦を支えた

張良の家は、五代にわたって韓の宰相を出した家系でした。国が滅びれば、その地位も失われます。

紀元前230年、韓は秦に滅ぼされました。戦国七雄で最初に消えた国です。この時点で張良はまだ若く、官職に就く前でした。家が持っていた財産を、そのまま復讐の資金に充てることになります。

博浪沙の暗殺未遂

張良が実行に移したのが、紀元前218年の始皇帝暗殺計画です。

始皇帝は統一後、各地を巡遊していました。張良はその行程を調べ、博浪沙(はくろうさ)という場所で待ち伏せます。

要素 内容
時期 紀元前218年
場所 博浪沙。現在の河南省あたり
実行者 張良が雇った力士
武器 重さ120斤とされる鉄槌
結果 副車に当たり、始皇帝は無事だった

始皇帝の一行は複数の車で移動しており、どれに本人が乗っているか分からない状態でした。投げつけた鉄槌は別の車に当たります。

始皇帝は激怒し、大規模な捜索を命じました。張良は名を変えて下邳(かひ)へ逃れ、身を隠します。

荊軻との違い

始皇帝の暗殺未遂といえば、荊軻がよく知られています。両者の違いを整理します。

項目 荊軻 張良
時期 紀元前227年 紀元前218年
依頼者 燕の太子丹 張良本人(自らの復讐)
手段 使者を装って近づき、匕首で刺す 巡遊路で待ち伏せ、鉄槌を投げる
結果 失敗し、その場で殺される 失敗したが逃げ延びる
その後 燕が滅ぼされる契機になる 逃亡先で兵法を学び、のちに漢を建てる側へ

荊軻は死に、張良は生き延びました。この差が結果的に、秦の滅亡へつながります。逃げ延びた者が、次の王朝を作る側に回りました。

黄石公からの兵法書

逃亡先の下邳で、張良には有名な逸話があります。

橋の上で老人と出会い、その老人が落とした履を拾わされます。張良は言われるままに履を拾い、履かせました。老人はその態度を見て、後日ある書物を渡します。

これが『太公望の兵法』とされ、老人は黄石公(こうせきこう)と呼ばれました。張良はこの書を読み込み、軍師としての能力を身につけたと伝えられます。

この逸話は『史記』留侯世家に記されていますが、伝説的な色彩が濃いものです。ただし張良が逃亡期間に兵法を学んだこと自体は、その後の働きから見て確かでしょう。

劉邦との出会い

秦の統治が揺らぐと、各地で反乱が起きます。張良もそのひとつに加わりました。

そこで出会ったのが劉邦です。張良は自分の献策が劉邦にはよく通じることに気づき、そのまま仕えることになります。

できごと 張良の働き
咸陽入城 財宝に手をつけず民の支持を得るよう劉邦に説く
鴻門の会 項羽との会見で劉邦を窮地から逃がす
楚漢戦争 戦略面で劉邦を支え続ける
漢の成立 建国後は権力争いから距離を置く

劉邦は自らの成功を語る際、張良・韓信・蕭何の3人を挙げ、それぞれの能力が自分より優れていたと述べたとされます。この3人が「漢の三傑」と呼ばれます。

秦を倒した人々の顔ぶれ

張良ひとりが秦を倒したわけではありません。統一から15年で秦が滅びる過程には、複数の人物が関わっています。

人物 出自 果たした役割
陳勝・呉広 徴用された農民 紀元前209年、最初の大規模な反乱を起こす
項羽 楚の将軍・項燕の孫 鉅鹿の戦いで秦軍を破り、咸陽を焼く
劉邦 沛の亭長。庶民出身 先に咸陽へ入り、のちに漢を建てる
張良 韓の宰相家 劉邦の軍師として戦略を担う
趙高 秦の側近 内部から皇帝と重臣を排除し、秦を弱らせる

顔ぶれを見ると、秦を倒したのは滅ぼされた六国の残存勢力だけではありません。農民の反乱、旧六国の遺臣、そして秦の内部の人間。三方向から崩れています。

とくに趙高の存在は大きく、統一を成し遂げた体制が外からの攻撃だけで倒れたわけではないことを示しています。

統一が生んだ反発

秦が短期間で滅んだ理由として、統一後の統治のあり方が挙げられます。

施策 生んだ反発
郡県制 旧六国の王族と貴族が地位を失う
大規模な土木事業 万里の長城、始皇帝陵、阿房宮への徴用が民に重くのしかかる
厳格な法の運用 期日に遅れれば死罪という運用が、陳勝呉広の乱の引き金になったとされる
焚書 学者層の反発を招く

張良のような旧六国の名家出身者にとって、郡県制は自分たちの存在基盤を奪うものでした。戦って負けただけでなく、負けたあとの制度によっても居場所を失っています。

『キングダム』では、法によって身分に関係なく機能する社会が肯定的に描かれます。信が下僕から将軍になれるのも、その制度があるからです。同じ制度が、別の立場の人間からどう見えたかを示すのが張良という人物になります。

韓を滅ぼされた側から見た統一

『キングダム』は秦の側から統一を描く作品です。信も政も、統一を目指す側にいます。

張良は、その統一によって国を失った側の人物です。同じ出来事を、奪われた側から見るとどうなるかを示す存在にあたります。

作中では第840話で韓が滅亡しました。王都・新鄭が無血開城し、秦が初めて一国を完全に滅ぼした場面です。この時点で張良は韓の民のひとりということになります。

そして統一から15年後、秦は滅びます。滅ぼした側が滅ぼされ、その過程に韓の遺臣がいました。

張良と韓信の対照的な晩年

漢の三傑と呼ばれた3人は、建国後にそれぞれ違う道をたどりました。

人物 役割 建国後
張良 戦略の立案 権力争いから距離を置き、隠棲したとされる
韓信 軍の指揮 謀反を疑われ、粛清される
蕭何 兵站と内政 丞相として仕え続ける

韓信は戦場で最も功績を挙げた人物ですが、それゆえに警戒され、命を落としました。張良は建国の直後に一歩引くことで、この結末を避けています。

秦の李斯が丞相まで昇りながら腰斬に処されたことと合わせて見ると、この時代の権力の近くにいることの危うさが分かります。国を作った側の人間が、その国に殺されるという例が続いています。

張良の読み方と漢の三傑

張良は、のちに漢を建てる側に回った人物です。

人物 読み 担った役割
張良 ちょうりょう 軍略
蕭何 しょうか 内政と兵站
韓信 かんしん 実戦の指揮

この三人が「漢の三傑」と呼ばれます。劉邦が項羽を破るうえで、それぞれ別の面を担いました。

張良は韓の出身で、秦に国を滅ぼされた側にあたります。始皇帝を狙った人物が、のちに秦を倒す側の中心にいたことになります。

張良に関するよくある質問

張良とはどんな人物ですか?

韓の名家の出身で、祖父と父が韓の宰相を務めました。始皇帝の暗殺を試み、のちに劉邦に仕えて漢の建国を助けた人物です。

張良は始皇帝を暗殺しようとしたのですか?

しました。紀元前218年、博浪沙で力士に鉄槌を投げさせましたが、副車に当たって失敗しています。

なぜ張良は始皇帝を狙ったのですか?

秦に韓を滅ぼされたためです。張良の家は五代にわたって韓の宰相を出した家系でした。

荊軻と張良はどちらが先ですか?

荊軻が先です。荊軻は紀元前227年、張良は紀元前218年です。

黄石公の話は史実ですか?

『史記』留侯世家に記されていますが、伝説的な色彩が濃い逸話です。

漢の三傑とは誰ですか?

張良・韓信・蕭何の3人です。劉邦が自分より優れた能力を持つ者として挙げたとされます。

張良はキングダムに登場しますか?

2026年8月時点で登場した描写は確認できていません。韓の滅亡は第840話で描かれています。

張良は何をした軍師なのですか?

咸陽入城時に財宝へ手をつけないよう劉邦に説き、鴻門の会では項羽との会見から劉邦を逃がしました。楚漢戦争でも戦略面を支えています。

張良の最期はどうなりましたか?

漢の建国後は権力争いから距離を置き、隠棲したとされます。粛清された韓信とは対照的な晩年でした。

韓はいつ滅んだのですか?

紀元前230年です。内史騰が率いる秦軍に攻められ、韓王安が捕らえられました。戦国七雄で最初に消えた国です。

まとめ

  • 張良は韓の名家出身。祖父と父が韓の宰相を務めた
  • 紀元前230年に韓が滅び、家の財産を復讐の資金に充てた
  • 紀元前218年、博浪沙で始皇帝の暗殺を試みたが失敗した
  • 荊軻は死に、張良は逃げ延びたという差が結果を分けた
  • のちに劉邦に仕え、漢の三傑のひとりとして建国を助けた
  • 作中にはまだ登場していない。韓の滅亡は第840話

秦が滅ぼした最初の国から、秦を滅ぼす側の軍師が出ました。『キングダム』が描いている統一の裏側には、こういう人物が生まれる過程もあります。

この記事について

執筆・編集: マンガノシラベ編集部
公式コミックスおよび公開されている史料をもとに作成しています。内容に誤りを見つけられた場合はお問い合わせよりご連絡ください。