【キングダム】張唐(ちょうとう)の最期は28巻303話!毒を受けても成恢を討ち、史実では12歳の甘羅に説得された逸話
この記事には『キングダム』本編の展開と、史実にもとづく解説が含まれます。連載の進行状況は2026年8月時点のものです。
『キングダム』合従軍編で、毒に侵されながら敵の総大将を斬った秦の老将、張唐(ちょうとう)。武人としての誇りを最後まで手放さなかったこの人物は、犬猿の仲だった桓騎に言葉を託して息絶えました。
この記事では、張唐が死亡する巻数と話数、その経緯を整理します。そして史実の張唐についても取り上げます。張唐は実在の人物であり、『史記』には作中とはまったく違う顔が記録されていました。12歳の少年に説き伏せられて危険な任地へ向かうという、有名な逸話が残っています。
結論
- 張唐は単行本28巻の第303話で死亡します。合従軍編の函谷関の戦いで、韓の毒を受けたのち総大将の成恢を討ち、力尽きました。
- 史実の張唐は実在します。秦の昭襄王のもとで魏や鄭を攻めた将軍として『史記』に記録があります。
- 有名なのは燕への使者を拒んだ逸話です。趙が自分の首に百里の地の懸賞をかけていたため拒否しましたが、12歳の甘羅に説得されて承知しました。
張唐のプロフィール

| 名前 | 張唐(ちょうとう) |
|---|---|
| 所属 | 秦国 |
| 階級 | 将軍。作中では登場時点ですでに大将軍格 |
| 世代 | 昭王の時代から蒙驁らとともに戦歴を重ねた老将 |
| 性格 | 頑固。秦の武人であることに強い誇りを持つ |
| 合従軍編での役割 | 蒙驁、桓騎とともに函谷関の守備に就く |
| 死亡 | 28巻 第303話。韓の毒を受けたのち成恢を討って力尽きる |
| 史実のモデル | 実在。『史記』に秦の将軍として記録がある |
張唐は六大将軍の全盛期を横で見てきた世代の将軍です。表舞台の主役ではなかったものの、蒙驁らと並んで秦の戦線を支え続けてきました。15歳から戦場に出ていたという長いキャリアを持つ老将として描かれています。
桓騎との不仲
合従軍編で張唐とともに函谷関を守ったのが桓騎でした。この二人は決定的に反りが合いません。
| 張唐 | 桓騎 | |
|---|---|---|
| 出自 | 秦の正規の武人 | 元野盗 |
| 行動原理 | 国を守ること。武人の作法を重んじる | 自分が面白ければよい |
| 戦い方 | 正面から戦う | 勝つためなら手段を選ばない |
張唐にとって桓騎は、国を軽んじ、女や子どもも平気で殺す許しがたい存在でした。しかし函谷関の戦いを通じて、張唐は桓騎の将としての資質を認めるようになります。この変化が、最期の場面を決定づけました。
張唐の最期は何巻何話?
張唐が死亡するのは単行本28巻に収録された第303話です。合従軍編、函谷関の戦いのなかで描かれました。
きっかけは韓軍の毒兵器でした。韓の総大将である成恢は、轟丹丸と呼ばれる毒を用いて函谷関の秦兵を削っていきます。張唐もこの毒煙を浴びてしまい、戦いの8日目に自分の余命がわずかであることを悟りました。
| 段階 | 出来事 |
|---|---|
| 1 | 韓軍が毒兵器を投入し、函谷関の秦兵に被害が広がる |
| 2 | 張唐も毒を浴び、8日目に余命が尽きることを自覚する |
| 3 | 桓騎が策を提案。敵の鎧をまとって敵陣に紛れ込み、本陣を突く |
| 4 | 張唐は何度も血を吐きながら韓の本陣へ突入する |
| 5 | 毒矢を受けても怯まず、逃げる成恢を斬り倒す |
| 6 | 桓騎に「秦国一の武将となれ」と言い残して力尽きる(28巻303話) |
桓騎がこの策を出したのは、毒で死ぬしかない老将に武人としての死に場所を用意するためでした。反りの合わなかった相手に対して、桓騎が示した唯一の敬意だったともいえます。
張唐は毒で倒れることを武将の死に方ではないと言い切り、最後まで自分の足で立って敵将を討ちました。そして死の間際、最も嫌っていたはずの桓騎に秦の未来を託しています。
張唐が討った成恢とはどんな人物か
成恢は合従軍における韓軍の総大将です。毒を扱う人物として描かれ、函谷関の秦軍に大きな損害を与えました。張唐の死因も、この成恢が用いた毒です。
張唐と成恢は同じ第303話で死亡しています。毒を受けた側が毒を使った側を斬り、そのまま倒れるという形になりました。
なお成恢については、『戦国策』に同名の人物が遊説家として見えるという指摘があります。ただし韓の総大将として軍を率いた記録や、毒を使ったという記録は残っていません。作中の造形は大部分が創作と考えるのが妥当です。
史実では? 張唐は実在した秦の将軍
ここからが史実の話です。張唐は実在します。『史記』に秦の将軍として記録が残っており、作品オリジナルの人物ではありません。
昭襄王のもとでの戦歴
| 年 | できごと |
|---|---|
| 紀元前258年 | 魏を攻撃する。部将の蔡尉が陣を放棄して逃げたため、これを斬った |
| 紀元前257年 | 鄭を攻略する |
| その後 | 寧新中を攻め落とす。この地はのちに安陽と改名された |
逃げた部将を自ら斬ったという記述は、作中の頑固で規律を重んじる張唐像とよく重なります。史実の張唐も、軍法に厳しい将軍だったことがうかがえます。
燕への使者を拒んだ逸話
張唐の名を最も有名にしているのは、戦ではなく外交の場面です。
秦の相国であった呂不韋は、燕と手を組んで趙を挟み撃ちにする構想を持っていました。そのために張唐を燕の相国として送り込もうとします。ところが張唐はこれを断りました。理由はこうです。
自分はかつて昭王のために趙を攻めた。そのため趙は自分を深く恨んでおり、「張唐を捕らえた者には百里の地を与える」と公言している。燕へ行くには趙を通らねばならず、それはできない。
呂不韋は不機嫌になりましたが、無理強いはしませんでした。そこで動いたのが、当時12歳の甘羅です。
12歳の甘羅による説得
甘羅は秦の左丞相であった甘茂の孫で、祖父の死後は呂不韋に少庶子として仕えていました。彼は自ら申し出て張唐のもとへ向かい、次のように問いかけます。
| 甘羅の問い | 張唐の答え |
|---|---|
| あなたの功績は武安君(白起)と比べてどうか | 及ばない |
| 応侯(范雎)の権勢と文信侯(呂不韋)の専権はどちらが大きいか | 文信侯のほうが大きい |
ここまで確認したうえで、甘羅はこう続けました。応侯が趙を攻めようとしたとき、武安君は反対した。その結果、武安君は咸陽から七里の杜郵で殺された。あなたは武安君に及ばず、いまあなたに命じているのは応侯より強い文信侯である。それを断れば、自分がどこで死ぬことになるか分からない。
張唐はこれを聞いて考えを改め、燕へ向かう支度を始めました。功績でも立場でも上だった白起が、権力者の意向に逆らって殺された。その前例を突きつけられたわけです。
その後の展開と年代の問題
甘羅はさらに自ら趙へ赴きます。秦と燕が人質を交換したのは趙を攻めるためだと趙王に説き、趙から5つの城を割譲させました。秦は燕の太子丹を帰し、趙と燕を戦わせます。趙は燕から30城を取り、そのうち11城が秦のものになりました。
この功により、甘羅は12歳で上卿の位に就き、祖父である甘茂の田宅を与えられています。
ただし、この出来事の年代には問題があります。『史記』燕召公世家では紀元前232年、趙世家では紀元前243年とされており、記述が食い違っているのです。どちらが正しいかは確定していません。
漫画と史実の違い
| 項目 | 『キングダム』 | 史実 |
|---|---|---|
| 実在 | 秦の老将として登場 | 実在。『史記』に記録がある |
| 最期 | 合従軍編で毒に侵され、成恢を討って死亡(28巻303話) | 死亡の記録は残っていない |
| 有名な逸話 | 桓騎との確執と和解 | 燕への使者を拒み、12歳の甘羅に説得された件 |
| 趙との関係 | 特筆される描写はない | 趙を攻めたため恨まれ、首に百里の地の懸賞をかけられていた |
| 成恢 | 韓の総大将で毒使い | 同名の人物が『戦国策』に遊説家として見えるという指摘があるのみ |
| 合従軍 | 六国が函谷関と蕞に迫る | 紀元前241年、趙の龐煖が趙・楚・魏・燕の四国を率いて蕞を攻めたが落とせず、函谷関でも敗走した |
特に注意したいのが年代です。史実の合従軍は紀元前241年の出来事とされます。一方、張唐が甘羅に説得された逸話は紀元前243年または紀元前232年とされています。仮に紀元前232年が正しければ、史実の張唐は合従軍の戦いのあとも生きていたことになります。作中で彼が函谷関で命を落とすのは、史実の記録に縛られない創作部分です。
なぜ張唐はこのように描かれたのか
張唐に与えられた役割は、桓騎という人物を読者に一度だけ肯定させることでした。
桓騎は元野盗であり、作中でも最も残虐な将として描かれます。そのままでは読者が感情移入する余地がありません。そこで、桓騎を最も嫌っていた武人が、死の間際に彼を認めるという場面が置かれました。張唐が「秦国一の武将となれ」と託したことで、桓騎という将の底が一瞬だけ見えるようになっています。
また張唐の最期は、毒という「戦場らしくない死に方」を拒む物語でもありました。武将としてどう死ぬかにこだわり、そのために残された時間を全部使い切る。この選択があるからこそ、彼の頑固さが最後に意味を持ちます。
史実の張唐は、趙に恨まれていることを理由に危険な任地を断った人物として記録されています。慎重で現実的な判断です。作中の張唐が見せた激しさは、その慎重さの裏側にあったものを作者が書き足した結果と読むこともできます。
アニメでは第何シリーズか
この場面は、アニメでは第3シリーズにあたります。
| 単行本 | 28巻 |
|---|---|
| アニメ | 第3シリーズ |
| そのシリーズの内容 | 合従軍編。函谷関の攻防と蕞の防衛戦 |
アニメは原作の話をそのまま順番に並べているわけではありません。巻の区切りとシリーズの区切りは完全には一致しないため、目安として捉えてください。
シリーズごとの原作範囲はアニメと原作の対応表にまとめています。
張唐に関するよくある質問
張唐は何巻何話で死亡しますか?
単行本28巻の第303話です。合従軍編の函谷関の戦いで、韓の毒を受けたのち総大将の成恢を討ち、力尽きました。
張唐の死因は何ですか?
韓の成恢が用いた毒です。轟丹丸と呼ばれる毒を浴び、戦いの8日目に余命が尽きることを悟りました。
張唐は誰を倒しましたか?
韓軍の総大将である成恢です。桓騎の策で敵陣に紛れ込み、毒矢を受けながら本陣まで到達して斬り倒しました。
張唐が桓騎に残した言葉は何ですか?
秦国一の武将となれ、という言葉です。あわせて秦を頼むという趣旨のことを伝えています。犬猿の仲だった相手に国を託して息絶えました。
張唐と桓騎はなぜ不仲だったのですか?
価値観が正反対だったためです。張唐は秦の武人としての誇りを重んじ、桓騎は元野盗で勝つためなら手段を選びません。ただし函谷関の戦いを通じて、張唐は桓騎の将としての資質を認めました。
張唐は史実に実在しましたか?
実在します。秦の昭襄王のもとで紀元前258年に魏を攻め、紀元前257年に鄭を攻略した記録が『史記』に残っています。
史実の張唐が燕行きを断ったのはなぜですか?
趙が自分を恨んでいたためです。かつて昭王のために趙を攻めたことから、趙は張唐を捕らえた者に百里の地を与えると公言していました。燕へ行くには趙を通る必要があったため断っています。
甘羅とはどんな人物ですか?
秦の左丞相だった甘茂の孫で、呂不韋に仕えた少年です。12歳で張唐を説得し、さらに趙へ赴いて5つの城を割譲させました。この功により12歳で上卿となっています。
甘羅はどうやって張唐を説得したのですか?
白起の例を持ち出しました。あなたは白起に及ばず、呂不韋は范雎より強い。白起は権力者の意向に逆らって杜郵で殺された。それを踏まえて断るのかと問い、張唐は考えを改めました。
史実の張唐はいつ死んだのですか?
分かっていません。死亡の年や場所についての記録は残されておらず、作中の最期は創作です。
まとめ
- 張唐は28巻303話で死亡。韓の毒を受けたのち、総大将の成恢を討って力尽きた
- 桓騎の策で敵陣に潜入し、血を吐きながら本陣まで到達した
- 最期に、犬猿の仲だった桓騎へ秦国一の武将となれと言い残した
- 史実の張唐は実在し、紀元前258年に魏を攻め、翌年に鄭を攻略した記録がある
- 趙に首の懸賞をかけられていたため燕への使者を拒んだが、12歳の甘羅に説得されて承知した
史実に残る張唐は、危険を避けようとして少年に論破された将軍です。作中の張唐は、死を目前にして最も危険な場所へ自分から突っ込んでいきました。同じ名前の人物に、まったく違う顔が与えられています。
この記事について
執筆・編集: マンガノシラベ編集部
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