趙の滅亡は紀元前228年|代で6年続いた理由と李牧処刑から邯鄲陥落までの数か月【キングダム】
この記事には『キングダム』の最新の展開と史実に関する記述が含まれます。未読の方はご注意ください。
『キングダム』で秦が最も長く戦ってきた相手が趙です。李牧・龐煖・司馬尚といった強敵が並び、王騎も麃公もこの国との戦いで命を落としました。
この記事では、趙が史実でいつ滅んだのか、そして作中がいまどこまで進んでいるのかを整理します。「趙の滅亡はいつか」という問いには、実は答えが2つあります。
結論
- 史実では紀元前228年に邯鄲が落ち、趙王が捕らえられました。これが一般に言う趙の滅亡です。
- ただし公子嘉が代へ逃れて存続します。完全に滅ぶのは紀元前222年です。
- 滅亡の前年に李牧が処刑されました。郭開の讒言によるものです。
- 作中はまだ滅亡していません。邯鄲攻防戦で秦は攻略に失敗しています。
趙の滅亡はいつか

| 年 | できごと |
|---|---|
| 紀元前229年 | 王翦が趙へ侵攻。郭開の讒言により李牧が処刑される |
| 紀元前228年 | 邯鄲が陥落し、幽繆王が捕らえられる。一般に言う趙の滅亡 |
| 同年 | 公子嘉が代へ逃れ、代王嘉を名乗る |
| 紀元前222年 | 王賁が代を攻め、嘉を捕らえる。趙が完全に滅ぶ |
「趙の滅亡は紀元前228年」と書かれることが多いのは、都である邯鄲が落ち、正統な王が捕らえられたためです。国家としての機能はここで失われました。
ただし王族が全滅したわけではありません。公子嘉が北の代へ逃れ、そこで王を名乗って6年間持ちこたえています。この代の政権を含めるかどうかで、滅亡年が変わります。
李牧の処刑が決定打だった
趙が滅んだ直接の原因は、軍事的な敗北ではありません。李牧を自分たちで殺したことです。
紀元前229年、王翦が趙へ侵攻します。趙は李牧と司馬尚を出して迎え撃ちました。この布陣で秦は攻めあぐねます。
そこで秦が用いたのが離間の計です。趙の重臣である郭開に金を送り、李牧が謀反を企てていると王に吹き込ませました。
| 段階 | 内容 |
|---|---|
| 秦の侵攻 | 王翦が趙へ攻め込む |
| 趙の迎撃 | 李牧と司馬尚が防ぎ、秦は突破できない |
| 離間の計 | 秦が郭開へ金を送り、李牧の謀反を讒言させる |
| 李牧の処刑 | 幽繆王が李牧を殺す。司馬尚も解任される |
| 邯鄲陥落 | 3か月ほどで王翦が邯鄲を落とす |
李牧を排除してから邯鄲が落ちるまで、わずか数か月です。それまで王翦が突破できなかった防衛線が、指揮官を失った途端に崩れました。
趙は秦に負けたというより、自分で防衛線を切ったことになります。
郭開という人物
李牧を讒言で葬った郭開は、それ以前にも同じことをしています。廉頗を趙から追い出したのも郭開でした。
趙は戦国七雄のなかでも軍事的に強い国でした。廉頗、藺相如、趙奢、李牧、司馬尚。名将が途切れずに出ています。その国が滅んだ経緯を追うと、敵国の将ではなく自国の重臣が繰り返し出てきます。
郭開のその後については記録が乏しく、諸説あります。秦から報酬を得たものの、財産を運ぶ途中で盗賊に殺されたという話が伝わっていますが、出典の信頼性には議論があります。
作中はいまどこまで進んでいるか
2026年8月時点で、作中の趙はまだ滅んでいません。
第852話から邯鄲攻防戦が始まりましたが、秦は邯鄲の攻略に失敗しています。史実では紀元前228年に落ちる都が、作中ではまだ持ちこたえている状態です。
| 項目 | 作中 | 史実 |
|---|---|---|
| 李牧 | 健在。秦と戦い続けている | 紀元前229年に処刑される |
| 邯鄲 | 攻防戦の結果、秦が攻略に失敗 | 紀元前228年に陥落 |
| 司馬尚 | 青歌軍を率いて秦を退けている | 李牧処刑の際に解任される |
| 郭開 | 宮廷で権勢を保つ | 李牧を讒言で葬る |
作中の李牧は、史実の記録からすると残り時間が少ない人物です。同様に司馬尚も、史実では李牧とともに退けられます。
趙という国はなぜ強かったのか
趙は戦国七雄のなかで、秦に最も長く抵抗した国です。その強さには理由があります。
ひとつは北方との接触です。趙の北辺は匈奴と接しており、常に騎馬民族の襲撃を受けていました。この環境が、趙に騎兵中心の軍を作らせます。
紀元前4世紀、武霊王が「胡服騎射」を導入しました。中原の伝統的な衣服を捨て、遊牧民の服装で馬に乗り、馬上から弓を射る戦法です。敵の戦い方を取り入れるという判断が、趙を軍事大国に変えました。
| 要素 | 内容 |
|---|---|
| 胡服騎射 | 武霊王が導入。遊牧民の服装と騎射を採用する |
| 北辺の実戦経験 | 匈奴との戦いが続き、常に実戦を経験した部隊がいた |
| 名将の輩出 | 廉頗・藺相如・趙奢・李牧・司馬尚が途切れずに出る |
| 地形 | 山地が多く、防衛に向いた地勢を持つ |
李牧はもともと、この北辺で匈奴を相手にしていた将です。長く守りに徹して敵を油断させ、一気に叩くという戦い方で匈奴を退けました。秦との戦いで見せた手法は、この経験の延長線上にあります。
長平の敗戦から立て直した国
趙は一度、致命的な打撃を受けています。紀元前260年の長平の戦いです。
白起が率いる秦軍に敗れ、降伏した趙兵40万が生き埋めにされたと『史記』は記します。数字については議論がありますが、国の兵力を大きく損なったことは確かです。
それでも趙は滅びませんでした。翌年の邯鄲包囲を魏・楚の援軍とともに凌ぎ、その後30年以上にわたって秦と戦い続けます。40万を失ったとされる国が、そこから李牧という将を出して秦の侵攻を何度も止めたということです。
その趙を最終的に崩したのが、戦場ではなく宮廷でした。長平でも滅びなかった国が、讒言ひとつで防衛線を失っています。
七雄が滅んだ順番
| 順 | 国 | 滅亡年 | 攻めた将 |
|---|---|---|---|
| 1 | 韓 | 紀元前230年 | 内史騰 |
| 2 | 趙 | 紀元前228年(代は前222年) | 王翦 |
| 3 | 魏 | 紀元前225年 | 王賁 |
| 4 | 楚 | 紀元前223年 | 王翦 |
| 5 | 燕 | 紀元前222年 | 王賁 |
| 6 | 斉 | 紀元前221年 | 王賁 |
趙は2番目です。最も手強い相手を早い段階で潰したことが、その後の統一を速めました。趙が落ちたあと、残る国は次々と滅びています。
攻めた将の顔ぶれを見ると、王翦と王賁の親子が4国を担当しています。史実の統一戦は、この2人がほぼ実行したと言える構成です。
邯鄲という都
趙の都・邯鄲は、政が幼少期を人質として過ごした街でもあります。
父の子楚が趙の人質だった時期に生まれ、そこで幼年期を送りました。作中では、この時期に受けた仕打ちが政という人物の原点として描かれています。紫夏の手で秦へ逃れるまでの日々です。
その邯鄲を、大人になった政が攻める側として落とすことになります。史実の紀元前228年、邯鄲が陥落した際、始皇帝は自ら邯鄲へ赴きました。そして幼少期に自分と母を苦しめた者たちを、生き埋めにしたと『史記』は記します。
統一事業のなかで、この行動だけは戦略的な意味を持ちません。個人的な報復として記録に残っている数少ない例です。
代王嘉という最後の抵抗
邯鄲が落ちたあと、公子嘉は数百人の一族を連れて北の代へ逃れました。
代は趙の北辺にあたる地域です。かつて李牧が匈奴を相手に守っていた場所でもあります。嘉はここで王を名乗り、燕と手を組んで秦に抵抗しました。
紀元前222年、王賁が代を攻めて嘉を捕らえます。同じ年に燕も滅びました。邯鄲の陥落から6年、趙という国はここで完全に消えます。
趙の滅亡に関するよくある質問
趙が滅亡したのはいつですか?
一般には紀元前228年です。邯鄲が陥落し、幽繆王が捕らえられました。ただし公子嘉が代で王を名乗って存続したため、完全な滅亡は紀元前222年になります。
趙を滅ぼしたのは誰ですか?
邯鄲を落としたのは王翦です。代の政権を滅ぼしたのは王賁でした。
李牧はいつ死んだのですか?
紀元前229年です。郭開の讒言により、幽繆王が処刑しました。邯鄲が落ちる前年にあたります。
なぜ李牧は殺されたのですか?
秦の離間の計です。秦が郭開に金を送り、李牧が謀反を企てていると王に吹き込ませました。
趙はキングダムで滅亡しましたか?
2026年8月時点でまだ滅亡していません。第852話から始まった邯鄲攻防戦では、秦が攻略に失敗しています。
趙は何番目に滅んだ国ですか?
2番目です。1番目は紀元前230年の韓でした。
代王嘉とは誰ですか?
邯鄲陥落後に代へ逃れ、王を名乗った趙の公子です。燕と組んで秦に抵抗し、紀元前222年に王賁に捕らえられました。
司馬尚はどうなったのですか?
史実では李牧が処刑された際に解任されています。その後の記録は残っていません。
郭開はどうなったのですか?
記録が乏しく諸説あります。秦から報酬を得たあと、財産を運ぶ途中で盗賊に殺されたという話が伝わっていますが、出典の信頼性には議論があります。
趙が滅んだあと何が起きましたか?
燕の太子丹が荊軻を送り、始皇帝の暗殺を試みます。趙が消えたことで、燕が秦と直接向き合う位置になったためです。
まとめ
- 史実の趙は紀元前228年に邯鄲が陥落し、幽繆王が捕らえられた
- 公子嘉が代へ逃れて存続し、完全な滅亡は紀元前222年
- 前年の紀元前229年、郭開の讒言により李牧が処刑された
- 李牧を失ってから邯鄲陥落まで数か月。防衛線を自分で切った形になる
- 七雄で2番目の滅亡。最も手強い相手を早期に潰したことが統一を速めた
- 作中はまだ滅亡しておらず、邯鄲攻防戦で秦が攻略に失敗している
名将が途切れなかった国が、敵ではなく味方の讒言で崩れました。作中の李牧がその結末をどう迎えるのかは、まだ描かれていません。
この記事について
執筆・編集: マンガノシラベ編集部
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