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秦は中華を統一してから15年で滅びました。その崩壊を内側から進めた人物が趙高(ちょうこう)です。

『キングダム』の登場人物のうち、蒙恬・蒙毅・李斯はいずれも趙高によって命を落とします。この記事では、趙高が何をした人物なのか、そして「宦官だった」という通説がどこまで確かなのかを整理します。

結論

  • 趙高は始皇帝の側近から実権を握り、秦を崩壊させた人物です。紀元前207年に殺されるまで権力を握り続けました。
  • 始皇帝の死後、遺書を改竄しました。長子の扶蘇を自決させ、末子の胡亥を二世皇帝に立てています。
  • 蒙恬・蒙毅・李斯を排除しました。いずれも冤罪です。
  • 宦官だったという通説には異論があります。近年は宦官ではなかったとする見方も出ています。

趙高とはどんな人物か

夜の中国の宮殿
趙高は宮中の実務から権力の中枢へ上がりました(画像はイメージです)
読み方 ちょうこう
立場 始皇帝の側近。のちに丞相・中丞相
得意分野 法律の知識と文字。獄法に精通していたとされる
関与した事件 始皇帝の遺書改竄、扶蘇の自決、蒙恬・蒙毅・李斯の排除、望夷宮の変
最期 紀元前207年、子嬰に殺される

趙高はもともと、宮中で法律と文書を扱う実務官でした。獄法に詳しく、文字にも通じていたため、始皇帝に重用されます。胡亥の教育係も務めました。

『史記』には、趙高が罪を犯して蒙毅に死罪を言い渡された記録があります。このとき始皇帝が趙高の能力を惜しんで許しました。のちに趙高が蒙毅を殺すのは、この件が背景にあると読まれています。

宦官だったのかという問題

趙高は宦官として説明されることがほとんどです。ただし、この点には議論があります。

根拠とされてきたのは『史記』の「隠宮」という語です。長らくこれが去勢を意味すると解釈されてきました。

一方で、趙高には娘がいたことが記録されています。望夷宮の変で胡亥を襲撃した閻楽は、趙高の娘婿です。また出土した秦の法制史料の研究から、「隠宮」は去勢とは別の意味である可能性が指摘されています。

根拠
宦官だった 『史記』の「隠宮」の記述。後世の史書もこの前提で書かれている
宦官ではなかった 娘婿の閻楽がいる。「隠宮」の解釈に別の可能性がある

どちらが正しいかは確定していません。ただし「趙高は宦官だった」と断言できるほど話は単純ではないということは押さえておく価値があります。

始皇帝の死と遺書の改竄

紀元前210年、始皇帝が巡遊の途中で病死します。ここから趙高が動きました。

始皇帝は死の直前、長子の扶蘇に対し、咸陽へ戻って葬儀を主宰せよという趣旨の手紙を残していました。これは事実上の後継指名にあたります。

趙高はこの手紙を握りつぶし、丞相の李斯を説き伏せて内容を書き換えました。

段階 内容
始皇帝の死 紀元前210年、巡遊の途中で病死する
死の隠蔽 遺体を車に乗せたまま行程を続け、死を伏せる
李斯の抱き込み 扶蘇が立てば李斯の地位も危ういと説く
遺書の改竄 胡亥を後継とし、扶蘇と蒙恬に死を命じる偽の詔を出す
扶蘇の自決 詔を受けた扶蘇が自ら命を絶つ

扶蘇は蒙恬とともに北方にいました。蒙恬は詔を疑い、確認すべきだと止めています。しかし扶蘇は従いました。父の命令に逆らわないという姿勢が、そのまま秦の運命を決めています。

排除された人々

人物 立場 結末
扶蘇(ふそ) 始皇帝の長子 偽の詔により自決
蒙恬(もうてん) 将軍 投獄され、紀元前210年に自害
蒙毅(もうき) 蒙恬の弟。文官 殺害される
李斯(りし) 丞相 紀元前208年、咸陽の市で腰斬。一族も処刑

李斯は遺書改竄の共犯でした。それでも最後は趙高に陥れられ、腰斬という極刑を受けています。手を組んだ相手も順番に消していったのが趙高のやり方でした。

李斯の死後、趙高は中丞相となります。丞相の位置に座った状態で、二世皇帝の胡亥を意のままに動かしました。

指鹿為馬|「馬鹿」の語源とされる故事

趙高で最も知られた逸話が「指鹿為馬(しろくいば)」です。

趙高は鹿を連れてきて、胡亥に「珍しい馬が手に入りました」と献上します。胡亥は「これは鹿ではないか」と言いますが、趙高は馬だと言い張りました。

そこで周囲の臣下に尋ねます。鹿だと答えた者、馬だと答えた者、黙った者。趙高はこのあと、鹿だと正直に答えた者を処罰しました。

目的は、誰が自分に逆らうかを見分けることです。事実より権力が優先される状態を作り、朝廷から反対意見を消しました。

日本語の「馬鹿」の語源がこの故事だという説は広く知られています。ただし語源としては諸説あり、確定していません。

望夷宮の変と趙高の最期

紀元前207年、秦は各地の反乱で崩れかけていました。

趙高は責任を追及されることを恐れ、娘婿の閻楽に命じて望夷宮を襲撃させます。追い詰められた胡亥は自ら剣を取って死にました。

趙高は次に子嬰を立てようとします。しかし子嬰は即位の儀式の場で趙高を殺しました。

できごと
紀元前210年 始皇帝が死去。遺書を改竄し、扶蘇と蒙恬を排除する
紀元前208年 李斯を腰斬に処し、中丞相となる
紀元前207年 望夷宮の変。胡亥が自害する
紀元前207年 子嬰の即位の儀で趙高が殺される
紀元前206年 子嬰が劉邦に降伏。秦が滅亡する

なお『趙正書』という別の史料では、趙高の最期が章邯に殺されたと記されています。『史記』と食い違う記述であり、どちらが実際だったかは分かっていません。

趙高が死んでから秦の滅亡まで、1年もかかっていません。統一から15年で、中華を統べた国が消えました。

キングダムに趙高は登場するか

2026年8月時点で、趙高が作中に登場した描写は確認できていません。

ただし関係する人物は多数登場しています。蒙恬は楽華隊の隊長として、蒙毅はその弟として、李斯は呂不韋四柱のひとりとして描かれています。胡亥は第846話で誕生しました。

人物 作中の描かれ方 史実で趙高との関係
蒙恬 楽華隊隊長。信・王賁と同期 趙高の偽詔により投獄され自害
蒙毅 蒙恬の弟。文官 趙高に殺される
李斯 呂不韋四柱のひとり 趙高と組んだのち、腰斬に処される
胡亥 第846話で誕生 趙高に擁立され、望夷宮の変で自害

作中で描かれている人物の多くが、史実では趙高によって命を落とします。いま楽華隊で戦っている蒙恬と蒙毅の兄弟が、統一後にどうなるかは記録に残っているということです。

なぜ趙高ひとりに権力が集まったのか

始皇帝が死んだ時点で、秦には有能な人材が揃っていました。丞相の李斯、北方に30万を率いる蒙恬、文官の蒙毅。それでも趙高を止められませんでした。

理由のひとつは、始皇帝の死が伏せられたことです。巡遊先で死んだため、その事実を知る人間がごく少数に限られました。情報を握った者が、そのまま次の皇帝を決められる状況ができていたことになります。

もうひとつは、権力がすべて皇帝ひとりに集中していたことです。郡県制によって地方の王を廃し、すべての決定が中央へ集まる仕組みを作りました。その頂点が空いたとき、そこに近い場所にいた人間が全部を取れてしまいます。

始皇帝が作った仕組み 崩壊時に起きたこと
郡県制。地方に王を置かない 皇帝が倒れたとき、地方から止める勢力がいなかった
詔(みことのり)による統治 詔を偽造できれば、誰でも皇帝の意思を作れた
法による厳格な運用 詔に逆らうこと自体が罪になり、扶蘇も蒙恬も従うしかなかった

強い中央集権は、頂点が正常に機能している間だけ強く働きます。秦の制度は、皇帝が偽物になった場合を想定していませんでした。

子嬰という最後の皇帝

趙高を殺した子嬰は、秦の最後の君主です。

趙高に擁立された際、子嬰は皇帝ではなく「秦王」を名乗りました。すでに各地が独立しており、中華全土の皇帝を称する状態ではなかったためです。

子嬰は即位の儀式に趙高が来たところを狙い、これを討ちました。趙高の一族も処刑しています。秦の皇族が自力で趙高を排除できたのは、このときが最初で最後でした。

しかし時すでに遅く、在位46日で劉邦の軍が咸陽に迫ります。子嬰は降伏しました。その後、項羽が咸陽へ入り、子嬰は殺されています。

趙高に関するよくある質問

趙高とは何をした人物ですか?

始皇帝の側近から実権を握り、秦を内側から崩壊させた人物です。遺書の改竄、扶蘇の自決、蒙恬・蒙毅・李斯の排除、二世皇帝の殺害に関与しました。

趙高は宦官だったのですか?

通説では宦官とされますが、異論があります。娘婿の閻楽がいることや、根拠とされてきた「隠宮」の解釈に別の可能性が指摘されているためです。

指鹿為馬とはどういう故事ですか?

趙高が鹿を馬だと言い張り、臣下の反応で誰が逆らうかを見分けた逸話です。鹿だと正直に答えた者は処罰されました。

「馬鹿」の語源は趙高ですか?

そう説明されることが多いですが、語源には諸説あり確定していません。

趙高はなぜ蒙毅を殺したのですか?

過去に蒙毅から死罪を言い渡された経緯があるためだと読まれています。このとき始皇帝が能力を惜しんで許しました。

趙高の最期はどうなりましたか?

紀元前207年、子嬰が即位の儀式の場で趙高を殺しました。ただし『趙正書』には章邯に殺されたという異なる記述もあります。

望夷宮の変とは何ですか?

紀元前207年、趙高が娘婿の閻楽に命じて望夷宮を襲撃させた事件です。追い詰められた二世皇帝の胡亥は自害しました。

趙高はキングダムに出てきますか?

2026年8月時点で登場した描写は確認できていません。ただし蒙恬・蒙毅・李斯・胡亥といった関係人物は作中に登場しています。

扶蘇はなぜ自決したのですか?

趙高が改竄した偽の詔を受けたためです。蒙恬は詔を疑って確認すべきだと止めましたが、扶蘇は従いました。

秦はいつ滅んだのですか?

紀元前206年です。趙高が殺された翌年、子嬰が劉邦に降伏しました。統一から15年でした。

まとめ

  • 趙高は始皇帝の側近から実権を握り、秦を崩壊させた人物
  • 紀元前210年、始皇帝の遺書を改竄して扶蘇を自決させ、胡亥を二世皇帝に立てた
  • 蒙恬・蒙毅・李斯をいずれも冤罪で排除した
  • 指鹿為馬で朝廷から反対意見を消した。「馬鹿」の語源とされるが諸説ある
  • 宦官という通説には異論がある。娘婿の閻楽がいることなどが根拠
  • 紀元前207年に子嬰に殺され、翌年に秦が滅亡した

作中で信たちと同じ戦場にいる蒙恬と蒙毅、そして李斯。この3人の最期を決めるのが、まだ登場していないこの人物です。統一が終わりではないということが、記録の側からは分かってしまいます。

この記事について

執筆・編集: マンガノシラベ編集部
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